5時に時計のアラームで起きた。洗顔していたら電話が鳴った。ほんとに起こしてくれるか心配だったけど、俺の考え過ぎだったようだ。「Доброе утро(ドーブラエ ウートラ)」(おはようございます)。「スパスィーバ」と言って電話を切った。ロシア語にもだんだん慣れてきたが、テレビのニュースとかホテル内の会話を聞くと、「ドーブラエ ウートラ」は「ドブラウートラ」と聞こえる。会話集だけだとここまでは分からない。やはり耳で聞かないと駄目だな。
外はまだ真っ暗だ。これで日本と時差が無いとはどう見てもおかしくないか?。荷物の確認をしてトイレに入って6時に部屋を出た。フロントのおばさんにキーを出すと、タクシーの番号を紙に書いて、グレーのバスが外で待ってると言われた。そのまま何も言わずに次の客に応対したので、電話代請求なしかよ「ラッキー!」と、そのまま出ようとしたら、思い出したように請求してきた。764P(3300円)、高い!。
外に出たがバスではなく、タウンエースだった。雪は止んでいたが、街中は真っ白だ。積雪は10cm位で昨日歩いた道も全然違って見える。車はほとんど通っていない。トロリーバスでも行けるとのことだが、乗り方や場所も知らないし、この雪じゃあタクシーにしておいて正解だった。15分程で空港着。料金は聞いた通りの100P(430円)だった。ボラれなくて良かった。
車から降りて建物に向かうが雪が積もって歩きづらい。中に入りCHECK INカウンターを探すが、どこも見当たらない。アエロフロートの事務所はあったが閉っていた。OPENは9時になっている。これでは駄目だ。館内放送はロシア語ばかりで、モスクワと言ったのは聞き取れたが、何を言っているのかよく分からない。その上、表示もほとんどロシア語。どうしようか…。とりあえず人が並んでいる窓口に並んでみる。そのうちロシア人夫婦が後ろに並んだので、旦那の方にチケットを見せて聞いたところ、「俺が聞いてやるから、ちょっと待っててくれ」と言って前に並んだが、その前の人がチケット購入に手間どり、なかなか空かない。
既に付いてから40分も過ぎている。次第に焦り出し、別のところに行こうか迷っていると、中国人らしき家族が、「Can you speak English?」と聞いてきた「a little」と答えるとチケットを出し「チェックインはどこだ」と聞かれた。チケットを見ると俺と同じだったが、分からないと答えると。別の外人に聞いて、そのまま外へ出ていってしまった。付いていこうと思ったが、前の客が終わりそうだったので、そのまま待っていると。しばらくして戻って来た。隣りの建屋に有るとのこと。一緒に付いて行く。隣りには茶色の小さい建物が有るが、さっきの建物と色も違うし、大きい看板もない。これじゃあ知らないと迷うわ。
途中、すれ違った青年に「日本人ですか?」と声を掛けられた。久しぶりに聞く日本語。これからウラジオに行くそうだ。俺と逆のコースになる。私はこれからモスクワですと答えたら、お互いがんばりましょうと言ってくれた。この旅で初めて日本人と話をしたが、向こうも俺と同じ一人旅、こんな最果ての地でも1人でがんばっている仲間がいるんだと思うと、ほんの一瞬言葉を交わしただけだが、なんだか勇気が湧いていた。昨日の事でくよくよしてもしょうがねえな。
建物の入り口まで近づくと、「INTERNATIONAL」の看板。中に入ると「CHECK IN」の表示がある。「良かった」何とか間に合った。モニターにはSU730 MOSCOWと出ていた。カウンターには既に沢山の人が並んでいる。俺もその列に続いた。
俺の番が来たのでチケットを渡すと「Baggage?」と言うので、スーツケースを差し出す。ガイドブックや旅行記によると、ロシアの国内線は組織的な荷抜きが多いので、預ける荷物には絶対貴重品は入れないことと出ていたので、昨日の夜に貴重品は全て機内持ち込みのディパックに入れ、念のためスーツケースはガムテープを一周巻いておいた。これでどうなることやら。他の客を見ると、ラップで全体をグルグル巻きにしている人もいたが、国内線のせいか預ける客は多くなかった。
その後、搭乗口へ向かう。パスポートを見せると、係りの兄ちゃんに「ニッポンジン?」といきなり言われビックリ。「Да(ダー)」と答え、難なく通過。次の金属探知で手間取った。結局、ポケットの物すべて出し、ベルトも外してゲートを通過したが、係員のおばさんが結構厳しく金属探知棒で念入りにチェックされた。
7時25分頃ようやく待合室へ着いた。ここでコーラとパンで46P(200円)。ちょっと高く感じたが、こんなもんか。どうもシベ鉄の値段に慣れてしまっているようだ。
7時40分になって、係員が搭乗開始と言いに来た。バスでお迎えかと思ったら、何と歩きだ。外に出ると飛行機は100m位先に止まっていた。よく見るとウラジオまで乗ったのと同じツポレフTU-154。またこれか…。雪を踏みながら、歩いていく。寒い!。
タラップの下に着いたがしばらく待たされる。写真を撮ろうかと思ったが、誰もカメラを出していない。やっぱ止めておくか…。昨日の件も有るし、危険なまねは避けた方がいいな。係員に見られなくても、乗客が通報するかも知れない。ロシアを出るまでは慎重にいかねば…。周りの乗客を見ると、スーツケースや大きなバッグを持っている人が結構多い。「なんだ!コイツら」こんな物まで機内持ち込みか?。荷抜き対策ってことか?。どうりでチェックインカウンターで誰も荷物を預けないわけだ。それほどロシアでは荷抜きが深刻ってことなのだろうか…。
10分程してやっと中に入れた。内装はウラジオ航空より結構新しい。「良かった」ボロくなくて。8時25分に離陸。イルクの街並が良く見えたが、しばらくすると雲で見えなくなってしまった。座席にあったアエロフロートのパンフレットを見ると今年3月末をもって全面禁煙しますと出ていた。ほんの1ヶ月前まで喫煙だったとは…。今時信じられないな。
しばらくして、おしぼりを持って来た。ここでもまたピンセットだ。ロシアってみんなこうなのか?。飲み物は赤ワインを頼んだ。ウラジオストク航空と違い、テーブルはしっかりしているから、コップを置いてもOKだ。9時15分に食事。「Chicken or Fish?」今度は聞き取れた。フィッシュを頼んだ。内容はパン(黒い食パンと丸いパン)、サラダ、ケーキ、鮭、バターライス、紅茶。ウラジオストク航空よりマシだった。
10時半頃、大きな湖の上を通過。ほとんど凍っていた。やはり寒いところなんだな。それから幾つか小さい湖が見えたが、ここも凍っている。周囲に山はなく平坦地が続くが、しばらくして雲で見えなくなった。11時頃にトイレに行く。機内後部に2ヶ所有ったが、水の出が悪く、手を洗うところは水が出なかった。
1時54分にモスクワのシャレメチェボT空港着陸。といってもモスクワ時間では8時54分。イルクとは5時間も時差がある。ここで時計を戻した。なんだか得した気分。それにしてもロシアって広い。飛行機に5時間半乗っても、まだ国内なんだから。それも端からではなく、中央部から乗ってこれだけの時間だ。
タラップを降りてバスで建物まで移動する。今日は天気もいいけど、やけに暖かい。イルクだけなのか、寒いのって。これじゃあ日本と同じくらいだな。ここの空港、敷地は広いが建物は小さい。これで首都の空港なのか。日本の地方空港でももっと大きいところが多いのに、やはりまだ飛行機は一般的ではなく乗る人が少ないのだろうか。
スーツケースはガムテープが1個所切れていた。開けられた感じはないが、ホテルに戻ったら一応確認するか。建物を出ると、いきなりタクシーの呼び込み。4人も声を掛けてきた。イルクとは違ってしつこい。聞こえない振りをしてやり過ごす。ガイドブックでモスクワ市内行きのバスの番号を確認したいが、タクシーの呼び込みがウロウロしていて、うかつに出せない。少し移動して確認する。817番か。付近に英語表記はなく番号だけが頼りだ。バス停には頻繁にバスが発着していた。バスには大きくNO.が書いてある。ガイドブックによると市内までは市バスと地下鉄乗り継ぎが一番安く、バスが3Pで地下鉄5Pとのこと。しばらくして817のバスが来た。乗ろうとしたが、もしかしてこの番号で合っているのか心配になり、全然違うところに行ったらどうしようと思い躊躇してしまった。
と言っても、このままここにいてもしょうがない。次に来たバスに思い切って乗った。乗車券はイルクの市電と同じで、乗った後に集金に来た。荷物代を入れて8Pだった。ガイドブックより高いがそれでも35円。十分安い。高速道路らしき道に入るが車は少ない。道路脇の看板は皆キリル文字ばかり。日本で見慣れたマクドナルドやコカコーラの看板も文字が違うと改めて異国に来てしまった感じがして、多少不安感が出てきた。これから大都市の中への移動だ、日本国内でさえ知らないところへの移動は結構面倒なのに、無事行けるんだろうか?。
40分程で地下鉄「Планерная(プラーニェルナヤ)駅」に着いた。時刻は10時10分。駅前は人でごった返していた。さあ、まずは切符だ。日本のように自販機はなく、窓口のおばさんに5P(一回券で距離に関係なく一律料金)出すと、カードサイズの切符をくれた。改札は自動改札で、他の乗客のやり方をまねて通過。「なんだ、簡単じゃん」切符はでかいが日本と同じしくみだった。そのまま進み階段を降りると、既に電車が止まっていた。ガイドブックだとここが始発駅なので、特に注意もせずそれに乗ったが、発車直後反対側のホームに入った電車は逆方向に進んだように見えた、もしかしてここは始発駅ではなく、方向を間違ったかもと、車内を見渡す。路線図が壁に貼ってあった。それを見ると確かに始発駅だ。一瞬焦ったがこれで一安心。
車両内は椅子が埋まっているくらいで、立っている客はほとんどいない。発進は結構急で、構えていてもコケそうになるくらい暴力的な加速だ。車内の照明は薄暗く、皆何も喋らず黙っているから、不気味な感じだ。この照明、時々切れて真っ暗になり、ちょっと恐い。シベリア鉄道もそうだったが、やはり日本だけなのか、蛍光燈でやたら明るいのは。
揺れが大きいので吊革を掴もうと回りを見るが、日本のような吊革はなくバーがあるだけだ。これが結構高くて掴むと手が伸び切ってしまう。ロシア人は皆大きいと言うことなのか。ここも俺みたいにディパックやスーツケースを持っているヤツは誰もいない。例のビニール袋かショルダーバックがほとんどだ。回りに東洋系は誰もいないし、旅行者はオレだけだ、とにかく目立たないようにしないと。と言ってもスーツケースは目立つなあ。
次の駅までが長かった。東京の地下鉄よりも1区間がかなり長いようだ。5分以上走ってやっと次の駅に着いた。停車も急で危なかった。駅名はどこに書いてあるんだろう。急いで回りを見渡すと、壁に大きく書いてある。路線図のスペルと同じでホッとする。しかし、ロシア語表記は解読に時間が掛かる。早く慣れないと…。あとはここから10駅目。なんとか行けそうだ。
しばらくすると、軍服を来た車椅子のじいさんが後ろの車両から入って来た。見慣れない光景に一瞬ギョっとする。見ると手には皿のような物を持って乗客に差し出して、皆お金をそれに置いている。俺は外人だから無視して払わなかったが、傷痍軍人に対してはこういう習慣が有るのか…。
30分程乗って、目的の駅「Китай Город(キタイ ゴーラト)」に到着。ホームに降りてビックリ。「おおっ!なんだこれは…」アーチ型の白い天井には所々彫刻がしてあり、シャンデリアが着いている。電車内からシャンデリアは見えなかったが、こうなっていたのか…。とても地下鉄の駅とは思えない芸術的な造り。金掛かってそうだ。さすが首都モスクワ。こんな地下鉄見たことないな。写真を撮りたいが、ロシア人の目が気になり断念。それにしてもすげえやこれは。これと比べると日本の地下鉄って広告だらけで品がねえな。しばし立ち止まり見とれてしまった。しかし乗降客は皆それを気に留めるでもなく平然と歩いていて、誰も立ち止まって見ている人はいなかった。ここは地元の人がほとんどで、地下鉄で移動する観光客はまだ少ないということか。もったいないことだ。
おっと、いつまでも見とれていてはいけない、早く地上に出ないと。どこの出口から出ればいいんだろう。ホームに地図はないかと探すが、無い。とりあえず他の乗客の流れに付いていく。しばらくしてエスカレーターがあった。近づいていくとゴーゴー音がしている。「おおっ!速い」。日本の速度の倍以上はありそうだ。まさに「超高速エスカレーター」。速いとは知っていたがこれほどだとは・・・。足が竦む。しかし皆普通に乗っていく。俺の番が来た。タイミングが掴みづらい。初めてスキー場でリフトに乗るような気分だ。一瞬躊躇したが思い切ってなんとか乗った。それにしても、日本じゃこの速さだと大問題になるな。危なくてしょうがねえや。と言ってもすぐ慣れたが。ここの天井もアーチ型で芸術的だ。照明は天井にはなく、エスカレーターの手摺の脇に薄暗い照明が点々と付いている。出口は全く見えない。相当深そうだ。降りてくる乗客の中には制服を着た警官も何人か混じっている。やはり写真は取りにくいな。止めておこう。イルクの件もあって緑の制服はどうもイメージが悪い。
それにしても、長いエスカレーターだ。1分以上は乗っているだろうか。この速さでこれだけ掛かるとは、いったいどのくらい深いんだろう。ようやくエスカレーターを降りたが、2分は掛かったかも知れない。出口側に改札機は無く、適当に近くに有った出口を出ると、公園に出た。ガイドブックの地図を見ると今日泊まるホテルロシアはここより南だ。とりあえず南に進んでみる。それにしても今日は暖かい。これじゃあ冬服要らなかったなあ。暖かいせいもあるだろうが、イルクと違って暗い雰囲気はない。
地図を見ながら歩いていくが、人口850万の大都市ともなると、これまでの都市と違って方向が把握しづらい。少し進んでは地図を見直しながら20分程歩いて、ようやく大きな建物が見えてきた。もしかしてこれか?。屋上には「ГОСТИНИЦА РОССИЯ(ガスチーニッツァ ラッスィーヤ)」(ホテル ロシア)の看板。「おおっ!これだ」。21階建てで客室数5500!。世界でも指折りの規模だそうだが、それにしてもでかい。このホテル1泊7000円と結構安く、クレムリンにも歩いて行けて便利だ。周辺にこれだけ安いホテルは他になく、金額で決めたようなもんだが、中はどんな感じなんだろう。
入口は何ヶ所かあるようだが、適当に近くの入り口を入るとすぐフロントがあった。パスポートとバウチャーを渡すとホテルカードをくれた。9184号室だ。なぜかバウチャーは返却してきた。カギをくれないので、どこでもらえるか聞いたら、9階のフロア係に貰えとのこと。とりあえずエレベータで9階まで昇り、フロントで言われた道順を進む。なんだか迷路みたいな所だ。少し迷いながら9階の廊下を進んでいくと、途中にテーブルが置いてあり、係りのおばさんが座っていた。ホテルカードを見せ「キー プリーズ」と言ったが、「もっと先だ」と言われ、また先に進む、それにしてもでかいホテルだ。しばらく行くとまた机があり、係りのおばさんが座っていた。ここでやっとキーをゲット。どうやらホテルが広いので、同じフロアでも区画で分けているようだ。
壊れそうなカギを回して、ようやく部屋に入る。時刻は11時10分。「良かった」何とか無事に着いた。自分でも感心する。全てが初めてづくしだったが、思ってたより結構簡単に来れるもんだ。とりあえずスーツケースが荷抜きされてないか確認したが問題なく、ホッとする。
部屋は中庭向きで、モスクワの景色は全く見えない。その上、結構古そうで、ラジオは何十年も前のものだし、冷蔵庫もない。まあ1泊7000円だから仕方ないか。バスタブがあったのは救いだった。出発前に旅行代理店からは、市街が見える部屋にするには現地で交渉して下さいと言われてはいたが、出来ればクレムリンが見える部屋にしたいし、一応後で聞いてみるか。
カーテンはやはり半分しか閉らない。またこれか…。こういうのは監視されてるみたいで落ち着かない。フロア係の所にビールとつまみが置いてあったのを思い出し、買いにいった。合わせて50P(216円)。日本円だとまだ安いが、これでも高く感じるようになってしまった。ビールを飲みながらここまでの日記をつけた。ロシアのビールも飲みやすいが、そろそろ飽きて来た。スーパードライのような刺激あるビールが飲みたい。それにしても旅行に出てから飲んでばかりだな。
午後2時にフロントにパスポートを貰いに行ったついでに部屋が変えられないか聞いたが、「2Fのインツーリストで聞いてくれ」と言われ、行って聞いてみると、クレムリン側は予約で一杯、部屋代も高いとの返事。他の側はどうかと聞くと、シングルでは北側の部屋が明日の午後から空く予定なので、明日朝9時に来てくれとのこと。追加料を取られるか聞かなかったが、ここまで来たからには、多少高くても眺めの良いところに泊まっておきたい。明日に期待しよう。
部屋に戻って日本に電話しようとホテルガイドを見るが良く分からず、フロア係に聞くと、1階でしか掛けられないとのこと。明日にするか。今日はホテルでゆっくり休もうかと思ったが、時間はまだ4時。日はまだ高いし、やっぱりクレムリンに行ってみようか。中に入るには遅いが、とりあえず赤の広場だけでも見ておこうと、ホテルを出た。広いホテルの敷地を出て少し歩き、通りを渡ると石畳の広い広場に出た。
目の前には赤レンガで出来たクレムリンの城壁、高さ10m以上はあるだろうか。城壁は遥か遠くまで続いている。これがクレムリンか…。ついに来てしまった。城壁は500年以上前に造られたそうだが、当時の皇帝の強大な権力を感じさせる。石畳の向こうには玉ねぎが乗っかったような聖ワシリー聖堂と時計が付いた大きな塔が見える。周囲に人は疎らだ。緩やかな坂を登り、ワシリー聖堂近くまで来ると、その先に赤の広場はあった。さすがにモスクワ一の観光名所ここは人が多い。左のクレムリン、右のグム百貨店(とても百貨店には見えない芸術的な建物だ)、正面の国立歴史博物館に囲まれた広場だ。広さは巾100m長さ500m位有るだろうか。広場の城壁側の中央にはレーニンの墓が構えている。赤の広場と言っても赤色になっている訳ではなく、ロシア語では美しい広場という意味だそうだ。ソ連時代はイベントの度にここが赤に染まったのだろう。
城壁の向こうにはロシア国旗がはためいている大統領府が見える。しばしその場にたたずんで建物を見上げていた。ここにかつて冷戦の主役達レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフらが君臨していたのか…。昔からソ連のニュースと言えば必ずここからの映像が流れていた。その場所に今俺は立っている。今はプーチンがその座に上り詰めているが、ソ連崩壊後かつてあったほどのパワーは今はないが、そういった歴史的な場所に立ってみると感慨深いものがある。ただ冷戦時代のイメージからするともっと緊張感のある場所かと思っていたが、そんな感じはあまりしない。広場には観光客が多く、皆周囲を気にするでもなくカメラを出し写真を撮っている。完全に観光地化してしまったような雰囲気だ。警官もほとんど見ない。これまでカメラを出すのに周囲を気にしながらだったが、なんだかここに来て初めて緊張感が解けたような感じだ。ようやくためらわずに写真が撮れる。天気がいいのと、気温が高いせいもあるだろうが、ウラジオ、イルクで感じた暗い雰囲気や閉鎖的な感じはここにはない。テレビで良く見る場所だが、やはり来てみないと雰囲気は分からないものだ。もっと警官や軍人がウロウロしていて監視されている様な危険な気分を味わえるかと期待もあったが、今はこんなものなのか。少し残念だ。まあ、イルクで緊張感は十分に味わったから、もういいやって気もするが…。
クレムリン内部は明日行く予定なので、とりあえず周囲を1周回ることにする。赤の広場を抜けてその先に進むと、また広場がありここも人で賑わっていた。そこを過ぎると左手にゲートらしき扉があり、その先は公園になっていた。ここも人が多い。公園内には出店が幾つかあり、飲み物、パン、アイス類が置いて有った。ここでビールとパンを買いベンチで食った。ビール40P+パン38Pで78P(338円)。やはりモスクワ一の観光地。高い。都会のせいか周囲の人の服装はウラジオやイルクのような黒系統は少なく、明るい色が多く西側と変わらない感じだ。しかしマナーは悪い。特に若いヤツらは男も女もビール瓶をラッパ飲みしながら歩いているし、タバコも消さずに投げ捨てている。それがかっこいいというのが今の流行なのか、結構多く見かけた。日本も最近マナーが悪いと思っていたがまだマシだな。
しばらくベンチで休んでから、クレムリンに入るチケット売り場を見に行った。閉館が近いせいか人は疎らだ。窓口が幾つか有るが、どこが外人用なのか良く分からない。明日どうしようか…。まあ会話集も有るし何とかなるだろう。これも勉強の内だ。
チケット売り場を後にして、その先へ進む。公園を過ぎると広い通りにぶつかった。左に折れ、しばらく行くとモスクワ川沿いの通りに出た。ここから城壁沿いを進む。遠くにホテルロシアが見える。この辺りは人通りが少ない。道行く車はドイツ車やロシア車が多く、日本車は1割位か。ウラジオやイルクのように右ハンドルではなく左ハンドルだった。シベリアからは陸送が困難だからだろうか。
5時半に1周回り終え、元の場所に戻った。そのままモスクワ川沿いをしばらく歩く。川には遊覧船が通っていた。こんな暖かい日にのんびり遊覧船ってのもいいかなと、見ていたら乗りたくなってきた。あと2日有るから乗ってみるか。モスクワ川からクレムリンをみると西日に照らされたクレムリンの建物がキラキラ輝いていた。明日はいよいよクレムリン潜入だ。中はどうなっているんだろうか。運良くプーチンに会えたらラッキーだな。足が疲れたので、6時頃ホテルに戻った。部屋に向かって歩いていたら、急に足の筋が痛くなってきた。歩くのが辛い位の痛みだ。ちょっと今日は歩きすぎたのかも知れない。クレムリン1周とモスクワ川沿いで4kmは歩いたし、昨日もイルクで5kmは歩いている。それまでシベ鉄で丸3日ほとんど運動していなかったから、急に動かしすぎたのかまずかった。一晩で痛みは取れるだろうか。少し心配になった。
とりあえず風呂に入ろうと、お湯を出した。風呂の湯は少し濁って匂いもあるが、久しぶりの湯船に浸かり足を念入りにマッサージする。一時間程ゆっくり入ってから、足の調子を見ようと、廊下を少し歩くが、やはりまだ痛い。外に食料を買いに行こうかと思ったが今日は止めて、フロア係のところで軽食を買って食べ、12時に就寝。