4日目(4月28日 日曜)シベリア鉄道2日目

7時に目が覚めた。「良かった〜」ベットから落ちていない。結構揺れる所もあったのに良く落ちなかったもんだ。それにしても途中一度も目が覚めず、こんなベットでも8時間以上も熟睡出来たもんだ。やはり疲れがたまっていたのかも知れない。思えば旅行の前からしばらく睡眠時間が4時間前後だったし、旅行に出てからも時間に追われていた。この列車に乗って初めて時間を気にせずに寝られるようになったから、ホッとしたのだろう。それにしても赤の他人がいる部屋で良くこんなに寝られたもんだ。

他の3人はまだ寝ている。昨日の夜は、子供が上のベッドだったが、いつの間にか母親が上に寝ていた。夜は冷えるだろうと毛布を掛けて寝たが、思ったより暖房が効いていて毛布が要らないくらい暑かった。

通路に出てみたが誰もいない。他の部屋も皆寝ているようだ。混まないうちにとトイレで洗顔と歯磨きをして、一服する。外はちょうど朝日が昇ったところで、眩しい。今日もいい天気だ。昨日の景色とは違っていよいよシベリアの奥地に入ったかと思わせる白樺林とだだっ広い湿地帯が広がっている。外は寒そうだが雪は見当たらない。冬場はバリバリに凍って、辺りは真っ白になるのだろうか。付近に建物は何も無く、線路と平行して1本の道路が有るだけだ。しばらく行くとトラックが1台だけ走っていた。良く見ると、MEIJIと書いてある。「おっ!明治乳業」こんな所にも日本企業が進出かと一瞬思ったが、おそらく違うだろう。旅行記などにも出ていたが、日本から商用車を持っていっても、文字は消さずに使っている場合が多いそうだ。こんなシベリアの奥地で日本のトラックを見るとはなんか変な光景だ。

ロシア人乗客の朝は遅い。8時過ぎになって皆一斉に起き出し、さっきの静けさが嘘のように騒がしくなった。部屋に戻ると同室の3人は朝食の支度をしていた。パン、ハム、野菜、果物、ゆで卵、ヨーグルト、コーヒー、紅茶、タッパーには色々おかずが入っている。食器やナイフ、フォークも出して本格的だ(どれも使い捨てではない)。ほかに韓国製カップ麺もある。このカップ麺、日本のぺヤングみたいな容器だが、焼きソバではなくラーメンだった。ロシア人は乗車期間分の食料を買い込んで乗る人が多いとガイドブックなどにも出ていたが、これだけ色々持ち込んでいるとはビックリだ。乗りっぱなしだと退屈するので、せめて食事位は出来るだけ家にいるのと同じ様にしたいということだろうが、それにしてもスゴイ。

これらの食事を同室者には必ず薦めてくるとのことだったが、そんな雰囲気はない。俺が部屋に入っても気に掛けるでもなく、無視して食べている。ちょっと入り込めない雰囲気だ。やはり歓迎されていないようで居心地が悪い。何とかこの雰囲気を打開できないものだろうか…。

11時少し前に「Облучье(オブルチエ)」に停車。ここでやっと食料を買う。地元のオバチャンらしき人達がホームにテーブルをならべてパンや飲み物(水、ジュース、ビール等)を売っていた。ピロシキ2個とペリメニ1袋(ロシア風水ギョーザ)で20P(90円)、500mlビールが18P(80円)だった。これが一般的価格ということか。これと比べると昨日のホテルのビールは350mlで90P(400円)。何でこんなに高いんだ?。列車に戻り早速食べてみるがピロシキの中身はどちらもポテトであまり期待したほどではなかった。ペリメニも味はいまいちで飽きる。まあ安いからこんなもんか。

それからしばらくして、突然軍人2人が部屋に入って来た。ようやく列車にも慣れてホッとしていたところへ、現れた軍服の男達。寛いだ雰囲気は一気に吹き飛び、緊張感に襲われる。俺を見るなりパスポートを見せろと言ってきた。恐る恐るパスポートを出した。そのパスポートと俺の顔をじっくり見ている。どうなるんだろう、不安がこみ上げてくる。っとその時、同室の姉ちゃんが俺のことを説明してくれた。おそらく日本からの旅行者で怪しい人じゃないと言ってくれているようだ。これで軍人も納得したようでパスポートを返してくれて、部屋を出ていった。「あ〜良かった」危うく難を逃れた。同室の姉ちゃんが英語が出来てほんとに良かった。やはり同室者とは仲良くしておくもんだな。カメラを出していなかったのも良かったかも知れない。出していれば簡単に納得はしないような雰囲気だった。この先長いのに捕まったらえらいことだ。

一難去ってホッとして、昨日から今日までの日記を書く。既に記憶が曖昧になっているところも有り、すぐ思い出せない。やはり、まめに書かないとダメだな。

皆食事以外は何をするかと思っていたが、ここの親子は色々持ってきていた。最初は子供と絵本を読んだり塗り絵をしていたが、しばらくすると飽きたらしく今度はおもちゃの車を出して1人で通路に出ていった。その間母親の方はクロスワードパズルをやっていたが、子供が通路をバタバタ走るので、時々呼び付けては叱り付け頭を引っぱたいていた。ロシアの女は強そうだ。その後はぬいぐるみやウォークマンを出したりして遊んでいた。女の方はなにをするでもなく横になってボーとしていたが、食っては寝てだと体は鈍るし、太ってしまう。少しは子供と遊んでやるなりして体を動かしたらいいのにと心配になった。

しばらくして大をもよおして来たので、トイレに行く。便座に座らず、中腰でやろうかと思ったが、揺れも大きいし、とてもじゃないが無理だ。結局、便座を除菌ティッシュで丁寧に拭いて座る。試しに備え付けのトイレットペーパーを使ってみるが硬いので、日本から持ってきたものを使った。昨日のホテルでも備え付けのを使ったが、やはり日本のは品質が最高だな。これに慣れているととてもじゃないが、外国製は使えない。人の旅行記でも持ち物にトイレットペーパーが入っていたが、持って行く理由が良く分かった。今回の旅行で俺は3本も持ってきた。ちょっと多かったかも知れないが、やはり持ってきて良かった。自分の分身がシベリアの大地に落ちるのを見届けてトイレを出た。

部屋に戻り、ヒゲを剃るが、関空で買ったこのヒゲ剃りは全然剃れないので、途中で止めてしまった。ロシア人に舐められないようにしばらく伸ばすことにするか。

母親の方はまだクロスワードをやっている。子供の方は、上のベットで車のおもちゃで遊んでいた。日記の続きを書き終え、外の写真を撮ろうとカメラを出して準備していると、子供がこちらをジロジロ見ている。しょうがねえな、撮ってやるかとシャターを押すと、盛んにポーズをしてきたので、仕方なく6枚も撮ってしまった。この子供、今日はナイキのTシャツを着ている。アディダスでなくナイキを着せるとは、この母親も通だなと一瞬感心したが、良く見るとマークはナイキだが、文字がNIKEではなくNEKEになっていた。「なんだ、まがいもんか」笑わしてくれるぜ。

外の景色はいつの間にか、何も無い草原になっていた。木がほとんど生えていない草だけの原野。地平線が良く見える。どの旅行記やガイドブックにもここの景色は出ていなかったが、こんなところが有るとは…。晴れていればもっと奇麗に見えるだろう。

午後4時半位に「Белогорск(ベロゴルスク)」に停車。乗客は皆、どこで何分停車か良く知っているらしく、停車時間が長い駅が近づくと上着を羽織って部屋から出てくる。何でかと思ったら、壁に時刻表が貼ってあった。これを見ると30分停車だった。隣りの兄ちゃんが近づいてきて、「Fifteen minutes」とか言っていたが、その英語違うよとは言えなかった。

ホームに降りたが、あまり寒くない。もうだいぶ内陸に入っているのに、いったいいつ寒くなるんだろう。レーニン像が有ったので、同室の姉ちゃんに写真を撮ってもらった。お返しに写真を撮ってやろうとカメラを向けたが、またも断られた。仕方なく子供の写真を撮っていると、目の前を軍人が通った。姉ちゃんがそれを見て俺にパスポートは持っているかと聞いてきた。持ってないと答えると、「大丈夫、見つかっても私が何とか説明するから」と言ってくれた。頼りになるよこの姉ちゃん。なんだか俺のボディーガードみたいだ。どうやらパスポートは常に携帯していないといけないらしい。それは外国人だけでなく、ロシア人も同じで義務づけられているそうだ。それにしても、俺の考えすぎかも知れないが、もしかして、この姉ちゃん何処からか俺を守るために送り込まれたエージェントなのか?。そう思うと色々思い当ることはある。ウラジオから同室だったし、英語も喋れる。軍人にパスポートを見せた時も落ち着いて説明していた。そして今の話といい、なんだか変なことが多い。確かに、ビザ取得のために予め全行程を予約するバウチャー制度ってのは旅行者には面倒だが、当局から人を送り込むには最適なシステムだな。ひょっとしてあの親子や同じ車両の乗客も決められた配役通りに演技していたとしたら面白い話だ。非常に手間が掛かることだが、やろうと思えば出来ないことではないな。そう思うと、空想ではない気もしてくる。

いつの間にかレーニン像の回りでは日本人が集まって写真を撮っていた。皆後ろの車両にいる団体客のようだ。俺に気付くと何か言いたげにこっちを見ていた。

午後6時頃から、周囲の景色は松林に代わってきた。これまでは白樺林と枯れ草の平原の繰り返しで色がほとんど無かったが、この辺は緑が多い。一面白一色を期待していたが、時期が遅いのかここにも雪は無い。しばらく過ぎるとまた白樺が多くなってきた。地面が焦げたように黒くなっているところが多く、まだ燃えて煙の出ている所も所々有った。枯れ草をわざと焼いているのかと思ったが、消している人は誰もいない。自然発火なのだろうか。

写真を撮っていたら、同室の子供が近づいて、ちょっかいを出してくる。カメラを向けると、盛んにポーズを取る。仕方なく何枚か撮っていたら、それを見て母親がニコっと笑ってくれた。ここまで俺に対して全然関心が無いような感じだったが、ようやく認めてもらったような気がした。続けてまた撮っていたら、今度は別の部屋の子供が出てきて、一緒にポーズを取っている。全くコイツらしょうがねえな。結局また撮ってやった。

9時半に「Магдагачи(マグダガチ)」に停車。ピロシキを買おうと、目の前を通りかかったオバサンにピロシキをくれと、指で1個と要求すると。このオバサンそれを見るなり「アジーン(1個)?」「私のピロシキを1個しか食べないって何よアンタ」てな感じで、まくし立てられ、同室の姉ちゃんが止めに入ってくれたが、結局3個売りつけられてしまった。といっても15P(65円)だったが。姉ちゃん買ったピロシキを触ってこれはあまり良くない様な顔をしていた。同室の母親も別のオバサンが来たら買っていたから、地元の人にはどれがいいか分かるみたいだ。ここでビンビールも買った。500mlで15P(65円)だった。他にオームリ(白身の魚)を10P(44円)で買った。

部屋に戻ってベットの上で食おうと思っていたら、母親の方がテーブルを開けてくれた。ゆで卵3個とコーヒーを貰ったが、結構いい人かも知れない。しかし場所を空けてもらっても、あまり長くは悪い気がしたので、せっ込んで食べた。やはりピロシキはうまくなく1個残した。オームリはまあまあ、ビールはいまいちだった。あまり冷えてないこともあるが、ビールの度数が高く11度もあるので日本人には合わないかも知れない。

10時半に寝ようと思い横になるが、今日は揺れが気になってなかなか寝付けない。結局寝たのは11時半頃か。母親と姉ちゃんは、何やらしばらく話し込んでいた。

 

3日目に戻る     5日目に進む

行程図、日程表に戻る