6日目(4月30日火曜)シベリア鉄道4日目

6時に目が覚めた、列車は停車しているようで、下でガサガサ物音がしたが、顔を合わせたくないので、また寝てしまった。7時に起きたら昨日の2人は既にいなかった。あ〜良かった。今日は待望のバイカル湖、こんなバカカップルと一緒にいたくはないよ。

8時に車内放送で「ウランウデ」と聞こえた。昨日は1時間位遅れていたのに、いつのまにか20分遅れになっていた。やはり距離が長いので速度調整でカバーできるということか。ここでの停車は30分、食料を調達しようと早速降りた。ここは結構大きい駅でホームは人でごった返していた。これまでの小さい駅にいる地元のオバさんの販売は見当たらず、売店で買うしかないが、列が長く買うのに時間が掛かった。韓国製カップ麺とマウンテンデュウで36(160)。車両に戻ると母親がテーブルを開けてくれたので使わせてもらうことにしたが、持ってきた割り箸が見つからず断念。借りれば良かったが、なんとなく借りづらく、昨日のピロシキの残りを食った。

食い終えたら、ニキータ少年が起きてきた。盛んに俺に遊んでくれと近づいてくる。手には昨日の紙飛行機。良く見ると、折り鶴も持っている。なんだ、ロシア人も折り鶴知っていたのか…。旅行記とかを見ると折り鶴は知らないから、折ってやれば受けると出ていたが、今は違うのだろうか。「バイカルまでまだ時間はあるから、ちょっと遊んでやるか」こんなこともあるかと日本から持ってきた折り紙の本と折り紙を取り出した。パラパラページをめくり、これなら知らないだろうと思われるものを選んで折ってみる。折り紙なんて久しぶりだし、折ったことないヤツだと思ったより時間が掛かる。2,3個折っていたら、急に窓から強い光が飛び込んできた。振り向くと、そこには真っ白に凍った湖があった。「もしかして、これがバイカル湖?」母親に聞くとそうだと言った。俺は折り紙を途中で止めて急いで通路に出た。しばし呆然とバイカルを眺める。「これがバイカルか…」ここまで3日間この列車に乗り続けて、いきなりこんな景色が目の前に飛び込んでくるとは…。一面真っ白な世界。ちょっと大げささかも知れないが感動的で圧倒される。やっぱりバイカルまで鉄道で来たのは正解だった。俺は無心でカメラのシャッターを何回も切った。かすかに見える向こう岸まで全面結氷しているようだ。しかし他の乗客はほとんど通路には出てこない。地元の人には別にめずらしくもない風景なんだろうか。その後列車は湖の間際まで近づいたり少し離れたりしながら4時間も走りつづけた。さすがにでかい湖だった。

しかし50年以上前にこの鉄道に乗った日本人の捕虜たちはどんな思いでここを通ったのだろうか。当時何万人もの日本人がこの鉄道でシベリアの奥地まで運ばれた。中にはバイカル湖を日本海かと思った人もいたそうだが、そこを今俺は通っている。当時は貨物車で今は暖房もある快適な客車だ。それを思うとなんだか複雑な気持ちがした。

午後2時に「Слюдянка(スリュジャンカ)」着。定刻が1時57分だからほとんど遅れは取り戻していた。結構途中はゆっくり走っていたのに、元々余裕が大きいのかもしれない。イルクまであと2時間。母親が次だよと教えてくれた。ここまで来ると、あっけない気がする。ここでバイカルともお別れだ。あと数10km程で4000km走ったことになるが、これでもまだ半分も行っていない、ほんとロシアって広いよ。これ位でもロシアの広さを実感するには十分だと思う。全線乗るにも一旦途中で降りた方がいいのではないだろうか。連続で1週間はちょっと長すぎる。しかし、今朝母親に言われて1時間戻したけど、こんなに遠いのに日本との時差が無いなんてなんか変だな。

それにしても出発前は旅行会社の人とも電話とメールだけだったし、ほんとに来れるのか不安があったが、ここまで来ると我ながら良く来たなと感心する。海外1人旅初めてだけど、思っていたより順調に来れるもんだ。でもまだ油断は出来ない。先はまだ長く、ようやくプロローグが終わったところで、これからが本番と言える。くれぐれも気をつけないと。

あとは降りるのを待つだけだが、なんだか名残り惜しい気がする。ニキータ少年は無邪気に紙飛行機で俺と遊ぼうとするので、しばらく付き合ったが、何かちょっと感傷的になってしまった。このまま続けると情が移り、別れが辛くなるような気がして早めに切り上げた。

その後車掌が切符を返しに来て、母親にイルク近いよと言っているので荷物をまとめ始める。折り紙と本はくれてやった。ちょうど良かった持ってきて。母親にイルクの出口とホテルの場所を聞いたが、言葉が通じないのでうまく伝わらない。まあ一緒に降りるからいいかとガイドブックを出して見ていたら、その中の地図を指して「私たちは○○に行くの」と言った。どうやら一緒に降りるのではなくもう少し先の駅で降りるようだ。イルクって言ってたからてっきり一緒かと思っていたが、日本人でも外の人に説明する時に近場の大きな街の名を使ったりするのと同じことだったようだ。

時間はまだ30分以上あるので一服しに部屋を出た。この列車に乗った3日前はどうなることかと思ったけど、同室の親子とも何とか仲良くできてホッとした。ロシア語全然勉強していなくても何とかなるもんだ。シベリア鉄道ってプチホームステイみたいなものかも知れない。国籍も違う見知らぬ他人と一緒の空間で過ごすことに最初は不安があったが、乗ってみれば飛行機の移動より遥かに密度の濃い時間を過ごした気がする。普通の旅行は点と点の移動でなかなかこうはいかないだろう。もしまた機会が有ったらもっとロシア語を覚えてまた乗ってみたい気がする。

部屋に戻ると親子も着替えて出る支度をしていた。3人共座って外を眺めていたが、手持ちぶさたで何かないかと思い写真を撮った。これも帰国したら送ってやろう。

315分に駅に着いた。降りようとすると母親に止められた。どうやら手前の駅らしい。また動き始めると大きな川が見えて街が広がって来た。ようやくイルクの街だ。立ち上がって出ようとすると、また止められた。「止まってプシュとなってから立ち上がればいいのよ。十分時間はあるんだから」てな感じのジェスチャーで説明してくれた。定刻通り325分ついに停車。立ち上がると「До свидания( スヴィダーニャ)(さようなら)と言ってくれたので、「Большое Спасибо(バリショーエスパスィーバ)」(ありがとう) 「До свидания」と言って別れた。

ホームに降りたが、思ったほど寒くない。駅舎まで行く通路がないのか乗客はみんな線路を渡っている。駅舎に入るのかと思って見ていたら、外にある鉄製の扉から出て行くので俺もそれに続いた。

駅の外は人でごった返していた。とりあえず一服していると、男が近づいて「タクシー?」と言ってきた。ここで乗ったらいくら取られるか分かったもんじゃない。「Нет(ニェート)(いいえ)と答えたら去っていった。あまりしつこくなくてホッとした。市電に乗ろうとガイドブックに出ていた市内行きの@A番の市電を探す。駅前に止まっている市電を見ると。@のマークがあったが、乗る前に写真を撮ろうと思いバッグからカメラを出して撮影ポイントを探しに駅前をウロウロしていると、またタクシーの呼び込み。無視してやり過ごす。駅前を端から端まで歩いたが、ロシア人はみな恐そうな目つきをして俺を見ているような気がする。軍人さんも何人か歩いている。前のパスポート提示の件が頭をよぎり緊張感が走る。辺りにはカメラを持っている人は誰もいないし、日本人らしき人は誰も見当たらない。ここでカメラを没収されたくはない。仕方なく写真を撮るのは諦め、市電を待つ。

待っている間も周囲の様子をうかがいながら、周囲のロシア人とは目を合わさないようにしていた。ウラジオに比べるとなんだか居心地が悪く落ち着かない雰囲気だ。まだホッとは出来ない。5分位して市電が来たので他の乗客に続いて乗り込んだ。皆そのまま座ってしまったので、お金はいつ払うのかと思っていたが、しばらくして車掌のオバさんが取りに回ってきた。料金は4P(17)。ガイドブックにも一律4Pと出ていたが、安い!。日本でも市電に乗ったことはなかったので、ちょっと心配していたが、案外簡単でホッとした。市電はサスペンションが無いような感じで、路面からのショックが直接来て乗り心地は悪い。市内を走っている車はウラジオと違い日本車は半分位でロシア車やドイツ車が多い。やはりここまで輸送するのは高くなるのだろうか。10分ほど乗り、回りの景色と地図を見ながら適当にホテルから一番近そうな所で降りた。

スーツケースを引きながら歩くのは少し緊張する。怪しいヤツはいないかと辺りを気にしながらホテルに向かった。10分程歩くと写真で見たのと同じ12階建てのホテルが見えてきた。屋上の看板には「ИНТУРИСТ」(インツーリスト)と書いてある。旧ソ連時代の看板のままだ。今はバイカルホテルという名前になっているのだが、看板を変える金がないのだろうか。

時間は午後45分。なんとか着いた。ホテルの中に入りフロントを探す。ロビーにはあまり人はいず閑散としていた。ここにも日本人は見当たらない。GW中だからどこも日本人でいっぱいかと思ったがそうではなかった。やはりまだロシアってマイナーなのかも知れない。フロントらしき所があったので、バウチャーを出したが、そこの兄ちゃんに変な顔されたので会話集を見せたら英語で「レセプションはあっちだ」と言われた。そうか、ここは英語OKだったのか。言われた方へ行くと英語とロシア語でレセプションと書いてあった。近づくと女の人が出てきたので、バウチャーとパスポートを渡すと、部屋は537号室で、明日の朝食は27:3010:00、パスポートの返却は1時間後と説明してくれた。5階まで上がり部屋に入る。ずいぶん古そうな部屋だ。ドアやテーブル、窓枠も塗装が剥がれ所々めくれている。冷蔵庫はあるが中は空で電話はダイアル式だった。「これで11000円?」初日に泊まった東京のホテルより高いのにこれか…。今回泊まるホテルで一番高いからもっと良いかと思っていたが、ちょっとショックだ。その上バスタブ無しでシャワーだけかよ。シベ鉄3日間乗ってやっと湯船につかれると思っていたのに残念だ。次のモスクワのホテルに期待するか。ここは川沿いで眺めは良いが、やはりカーテンは半分しか閉らなかった。

まだ日が高いから市内散策もいいなと外に出ようと思ったが、イルク駅で見た目付きの悪い人達を思い出し、とりあえず体を休めることにした。今日で全行程の1/7、まだ先は長い。あまり欲張りすると危険度も高くなる。とにかく慎重に行かねば。

少し腹が減ったので列車の中で食えなかったカップ麺でも食おうかと封を切ってお湯を入れようかと部屋を見渡したがポットがない。仕方なく麺を砕いて食った。外国ではポットがないのが当たり前なのか?。お湯は洗面所でも出るが、部屋のテーブルに水が汲んであるので、おそらく飲めないのだろう。部屋の案内を見ると部屋から日本に直接電話出来るようなので、家に電話してみる。ここでも簡単に繋がった。

シャワーを浴びてからしばらく横になって休んだ。8すぎにパスポートをもらいにフロントまで行く。ついでに何か買おうとホテル内を回ったがどこも8時までなのか閉っていた。途中日本人の年配客数人とすれ違う。見知らぬ土地で日本人を見たせいか、なんだかホッとした。腹も減ったし、ビールも飲みたくなり結局外へ出ることにする。日も暮れかけてきたので急いで部屋に戻り、念のためバッグにカギを掛けてビニール袋を持って外へ出た。市電を降りて来た道は何もなかったので違う道を進む。人口60万の都市だから、ちょっと歩けば何かあるかと思ったが、ホテルの近くは何もなく、10分程歩き市電の通りまで出てやっとコンビニみたいな店が見つかった。会話集を持ってきたが結局指差しでビールとつまみをゲット。ビール15.5P、チーズ16P、スモークサーモン18Pで計49.5P(215)。ビールはロシア語では「пиво(ピーヴァ)」と言うが、そう言ってもブランド名を聞いてくる。つまみはレジの横のショーケースにあるので指差しで、すぐ分かってもらえたが、ビールはレジの後ろの棚に並んでいるので指差ししてもうまく分かってもらえず、レジの姉ちゃんに「これか?これか?」と11つ確認してもらってやっと買えた。やはり1種類位は知らないと駄目だ。シベ鉄のときは売ってる種類も少なく目の前にあるので難なく買えたが街中ではそうはいかない。いい教訓になった。

部屋に戻ってビールを飲んだらどっと疲れが出てきた。イルクの駅からここまではたいした距離でもないのに、なんでこんなに疲れるんだ。列車に慣れて緊張感がなくなっていたところで、いきなりロシアの街中に1人で放り出されて思った以上に不安や緊張感が高まっていたのだろうか。部屋に戻ってやっと安心して疲れが一気に出たのかも知れない。しかしこの程度で疲れていてはこの先どうなるんだろうか心配になる。だんだん眠くなり12時半に就寝。

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