9時に部屋の変更を頼みに「インツーリスト」へ。昨日の人とは違う係のおばさんに昨日のことを話すが、部屋は空いてないの一点張りで、取合ってもらえない。終いには「あんた、もっと英語勉強しなさいよ」なんて言われて、返す言葉もなく撃沈されてしまった。残念。「あー悔しい」ショックだ、あんな態度取るとは思わなかった。英語が喋れれば…。昨日のおばさんは親切に説明してくれたのに、今日のおばさん性格最悪だな。いつかもっと喋れるようになってリターンマッチしたい気分になった。
9時半に朝食をとりにレストランに行く。ホテルガイドには幾つか出ていたが、どこで食えるのか聞かなかったので、ホテル内を回り、それらしきところへ適当に入ったが、客は誰もいず準備中だった。次に行ったところには多くの客がいた。早速入ってみるが、どういうシステムか分からず、誰か来るだろうと座って待っていたが、誰も来ない。バイキング形式のようだが勝手に取ってもいいものか。ふと入口を見ると後から入ってくる客が皆入り口のテーブルでホテルカードを見せて受付している。「なんだ、そうだったのか」。俺が入った時は誰もいなかったから気が付かなかった。立ち上がってテーブルに近づき係のおじさんにカードを出すと、宿泊名簿らしきリストにチェック印を付け、カードにスタンプを押してくれた。これでやっと食べられる。ウラジオやイルクのホテルとは違い、種類や量も豊富だ。客の中には日本人も何人かいた。この頃ろくなもん食ってなかったから、欲をかいて食いすぎてしまった。
部屋に戻りカギを回すがなかなか開かない。昨日は簡単に開いたのだが、どうもここのカギはコツがあるのかも知れない。テレビを見ながら今日の予定の検討と洗濯をした。テレビはロシア語だけでなく、ヨーロッパに近いせいか英語やドイツ語、フランス語もあった。でも日本語番組はないし、日本の話題も全然やっていない。そろそろ日本の情報も仕入れたいなあ。後でインターネットでもさがすか。洗濯はこの旅行で初めてだ、渇くか心配だったから靴下と下着だけにした。
12時半にフロントに行きインターネットが出来る場所はと聞くと、ビジネスセンターで出来るとのこと。しかし言われたところに行ってみたらCLOSEだった。フロントの姉ちゃんも不親切だな。閉ってるんなら言ってくれてもいいのに…。インツーリストのおばさんもそうだったが、ここでは日本人に対しては皆こうなのだろうか。あまり歓迎されていないような気がするが、元々社会主義の国だから、西側のような期待をしてもしょうがないのかもしれない。
フロント近くで両替をしてから赤の広場に向かった。昨日痛んだ足は大丈夫なようだ。今日も天気がいいし暖かい。やはりこの時期にしておいて良かった。この位がちょうどいい。
赤の広場に着くと、クレムリンの向かいのグム百貨店には近々何かのイベントが有るのか巨大な垂れ幕が掛けられていた。その一つには1945と書いてある。正面の国立博物館には「МАЯ 9」の垂れ幕がある。何だろうと思いガイドブックを見てみると5月9日が戦勝記念日と出ていた。軍事パレードでもやるんだろうか。それなら見てみたいが、5月9日はウイーンだ。惜しいが仕方ない。
まずはワシリー聖堂に行く。ここは玉ねぎを上に乗せたような塔が幾つも立っている変な形の建物だ。ロシア正教の教会で、昔これを設計した人は2度とこんな美しい建物が出来ないように皇帝に目をくり抜かれたそうだが、恐い話だ。窓口で入場料100P(433円)、カメラ代40P(173円)払い中に入る。中は狭いが幾つかの部屋に仕切られていて宗教画で一杯だったが、俺はキリスト教信者じゃないから特に感動は湧かなかった。カメラ代払ったからどこでも撮れると思っていたが、塔の天井を撮っていたら、係りの姉ちゃんに怒られてしまった。何で禁止なんだ?。
次は、いよいよクレムリン潜入だ。途中、公園の出店でパン2個とビール(計69P=300円)を買って食べてから、昨日下見したチケット売り場に向かう。さすがにこの時間帯だと売り場の回りは人で一杯だ。ガイドブックに売り場はロシア人用、外国人用、団体用に別れていると出ていたが、窓口は4つ有りロシア語表示しかない。いったいどこで買えばいいんだ?。しばらく立ち止まり、どの窓口にするか迷っていた。そこへ中国人らしき旅行者が何人か列に並んだ。「なんだ!ここに並べばいいのか」。すぐにその後ろに付いた。チケットは敷地内の聖堂や宮殿に入れるセット券と、武器庫だけ見られる券がある。さて、頼む時はどうすればいいんだ?。こんな時のために、手帳に会話集から抜き出した例文を書いてきたが、通じるだろうか。だんだん順番が近づいて来たが、ちょっと心配だ。前の中国人グループの番が来た。添乗員らしき人が窓口で喋っている。「あれ?英語だ」なんだ英語OKなのか。といってもとっさに思い浮かばない。もうロシア語で行くしかないな。ふと窓口の横に貼ってある紙を見るとチケットの種類と料金がロシア語と英語で出ていた。「おっ!これだ」。俺の番が来た。結局手帳は出さず、貼り紙のチケット名を英語で言ったら、窓口のおばさんが「フォトグラフ?」と聞いてきたので、「YES」と答え、無事にチケットをゲット。まあ、何とかなるもんだな。
料金は入場料200P(870円)、カメラ代50P(220円)だった。カメラのチケットは服に貼り易いように丸いシールになっていた。ちなみに、ロシアでは外国人料金が有るのが当たり前で、ロシア人料金は外人の半額以下とのこと。
早速、入場口に行ったが入場制限しているのか、ちょっと待たされた。回りは欧米人らしき観光客が多い。5分程してようやく中へ。荷物チェックを受け、金属探知ゲートを通ると50m位のスロープがあり、緩やかな坂になっている。その先にはトロイツカヤ塔がそびえている。高さ80m、大きな塔だ。クレムリンの城壁には所々塔がついており、この塔が一番高いそうだ。
ゆっくり坂を登り塔をくぐり抜け、敷地内へ。右手にはクレムリン大会宮殿があった。かつてはソ連共産党大会が開かれていたそうだが、一般公開していないので、中には入れない。道を隔てた左手には兵器庫があり、ナポレオン軍から奪った昔の大砲が幾つも展示してあった。その向こうには大統領府が見える。かつてはレーニンが住んでいたそうだ。今日はプーチンはいるのだろうか。建物の周りには何も囲いはなく、近づけそうな感じがするが、観光客の1人が道を横切ろうとした時、突然笛が鳴った。振り向くと警備員が出てきて笛を吹いて、「ダメだ!」って感じのジェスチャーをしている。道の向かいには電話ボックスより少し大きい感じの警備員控え室が有り、そこで見張っていたようだ。しかし、警備員は1人いるだけで他には見当たらない。警備員も暇なのか、さっき笛を吹いた以外はぶらぶらしている。ずいぶん警備が手薄なように見えるが、どこかに隠れて見張っているのだろうか。
大統領府の隣りには官邸があり、建物の前には公用車らしき車が何台か置いてあった。一瞬古いベンツ?かと思ったが、よく見るとロシア車だった。何台かは青い回転灯が付いているから護衛の車だろうか。外の喧騒とは違って、周りは静かで、観光客の話声が聞こえるくらいだ。もっと張り詰めた雰囲気があるのかと思っていたが、そんな感じは全くない。車も全然通らないし、静かなもんだ。今日は何も行事はないのだろうか。
少し歩くと、大きな大砲が置いてあった。口径89cmで重量40t。名前は「大砲の皇帝」。16世紀のもので、当時世界最大を誇ったが、一度も使われたことはないそうだ。それにしてもデカイ。そこを過ぎると、今度は大きな鐘が見えてきた。重さ200t。名前は「鐘の皇帝」。皇帝って付けるのがお約束なのか?。これも世界最大のものだが、鋳造中に火災に遭い、あわてて水を掛けたらヒビが入り一部が欠けてしまったそうで、結局一回も鳴ること無く終わってしまった悲運の鐘だ。裏側に回るとその欠けらも置いてあった。この欠片だけでも11tもある。すごいもんだ。
鐘の先を右に折れると聖堂に囲われた広場に出た。ここの聖堂も屋根には玉ねぎが乗っかっている。しかもここのは金色でキラキラ輝いている。しかし、ロシア正教ってなんで玉ねぎなんだ?。
とりあえずその一つに入る。中は観光客でいっぱいだ。内部は壁も天井もすべて宗教画で埋め尽くされている。次に入った聖堂も同じ雰囲気で、日本の寺なんかと違いちょっとくどい感じがした。三つ目に入った聖堂は棺が所狭しと並んでいた。棺には名前と年号が記されている。ここはロシア帝国歴代の皇帝や貴族の遺体安置所で、全部で48個もの棺が置いてあるそうだ。なんだか気持ちが悪くなり寒気がしてきたので、すぐ出てしまった。
次の建物に入ろうとしたが、閉館らしく入れなかった。仕方なく広場で写真を撮っていると。ロシア国旗の腕章をした職員らしき2人が観光客に向かって何か言っている。どうやらここを出るようにと言っているようだ。しばらくすると、軍服を着た10人位の兵士が広場に出て来た。広場に並んでなにか線を引いている。ここでなにか式典でもあるのか、その準備をしているようだ。しかしあまり緊張感はなく、のんびりした感じだ。職員もあまり強く追い出そうとはしていないので、観光客もだらだらと移動し始めた。閉館時間までまだ時間は十分あるのにもう出なければならないとは…残念。ゆっくり見ていたかったが、仕方なく出口に向かう。
途中、大統領官邸前には公用車の運転手らしき人が出ていた。隣りの建物の大統領府前には何人もの軍人が整列している。もしかするとプーチンが出てくるのだろうか。見たい気がするが、無理だろうな。来た道と同じトロイツカヤ塔をくぐって外へ出た。時間は4時。閉館までまだ1時間もある。ちょっともったいない感じがした。
出口を出ると、目の前にはリムジンが3台止まっていた。見たこともないものすごい長さでビックリ。付近の人達も珍しそうに眺めている。ロシアでもこんな車に乗れるヤツらがいるのか…。ウラジオやイルクではこんなの見なかったが、さすが首都モスクワ。これがロシアの成り金ってヤツか。物乞いをするヤツもいればこんな車に乗るヤツもいる。ソ連崩壊後10年でこんなにも差がついてしまうのか…。
少し歩いて、出店でアイスを買って食った。ロシアはアイスクリーム(ロシア語でマロージナエ)が名産だそうだが、これまで一回も食っていなかった。普段余り食べないが一度くらいは食っておこう思っていたが、うわさ通り結構うまかった。
赤の広場まで戻り、グム百貨店に入る。百貨店と言っても中はショッピングモールのようになっており、西側で有名なブランドの店舗が並んでいる。ロシアの物価に慣れたオレには皆高そうでちょっと入りづらい雰囲気だ。一通り回って、再び赤の広場に出ると、さっきより人通りが多くなっていた。昨日と比べても遥かに多い。ふと見ると警官がスピーカーマイクを持って何やら喋っている。周囲の観光客は徐々に移動し始めた。どうやら広場を出るように言っているようだ。「なんだ、ここも追い出されるのか?」俺も長居していてもマークされると思い、それに合わせて外に移動する。10分程で広場は数人の警官を除いて誰もいなくなってしまった。広場の入り口には柵が並べられている。柵の前には警官が立って見張っているが、あまり張り詰めた感じはない。ほんの少し前は人でいっぱいだったとは思えないほど静まり返った赤の広場。いったい何があるのだろう。
しばらくすると、ロシア軍のジープが次々に到着した。クレムリンの城壁をバックに整列したアーミーグリーンのジープ。辺りの雰囲気は一変した。さっきは観光客が行き来していて観光地という雰囲気だったが、そんな感じは今はない。この光景だけを見るとソ連時代を思い起こさせる。ここに来るまでイメージしていたクレムリンの雰囲気がコレだった。少し危険な感じを期待してここに来たのに、実際に赤の広場やクレムリンを歩いてみると観光地化してしまった感じで、少し物足りない気がしていたが、こういう場面を見られるとはラッキーだ。ロシア製の高級車も到着し、中から軍の高官らしき人も降りてきて広場の方へ向かっていった。今日は5月9日の戦勝記念日の式典練習なのだろうか。
近くの道路では警官がバイクで待機していてスピード違反の取り締まりをやっていた。30分位で3台も捕まえていたが、結構マメな警官だ。それにしても、すぐ近くの広場では軍隊が集まり始めているのに、こんな近くで取り締まりをするものなのか。普通は通行止めにするような気がするが。
しばらく辺りをウロウロしていたが、その後の動きがなかったので、一旦ホテルに戻って出直すことにした。ホテルに戻って数分すると、外から大きな声がした。号令のような声だ。もしかして始まったのかと思い、慌ててホテルを出た。広場の近くまで来ると、目の前をロシア軍の兵隊さん達が続々と行進して広場に入っている。「おお!これはすごい」皆唄を歌いながら行進している。ものすごい人数だ。いったい何千人いるのだろうか。
手にはライフル銃を持って行進する兵士達。しかし、あまり怖さは感じない。北朝鮮のニュースなどで見る、足を曲げずに歩く一糸乱れぬ行進と違って、ロシア軍の兵士はリラックスして普通に歩いているし、列の後ろのヤツらは結構ダラダラ歩いていていて、コイツら訓練してるのか?って位に足並みが揃っていない。少し規律の無さを感じた。おそらく自衛隊の行進の方が遥かに統制が取れているだろう。ソ連時代はこうではなかっただろうが、時代の変遷を感じた光景だ。しかし、大国ロシアの軍隊がこんな感じでいいのだろうか?この先この国がどうなっていくのか少し心配になった。
周囲に見物人は疎らだ。おそらく個人旅行者が少ないのと、団体旅行者はこういった臨時のイベントは予定に入れていないからだろう。地元の人には別に珍しくもないことで、ソ連時代ではないから来る義務もないということだろうか。
しばらく続いていた行進が途切れたので、もう終わったかと思い、行進していた道路を横切り、城壁の方へ移動した。遥か遠くの広場の中央では、行進した兵隊が整列している。何枚か写真を撮っていると、またも遠くから唄を歌って兵隊さんが続々と行進してきた。これもまたすごい人数で、なかなか途切れなかった。おそらく全部で1万人位はいるだろうか。これだけの数を一度に見る機会なんてめったにないだろう。初めてロシアに来たのにこういうのが見られるとは…、オレってついてるのかも知れない。
ようやく入場も終わり、勢揃いした兵隊が広場の中で行進訓練をしている。観光客だけの昼間とは対照的な光景だ。とても同じ場所とは思えない。一瞬ソ連時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。ただ緊張感はあまり伝わってこなかった。それにしてもこの広場って不思議な所だ、昼間は観光地で夜は軍の訓練場所に変わるなんて、日本じゃあ考えられない。皇居か国会議事堂で自衛隊が訓練するようなものだ。時刻はもう9時を過ぎて薄暗くなり始めた、これから何時までやるんだろうか…。
城壁前からだと遠くて見にくいので、グム百貨店側に移動してみる。広場に近い道路には柵が設置されていたが、さっきの城壁前からより遥かに近く見え、人も多い。柵のすぐ向こうには一部の兵士が休憩している。柵といっても高さは1m位で、見物客はそこに肘をついて柵越しに兵士達と話しをしていた。兵士の中には見物客からタバコを貰っているヤツもいて、一緒に話し込んで吸っている。向こうでは別の兵隊が訓練中だというのに、モラルのないヤツらだ。さっきのダラダラ行進もそうだが、こんな光景を見るとロシア軍の威信も地に落ちた感じがする。
時間はもう10時近くなり、辺りは暗くなってきた。まだ終わる気配はないが、そろそろ飽きてきたのでホテルに戻ろうとそこを後にした。ホテルの近くまで来たが、ライトアップされたクレムリンがきれいだったので、遠くから写真を撮っておこうと、モスクワ川を渡る橋まで行った。ここからの眺めはなかなかいい。昼間は城壁内の聖堂の屋根がキラキラ光って奇麗だったが、夜はまた違った趣がある。ライトアップされたクレムリンは非常に神秘的だ。
ここにも何人かの兵士がいたが、皆橋の上で騒ぎながら記念写真を撮っている。コイツらサボりか?。無視して写真を撮っていたら、話し掛けて来やがった。なんだ?と思ったら写真を撮ってくれとのジェスチャー。仕方なく2枚撮ってやったら、その内の1人が、おまえも撮ってやるぞとオレのカメラを取り上げ、自分が被っている帽子をオレにかぶせた。それを見た別の兵士が自分のベルトを取ってオレの腰に巻き付けた。別にいいよと思っていたが無理やり撮られてしまった。
それにしても、コイツらほんとに軍人なのか?。ソ連時代だったら絶対許されないだろうが、今はこんなヤツらがいるのも当たり前になったということか。カツアゲ警官といいサボリの兵士といい、旅行前に抱いていたロシアのイメージは大分崩れてしまった。こんなことではロシアが立ち直るのは長い時間が掛かるかもしれない。
橋の上から見るクレムリンの景色は昔と変わらないだろうが、そこから湧き出る力強さや活気は感じない。そう言えばウラジオに着いて以来、ずっとそうだった。2年前台湾に行った時は、町中が活気に満ちていた。至る所が建設ラッシュで、道路を走ると車と車の間をスクーターが埋め尽くして、我先にと前に行く。恐いくらいにエネルギーを感じた。ほんの3日間の滞在だったが、結構衝撃を受けた。帰国してみると、台湾とは対照的にあまりにも日本が静かなことに初めて気が付いた。日本では湧き出るエネルギーというものを全く感じなかった。しばらくの間は、いつも何気なく見ていた風景も台湾と比較してみていた。今はその記憶は薄れてしまったが、ロシアに来る前は、そういったエネルギーも感じたいと思っていたが、そうではなかった。しかし、この国がこれからどうなっていくのか興味がある。
時刻はもう10時半。そろそろ戻るかとホテルに向かった。途中から昨日痛めた足がまた痛くなってきた。歩くのが辛い。何とか部屋まで戻ったがもう歩けそうにない位に痛い。風呂に入ってゆっくりマッサージしたが、痛みは取れなかった。明後日移動だから、何とか明日中には直って貰わないと困るな。
テレビを付けると、WCの特集で日本の会場の紹介をやっていた。日本のアナウンサーが喋っているものを吹き替えていたが、日本の情報は出発してから初めてだ。CMでも日本企業は全然出てこない。そう言えばなぜかプーマのCMでジュビロの高原がアニメで出ていたのを1回だけ見たが、日本関係はこれだけだった。それに比べ韓国企業のCMは非常に多い。LG、三星をはじめとして、カップ麺会社のCMもやっていた。いったい日本企業はどうしたんだ。これほど日本の露出が少ないとは…。そろそろ日本の情報に飢えて来た。1ヶ月間も旅行してこの期間の情報が全く欠落してしまうのも何だか気持ちが悪いし、どこかで情報を仕入れないと。
その後別のチャンネルに回したら何とK-1をやっていた。「おっ!マークハント」これはラッキーと思って見ていたが、知らぬ間にソファーで寝てしまった。目が覚めたら、4時半だった。やはり結構疲れていた。テレビを消して床に就いた。