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残像(後編)

                                        

宮崎康子

 

 ミーティング場に着くと、そこは、当時でも、もうほとんど見かけることのなくなっ

たトタンぶきの、工場の資材置き場に扉とガラス窓をつけただけのような粗末な掘っ立

て小屋だった。のり子が開けてくれた建て付けの悪い扉から中を覗いた令子は、入り口

で立ちすくんだ。垢で黒ずんだ顔に、ありったけの服を着こんで膨れあがり、大きな紙

袋を抱えた、まさにホームレスそのものの男たちがストーブを囲んで談笑していたから

である。笑顔の口元に歯の無い人が多かった。後(のち)に聞いたところによるとアルコ

ールで歯の根が溶けてしまうのだそうである。

 だが、のり子はためらいもせず入って行く。仕方が無いので令子も後に続いた。男た

ちはみんな、にこにこしながら、二人に道を空けてくれた。のり子は、男たちの方を見

ながら、みんな山谷で路上生活をしていた人たちだが今は酒を止めることが出来て、そ

の喜びでああして笑っているのだから、怖がることはないと説明してくれた。そしてミ

ーティングは七時からで、それまでに少し時間があるから二階の事務室に行って、所長

と話をするよう勧めた。

 ぎしぎしと軋む狭い階段を昇っていくと、殺風景で雑然とした、小さな部屋があった。

男臭い匂いが漂っている。二、三人の人が机に向かっていたが、のり子はその内の一人

に「所長」と声をかけ、「新しく来た人です」と令子を紹介した。呼ばれた男は頭を上

げた。半白の髪と穏やかな目が親しみ易い感じを与えている。彼は令子の顔を見て、

「ああ、どうぞ」と脇にある背もたれの無い椅子を指した。言われるままに座ると、脚

の長さが不揃いで、がたがたと落ち着かない。

 所長は、自分もかつてはアルコール依存症だったが、今では酒をやめて三年になると

言いながら、アルコール依存症とはどういう病気か、また立ち直るためにはどうすれば

良いかを、慣れた調子で静かに説明してくれた。

 彼の話によると、アルコール依存症は先天的な?体質”による?病気”で、進行性のも

のであり、呑みたくないのに呑まずにはいられず、その結果本人の人格が崩壊するのも、

周囲の人間との関係を壊してしまうのもみな病気の?症状”であって、本人の責任ではな

い。そして問題行動を起こすばかりでなく、病気が進めば死に至ることも多いが、ミー

ティングに出て、自分と同じような経験をしてきた他の人の話に素直に耳を傾け、それ

らの話を通して長年嘘で塗り固めてきた自分の心を掘り起こし、奥底までごまかさずに

見つめ、それをみんなの前で正直に話して行けば必ず回復する。ここにいるのは元依存

症だった人たちばかりだから、誰しも同じようなことをしてきている。たとえ、ある人

はそれを行動に移し、ある人は心のうちに秘めておいたにしても、考えたことはみんな

ほとんど同じだ。だから何も恥ずかしがることは無い。ミーティングは、どんなことを

話しても許される場だし、話が外部に漏れることも決してない。誰も名前さえ告げなく

て良いのだし、聞いたことは外では口にしてはいけない決まりになっているのだから。

従って、ミーティングの中で、安心して、全ての偽りを捨てて、自分の本当の姿を見つ

め続けていけば、アルコールが止むだけでなく、人間的にも回復する。しかし依存症に

なる人は、元々いわばブレーキの効かない体を持っているのだから、何年禁酒していよ

うと、いったん一杯呑んでしまったら、全てもとの木阿弥になる。だから、呑まない人

生をまっとうしたかったら、これからは生涯一滴たりともアルコールを口にすることは

出来ない。しかし社会に出ればアルコールは至るところにつきものであるから、その中

で呑まない人生をまっとうするためには、ミーティングに出続け、自分がアルコール依

存症者で、一口でも呑んだら最後、獣道(けものみち)を歩むしかなくなるということを

忘れないようにしなければならない。

一通り話を終えると、所長は令子に自分のことを話すようにと促した。所長が淡々と

“病気”と“回復”について語るのを聞いているうちに、自分の酒の飲み方についての

謎が解けたように感じ、近来になく素直な気持ちになった令子は、今までひたすら隠し

続けて来たこれまでの行状を語った。

 話を聞き終えた所長は、それは間違いなくアルコール依存症であって、この病気は進

行性のものであるから、放置しておけば必ずどんどん悪化して行って、次第に仕事も家

族も失い、社会的には廃人となり、ついには死に至る。従ってすぐに治療を始めること

が肝要である。そのためには、まず三ヶ月間休職して、朝、昼、晩と一日三回のミーテ

ィングに出なければならない。休職するために必要なら嘱託の医師に頼んで、診断書を

書いてもらうこともできると言った。

 大学の教員という肩書きにしがみつくことで、社会的生命を保つために必要な最低限

のプライドを保っていた令子にとって、三ヶ月間休職するというのは大変抵抗のあるこ

とだったが、所長は、最初は一日三回のミーティングに出なければ決して酒は止まらな

い、酒の魔力というのはそれほど強大なものなのだからと言う。令子は黙り込んで考え

ていたが、しばしの後に「では、そうしますから、診断書をお願いします」と答えた。

 さらに所長は令子の身辺の人間関係について尋ねた。母と恋人がいると答えると、ア

ルコール依存症者の場合、周囲の人間との関係は必ずこじれているから、その中に再び

身を置くと心の平静を失うので再飲酒につながる危険性が大きい。だから、母親とは一

年間、恋人とは三年間会ってはいけないと言った。母と一年間会えないことは、それく

らいの距離をおくのが丁度良いかも知れないと思えた。でも、潤一郎さんとは三年もの

 

間会えない? そんなつれないこと・・・・・・ 酒を止めれば、すぐにでも元のよう

な関係に戻れると思っていた令子は、思わず「えっ」と驚きの声をあげた。所長は静か

に「三年間」とだけ繰り返した。令子は首をがっくり落として眼を閉じた。かなり長い

沈黙が続いた。膝の上に置いた両手がぶるぶると震えている。所長も何も言わずに、じ

っと令子の姿を見つめて、答えを待っていた。いつしか周囲の人々も静かになっていた。

しばし静寂が流れたが、ようやく令子は顔を上げ、所長の目を見て

 「分りました」

ときっぱり答えた。室内にほっとしたような空気が漂った。

 その夜令子は、ミーティングなるものに始めて出た。出席者は二十人程で、この間ま

で山谷のホームレスだったが今はこの会の宿舎に寝泊りしている人が大部分だったが、

中にはのり子のように、ごく普通に見える通いの人もいて、それぞれが、自分が呑んで

してきたことと、現在の生活や精神状態を話した。誰もそれについて批判したり、忠告

を与えたりすることはなく、ただ順番が来ると、名前も言わずに、座ったまま、自分自

身の過去と現在とをとつとつと語るだけだった。

 令子は、当然のことながら、最初は、今までの人生で触れ合ったこともない種類の人

々と同席することに違和感があった。しかし、しばらくみんなの話を聞いているうちに、

どの人の話の中にも自分と共通するものがあることに気づいた。それは何とかして酒を

止めたいと様々な努力をしてみたがどうしても止められなかったことと、飲めば必ず反

社会的な行動をしてしまうことだった。中には、泥酔して法に触れることをし、何度も

刑務所に入った経験のある人もいた。殺人を犯した人さえいた。しかしみんな、この断

酒会のお陰で酒を止められて、今は社会人として人に後ろ指さされない生活を送ること

が出来ている喜びを語った。みんな同じなのだ。その上この人たちの中には、飲んで、

わたしよりひどいことをしてきた人もいる。それでも今は酒を止めて、人間らしく生き

ているのだ。それならば、もしかしたら、わたしにも出来るかも知れない。令子は一縷

の希望を抱いてミーティング場を出た。その夜令子は呑まなかった。

 翌日の朝は、呑まないように、起きるとすぐ身支度を整えてミーティング場に行き、

嘱託の医師に「自律神経失調症により三ヶ月の休養を要す」という診断書を書いてもらい、

各大学の主任教授に電話でその旨を伝え、診断書は午後教務課に届けておくことにした。

どの教授も、以前から令子の様子がおかしいことに気づいていたのか驚きもせず、授業

は代講の人を探すし、学年末の試験もこちらでするから、安心してゆっくり静養するよ

うにと言ってくれた。十一月末のことで、三ヶ月の休職期間が終わる頃には春休みに入

っているから、正式に復職するのは翌年の四月からと決まった。非常勤講師は一年契約

だが、翌年の契約は十月にもう済んでいるので病欠を取っても何の問題もなく復職でき

るし、休職期間中の給料を減らされることもない。令子はどの大学でも先生方からいた

わられて、気に病んでいた問題が簡単に片付きほっとした。

 そこまで終って時計を見ると意外に時間がかかっていて、もう昼になっていた。近く

 にいた前歯のない男が、

 「めしの時間だよ」

 と誘い、宿舎の食堂に連れて行ってくれた。まだ仕事に就いていない二十人位の壮年

の男たちと、いろいろな年齢の数名の女たちが、手作りのような粗末なテーブルに向か

って、談笑しながら食事をしていた。後(のち)に聞いたところによると、会員たちは、

今でこそ山谷の路上生活から拾い上げられて、朝、昼、晩と一日3回のミーティングに

出ることで日々を過ごしているが、以前はみんな何らかの職業を持っていたわけで、

それがここでは大変役に立っているそうだ。元床屋さんだった人は仲間の頭を刈り、

元板前さんだった人は食事を作り、元大工さんだった人は本棚やテーブルを作り、とい

う具合にである。

 その日の昼食の献立は牡蠣のシチュウとサラダだった。夜の献立も壁に貼ってあって

白身魚のフライキャベツ添えと野菜の煮物、味噌汁となっていた。令子はもうためらわ

ず、大きな紙袋を抱えた人たちと一緒にテーブルにつき、食事をした。まだみんなと談

笑するというところまでは行かなかったが、聞かれたことにはきちんと答えて、左程の

違和感は与えなかったようだった。食事は元プロのコックさんが作ったものだから美味

しかったし、最初はどうしても構えが取れなかった令子も、仲間たちが、呑んでいた時

の行状について、明るく開けっ放しに語り合っているのを聞いているうちに心がほぐれ

てきて、食事が終わる頃には笑顔さえみせるようになっていた。

 食事が終わると、診断書を各大学の教務課に提出に行った。これは、それぞれの大学

の教務課の担当者に手渡すだけだったから、気は楽だったが、4つの大学を回るとかな

り疲れたので、家には帰らず、真っ直ぐ断酒会の宿舎に行った。その方が飲酒してしま

う危険性が少ないだろうという計算もあった。

 宿舎に戻ると、一緒に昼食をした仲間たちが、口々に

 「お帰り!ご苦労さん」

 「疲れただろ。コーヒー淹れてやろうか?」

「何にも言われなかったろ? そんなもんさ。ごたごた考えてるのは自分だけで、人

は他人のことなんか、全然気にしちゃいないのさ」

 と迎えてくれた。その暖かさは令子を涙ぐませた。

 仲間の淹れてくれた甘すぎるインスタント・コーヒーを、手が震えないように、両手

でしっかり持って、口を近づけるようにして飲んで一休みすると夕食の時間になり、ま

たみんなで一緒に夕食を食べた。今度は令子も少し慣れてきて、今日あったことをぽつ

ぽつ話した。何を構える必要も、隠す必要も無く、くつろいでおしゃべりしながら食べ

る食事は、いつになく美味しかった。そしてその後は、それぞれ自宅に近いところで夜

のミーティングに出るために「さよなら、またあしたね」と声をかけ合いながら散って

いった。

 令子も自分のマンションから電車でひと駅のところにある、精神病院の集会室を借り

て行われるミーティングに出て、窓に嵌められた鉄格子や、どこからともなく絶え間な

く聞こえてくる甲高い大声やらに脅えながらも、昨夜よりは真実に近い過去の行状を話

し、強大な破壊力をもつアルコールの呪縛から少し解放された気分になって、「またあ

したね」とみんなで声をかけ合いながら別れ、自宅に戻った。だがその帰り道令子は、

前夜酒を切ったために一睡もできなかったことを思い出し、また今夜も眠れなかったら

どうしようと、全く眠れぬままに迎える明け方の辛さで頭が一杯になり、他の事は考え

られなくなってしまい、何の抵抗も覚えず、開いていた酒屋に入り、ウィスキーを一本

かってしまった。それを手にすると、もう呑むこと以外は何も考えていなかった。

 もうこうなってはブレーキは効かない。断酒会のこともすっかり頭から消えてしまっ

た。いいわ、眠るためだけなんだから、少しだけ。本当に一杯だけ・・・・・・そして

彼女はいつも通りぶっ倒れて眠り込んでしまうまで呑んだ。

 翌朝の令子は、目が覚めても起き上がる気力さえない程落ち込んでいた。所長はミー

ティングに出さえすればアルコールは止まると言った。わたしはちゃんとミーティング

に出たのに呑んでしまった、他の人はみんなミーティングに出たら酒が止まったと言っ

ていたが、わたしはミーティングから帰った夜に呑んでしまった。わたしは回復不能な

のではないだろうか? と暗澹たる気持ちになり、まず家中の酒を、友人たちのフラン

ス土産、ロシア土産も残っている中身は全部流しに捨て、ビロードの布袋に包まれた洒

落た空き瓶も焼酎の瓶も全部、屋外の不燃物置き場の大きなバケツの中に入れた。そこ

まで済ませて、あと家の中に残っている酒はないかもう一度点検して、それから9時に

始まる朝のミーティングに行った。そして前夜呑んでしまったことをおずおずと、みん

なの前で話したが、みんな微笑んで聞いているだけで、責める者はいなかった。所長は

「依存症なのだから飲んで当たり前。今日から一日三回のミーティングに出て、生まれ

変われば良いのさ」と事も無げに言った。その日令子は、朝、昼、晩と三回ミーティン

グに出た。そして、20年近くの間あれほど令子の人生を蹂躙してきた酒が、その夜から

ぴたりと止まった。

 

 最初の一週間は禁断症状が出て、とても辛かった。そんなことが可能かどうか分らな

いが、一週間全く眠れなかった。横になると全身からつるつると汗が流れ出すのが感じ

られ、一晩に二度も三度も寝巻きを着替えなければならなかった。起き上がると手ばか

りでなく、首や膝も小刻みに震え続けた。さいわい幻覚は出なかったが、眠れないのが

何より辛く、呑めば眠れると何度自動販売機に走ろうと思ったか分らない。苛立って、

着替えた寝巻きをベッドに何度も叩きつけたり、床に投げて踏みにじったりした。さい

わい一人暮らしだったからその姿は誰にも見られなかったが、真冬の夜、半裸の女が、

暖房も入れてないのに、汗を拭き拭き寝巻きを振り回し、踏みにじっている姿は、狂人

のようであっただろう。

 ミーティング場に行っても、冬だというのにひっきりなしに大汗を拭いていたし、コ

ーヒーを飲もうとしてもカップを持つ手が震えて、口元まで運ぶ間にこぼしてしまう有

様だった。だが断酒会の仲間たちは皆一様に、自分も酒を止めてしばらくはそうだった

と言ってくれた。どうしても眠れない話もした。仲間のうちの半分くらいが同じ経験を

していた。みんな口々に「1週間の我慢だよ」と言ってくれたが、一週間も眠れないと

いうのは、考えただけぞっとするほど辛いことで、一人だったらその場で呑んでしまっ

たに違いない。だが仲間がいた。みんなこの辛さに耐えたのだ。そして今日(こんにち)

の生きる喜びを手に入れたのだ。令子は、誰もが同じ苦しみを経験し、乗り越えたのだ

という連帯感に支えられて、禁断症状の辛さをどうにか耐え抜いた。目の前に、生きた

手本がいることが、希望を与えてくれたので、精神的には落ち込むことは少なかった。

確かに、仲間たちが教えてくれた通り、1週間経つと段々に楽になってきた。

 禁断症状がおさまってからは毎日がすがすがしかった。令子は、復職するまでの四ヶ

月間、雨の日も、雪の日も一日三回のミーティングを欠かさなかった。そして一日一日

と呑まない日を重ねて行くうちに、これなら自分も酒を止められるかも知れない、とい

う自信のようなものが生まれて来た。断酒会の仲間たちにも、表情が明るくなったと言

われた。そのはずである。自分自身に絶望していた者に、自分にも出来るかもしれない

という希望が与えられたのである。

 その気持ちが反映してか、目に映るもの全てが美しく見えた。夜のミーティングに向

かう道筋にある果物屋に並べられたりんごの紅の艶やかさ、朝起きてカーテンを開ける

と窓のガラスに貼りついている氷の結晶の、自然の妙とも言える繊細な模様の面白さ。

令子は、今までは全く目に入らなかった様々なものに見とれて、思わぬ時間を過ごした

りした。

 数週間が過ぎ、大分落ち着いて来た時、夜のミーティングから帰った令子は、ふと潤

一郎に電話しようと思い立った。プッシュフォンのボタンを押すと、すぐに彼が出た。

令子の声の調子から飲んでいないことが分ったらしく、穏やかに応対してくれた。令子

は、ここ数週間の自分の行動について逐一語った。所長の話も告げた。潤一郎は静かに

相槌を打ちながら聞いていたが、「三年間会ってはいけない」と言われたと言うと、驚

いた様子もなく即座に

「三年くらいすぐ経つよ」

と言い、

「その調子で頑張ってくれよな」

と付け足し、

「じゃあ、こちらからは電話しないから、時々様子を聞かせてくれよ」

と言って切った。令子は嬉しさのあまり、すぐには受話器を置く気にならず、しばし耳

に当てたままでいた。潤一郎さんは待っていてくれる。三年経ったら、また元のように

なれるのだ・・・・・・

 

 それから三年間、令子は潤一郎に再び会える日を楽しみに、断酒会の活動に励んだ。

 

 春休みが終わるまでの四ヶ月間は、毎日三回のミーティングに出た。復職の日が近づ

くに従って、飲まずに、学生たちの前に立って話が出来るだろうか? 手は震えないだ

ろうか? 職場の同僚たちは、自律神経失調症などという診断書を出した自分をどう思

っているだろうか? と様々な不安に駆られたが、それもミーティングで包み隠さず話

した。もう就職している仲間たちが

「おれたちもそうだったが、大丈夫。案ずるより産むが易しだよ」

とか

「何でも一番気にしているのは自分だよ。人は他人のことなんか何とも思っていないよ」

と励まし、勇気付けてくれた。そしてその言葉通り、緊張し切って登校した令子を、教

授や同僚たちは、

「顔色がとても良くなった」

とか

「明るくなった」

と言って、暖かく迎えてくれた。

 飲まずにする始めての授業に対する不安は、教室のドアを開けるまで続いたが、始め

てしまえば、以前のように、話している途中で投げやりになり、手抜きすることもなく、

最後まで丁寧に説明を続けることが出来て、自分でも満足した。黒板に字を書く手も震

えなかった。

 こうして、昼間は仕事をするようになったので、ミーティングは一日一回、夜だけに

なったが、令子はそれを、疲れ切った日も、風邪で熱がある日も、欠かさなかった。

 休日には、呑んで苦しんでいる人たちに、断酒会の存在とその効力を知らせる為の様

な活動があった。主なものは、精神病院のアルコール病棟のデイケアルームに行って、

アルコール依存症で入院している患者さんたちの前で、断酒会の仲間たちが一人づつ、

自分が呑んでして来たこと、回復のきっかけとその過程、そして呑まずに生きる喜びと

を語ることだった。令子は、自分が救われるきっかけになったのも、新聞に出ていた体

験談であったことを忘れず、なんとか今アルコールで苦しんでいる人たちに、この喜び

を伝えたいと機会ある度に出来る限り参加した。最初は違和感を覚えた断酒会の仲間た

ちとも心が通じ合うようになり、どんなことでも話し合える本当の家族以上の関係にな

った。勿論、気の会わない仲間もいたが、お互い、アルコールに人生を蹂躙された者同

士だったから、話がそのことに及べば、小さないざこざは水に流すことが出来た。全て

が上向きだった。飲まずに迎える朝は、いつも爽やかで希望に満ちていた。

 一年経って、母と会うことが許される時が来た。令子は母に、自分がアルコール依存

症になったことは知らせず、仕事が忙しいのでしばらく行かれないと言っておいただけ

だった。それにしては一年間というのは長過ぎ、母も何か事情があるに違いないと薄々

気づいてはいたらしかったが、元々なんでも話し合う家庭ではなかったから、今度も何

も尋ねはしなかった。ただ二人とも一人暮らしだったので、電話だけは毎朝かけ合って

お互いの無事を確かめ合っていた。

 そして一年ぶりの再会の日、母は特上の寿司を取って待っていてくれた。令子は大き

な鉢植えのポインセチアを買って行った。母の淹れてくれた美味しい煎茶を飲みながら

寿司を食べ、特別なことは何も話さず、ただ母の最近の生活ぶりや、近所の人や親戚の

人の近況など細々とした話題に時を過ごして別れた。

 それからは、断酒会の活動のない週末には、出来るだけ母と会うようにした。母の家

に行くこともあったし、一緒に買い物や食事に出かけることもあった。令子自身の心に

未来へ向けての希望が生まれていたお陰か、大抵の時は楽しく過ごすことが出来たが、

それでも長時間一緒にいると、過去の嫌悪感が蘇ってくることもあった。だが今では、

それを心の内に秘めておくことが出来るようになっていた。そのかわり、そういう日は、

夜のミーティングで葛藤の辛さ、根深さを語り、問題を一人で抱え込まないようにして

帰ることにしていた。

 しかし、母との和やかな時は長くは続かなかった。翌年二月の寒い夜、母は、入浴中

に突然亡くなった。近くに住む親戚の人が、いくら電話しても出ないので心配して見に

行ってくれて、発見したのだった。知らせを聞いて令子が駆けつけた時には、全ての処

置が終わって、母は布団に寝かされていた。顔には白い布がかかっていたが、風呂のガ

スがつけっ放しだったため湯が沸騰し、火傷をしているから見ない方が良いと葬儀屋に

言われたので、最後の別れは出来なかった。令子は、心の底では、深く母を愛していた

から胸を引き裂かれるような悲しみを覚え、通夜の間中泣いていたが、同時にこれで長

い長い葛藤が終わったという開放感を抱いたことも否めなかった。そして、最後の数ヶ

月だけでも、嫌悪感を自制し、母と共に楽しい時間を過ごすことが出来たことに、ささ

やかな満足を覚えた。

 断酒会の仲間たちは、母との死別の悲しみが再飲酒につながるのではないかと心配し

て、会えば必ずいたわりの言葉をかけてくれた。先に父を亡くし、今また母を亡くし、

恋人とは未だに会うことを禁じられている令子の孤独感を案じて、毎日のように電話を

くれる仲間もいた。令子は、それらの仲間たちの思いやりに支えられて、またミーティ

ングで悲しさ、淋しさ、そして、何よりも、母との関係の中で最後まで引きずり続けた

葛藤を存分に語ったり、毎週末、断酒会の活動に参加して、一人で時間を持て余すこと

を極力避けるようにしたりすることによって、再飲酒することもなく、悲嘆を乗り越え

た。

 そうして穏やかで希望に満ちた日々が続き、令子はどんどん明るさを取り戻していっ

た。潤一郎には、数ヶ月に一度くらいの割合で電話し、近況を報告した。彼はいつも熱

心に話を聞いてくれ、「あと二年だね」とか「あと一年半だね、もう半分も過ぎたんだ

よ」と会える日までの時間を指折り数えているようなことを言い、そのたびに令子の心

は喜びに膨らむのだった。

 

 そして、長いと思ったが過ぎてしまえば短かった三年が経った。所長は令子を呼んで

「良く我慢したね」

と褒めてくれ、潤一郎と会う許可を与えたが

「但し、関係の修復には十年はかかるよ」

と釘をさすのを忘れなかった。

 その夜、ミーティングから帰ると早速、令子は潤一郎に電話した。潤一郎は

「何だか怖いようだね」

と言いながら、次の週末に外で会うことに同意した。令子はすぐに着て行くもののこと

を考えた。仕事とミーティングと断酒会の活動だけの日々を送っていたので、お洒落と

は縁遠くなっていたが、この時ばかりは、潤一郎に、綺麗になったと思わせたかった。

アルコール依存症者であるというコンプレックスがその願望に輪を掛け、たとえ少々お

金がかかろうとも、決してみすぼらしいという印象を与えないようにしよう、と心を決

めた。

 翌日は授業が早く終わる日で、ミーティングに行くまでに時間があったので、デパー

トを何軒も見て回り、ささやかなお給料には不釣合いな値段の、淡いグレーの生地にク

リーム色の太い横縞模様が入ったウールのワンピースを選んだ。小柄でやせぎすの令子

は、いつも体をふっくら見せる柄やデザインの物を選ぶようにしていた。このワンピー

スも、太いクリーム色の横縞が充分その効果をあげていた。アクセサリーには、まがい

物の黒真珠のネックレスとイヤリングを選んだ。約束の前日には美容院にも言った。

 そしてその日が来た。喫茶店で待ち合わせて、昼食を共にし、映画でも見ようかとい

うのが潤一郎の提案だった。令子は本当は、以前のように彼のマンションに行き、二人

きりで過ごしたかったのだが、潤一郎がそれを切り出さない以上、自分から要求するの

は氣が引けたし、潤一郎の意志を尊重しなければいけないという氣もあったので、うっ

ら失望しながらも、その案に賛成した。それでも、一応下着は全部真新しいものを身に

着けて行った。

 しかし新宿の待ち合わせの喫茶店に現れた潤一郎は、普段着姿で、なんだかぎこちな

い様子であたりを見回した。時間より早く行って待っていた令子は、それを、あまりに

長い間会わなかったから照れているのだろうと思った。しかし令子を見つけた潤一郎は

「やあ」

と言って片手を上げて軽く頭を下げたが、表情は崩さず、令子の座っているテーブルま

で来て向かい合って座っても、相変わらず表情は固いままで

「元気そうだね」

と言ったきり、黙って目を宙に浮かせている。一方令子は、三年振りに見る潤一郎の深

みの増した顔を、むさぼるように見つめずにはいられなかった。だが潤一郎は令子の視

線に気付くと、目が会うことを故意に避けるように、斜めの方向に視線を転じた。令子

は一瞬気まずさを感じたが、再会の喜びがすぐにそれを押し流した。令子には語りたい

ことが山程あった。断酒会に始めて行った日から今日までに経験したこと、感じたこと

の全てを伝えたくて、ほとんど一人で話し続けた。潤一郎は、時たま短い相槌を打つだ

けで、あまり興味をそそられない風だった。そしてしばらくすると

「そろそろ食事に行こうか」

と唐突に話を遮った。夢中になって話していた令子も、仕方なく同意して立ち上がった。

 潤一郎は令子に

「どこに行く?」

と相談もしないで、先に立って駅の方に向かってどんどん歩き出し、令子がついてきて

いるかどうか振り返って見もせず駅ビルの中へ入って行く。なんだ、駅ビルか、令子は

思った。彼女は、待ちに待ったこの日には、洒落たレストランに行って、ワインは飲め

なくともフランス料理でも食べたかったのである。だが潤一郎は黙ってエレベーターに

乗り、レストラン街に着くと

「ここで良いだろう?」

と同意を求めた。仕方なく令子も

「そうね」

と答え、二、三軒のぞいて回った後、和食の店に入りランチの定食を頼んだ。松花堂弁

当風の簡単な食事が運ばれて来て食べ始めたが、潤一郎は黙々と食べるだけだった。再

会に浮かれていた令子もさすがに、彼の気分を感じ始め、次第に口数が少なくなってき

た。自分のことばかり話しているからいけないのかと、潤一郎の身辺のことを尋ねたり

してみたが、彼はそれにもそっけなく答えるだけだった。

 令子が食べ終わるのを待って、潤一郎はすぐにたばこに火をつけ、

 「行こうか?」

と立ち上がり、勘定を払いに行った。令子も立ち上がり、二人はぶらぶらと歌舞伎町の

方に行き、映画館の立ち並ぶ通りに出た。令子は三年間、映画など一本も見たことがな

かったので、並んでいる看板を見ただけでわくわくしてきて、何を見ようかと迷い始め

たが、潤一郎は上映開始と終了の時間ばかりを気にしているようで、二時に始まるSF

物を見つけると

「これならじき始まるからいいな」

と面倒くさそうにつぶやき、令子に

「待たなくていいから、これで良いだろう?」

と、ほとんど決めたような調子で言った。令子は本当は恋愛物でも見たかったのだが、

二人で映画館に入れるというだけで嬉しかったので、異論は唱えなかった。

 暗闇に並んで座ると、懐かしい潤一郎の体臭が感じられて、胸の奥が熱くなり、身を

摺り寄せたい欲望を覚えた。せめて手でも握りたい。きめの細かい彼の肌の感触が生々

しく思い出された。だが潤一郎は両手を膝の上で組んで、きちんと前を向いたままでい

る。

 映画が始まったが、もともとSF物には興味が無い令子には、何だかごたごたした話

 としか思えず、途中で筋が分らなくなってしまった。というよりも関心の半分以上が、

スクリーンよりも潤一郎の挙措動作に向けられていたのである。だが潤一郎は、一度も

令子の方を向きさえせず、両手をきちんと膝の上に置いて画面に見入っていた。そうし

て二時間近くが過ぎ、映画は、令子には良く分らないままに終わった。

 場内が明るくなり、二人は外に出た。晩秋の陽射しはすでに弱々しくなり始めている。

令子はその夜はミーティングを休むことに決めていたので、できることなら夕食も共に

して、ゆっくりしたかった。それが無理ならせめてもう一度喫茶店に入り、良く分らな

かった映画の筋でも説明してもらいたかった。だが潤一郎は有無を言わせぬ口調で

「君はミーティングに行くんだろう。僕も実家に用があるから、じゃあこれで」

と別れを告げた。令子は一瞬返答につまったが、潤一郎の語調があまりにもきっぱりし

ているので、自分の望みを告げることも出来ず、仕方なく

「そう? 今日はどうも有難う。久しぶりで会えて嬉しかったわ」

と答えると、潤一郎はお義理にか、

「僕も楽しかったよ。じゃあまた電話するからね」

と言い、軽く手を振ると、人ごみの中を、振り返りもせず真っ直ぐ歩いて、駅の方へ行

ってしまった。

 令子は潤一郎の背中が見えなくなってもまだしばらく、ぼんやりその方向を見つめて

いたが、はっと気付いて視線を戻し、さて、今からどうしようかと考えた。このまま失

望感を抱えて家に帰るのでは、いかにも物足りない。かといって一人で喫茶店に入る気

もしない。それではやっぱりミーティングに行こうか、そして仲間たちに会って今日の

顛末を聞いてもらおう。そう決めると、夜のミーティングには早過ぎたが、ぶらぶらと

駅に向かって歩き始めた。

 ミーティング場に着くと、まだ二時間以上間()があったので、二階に行って所長に、

待ちに待った再会だったのに、なんとも物足りないままに終った経緯を話すことにした。

 所長は令子を見ると

 「おお、おめかしをしているな」

と迎えてくれた。そして、令子が不満気に逐一話すのを聞いて

「まあそんなところだろうな。焦っても駄目さ。そうやって一緒に色々やっているうち

に、段々に彼の気持ちもほぐれてくるんだよ。十年間さ」

と、なだめるように言った。夜はミーティングで、同じことを、もう一度話して、よう

やく、どうにか気が済んで帰った。ひどい失望感も、二回も詳しく、気の済むまで語り、

真摯に聞いてもらえれば、たとえ眠れなくとも、やけ酒に手を伸ばさずにいられる力が

湧く。

 

 数日後、潤一郎から電話があった。

 「ああ、僕だけど・・・・・・ この間はごめんね。親父に夕方来るように言われて

 いたものだから」

  令子の頬はたちまち緩んだ。数日来のわだかまりは消え、彼の父親が滅多なことで

  は息子を呼びつけたりしないことを思い出しもしなかった。

 「そうだったの。でも会えただけで嬉しかったわ」

 そして二人は、令子には良く分らなかった映画の筋立てや、潤一郎の家族や共通の友

人の近況などを話してかなり長い時間を過ごし、近いうちにまた会う約束をして切った。

 翌週また電話があった。今度は光が丘の公園を散歩しに来ないかという誘いだった。

光が丘で散歩! 潤一郎さんのマンションに行かれるかも知れない! 彼女は一も二も

無く承知した。

 約束の日は、生憎雨だった。それでも小雨だったので令子は勿論行くつもりで、すっ

かり支度を整えて、また真新しい下着を着て、出かける時間を待っていた。そこへ電話

のベルが鳴った。潤一郎からだった。

 「雨だから散歩はできないね。止めようか? 」

 令子は、自分にとっては、ここ数日寝ても醒めても頭から離れないほど待ち焦がれて

いた約束が、彼にとっては小雨くらいのことでお流れにしても良い程度のものだったの

かとがっかりしたが、もうすっかり行く気になっていたので素直に引き下がることは出

来ず、

「でも、わたし、もうすっかり支度出来ているのよ」

と食い下がった。潤一郎は

「そうか、それじゃあ家に来てビデオでも見る? 今度大きなテレビを買ったんだ」

と答た。潤一郎のマンションに行く!令子の待ち望んでいたことではないか!令子の声

音はくるりと変わって、うきうきと

「そうね。そうしましょう」

と答えた。そして二人は、光が丘の駅で待ち合わせて昼食をして、潤一郎の家に行くこ

とになった。

 令子が早々と駅の食堂街の入り口に着くと、しばらくして潤一郎もやって来て

 「雨の中をわざわざどうも」

と冷やかすように言った。簡単に食事を済ませて潤一郎のマンションに行くと、ドアを

開けた瞬間に、もう部屋中に染み込んでいる、馴染み深いタバコと整髪料の入り混じっ

た匂いが流れて来た。何も変わっていなかったが、確かにテレビだけは、壁一杯のとて

も大きなものになっていた。潤一郎は手回しのミルで豆を挽いて美味しいコーヒーを煎

れてくれ、それから山のようにあるビデオの中から、「これは面白いよ」と言ってヒッ

チコックのものを選び出した。そして令子のためにテレビの前にソファを移動させ、自

分は少し離れた場所に椅子を持って来て座った。

 長いビデオだったがスリルに満ちていたので飽きもせず見て、終わるともう日が翳り

 始めていた。

 「ミーティングに行くんだろう?」

 「今日は休んでもいいんだけど・・・・・・」

 「いや、行った方がいいよ。でもその前に残り物しか無いけど、うちで食事をして行

 けば?」

 二人は並んで台所に立った。牛肉とねぎが冷蔵庫に入っていたので、あとは有り合わ

せの野菜を入れて、すき焼きの真似事のようなものを作った。大根のしっぽが10セン

チくらい残っていた。潤一郎は

「こいつも薄く切って入れちまおうぜ」

と大根を縦に4等分してそれを薄切りにし始め、令子は

「ええ!すき焼きに大根入れるの? そんなの聞いたことないわよ」

と言いながら、また冷蔵庫を開けて、きゅうりが一本残っているのを見つけるとはしゃ

いで

「よし、じゃあこいつも入れてしまおう」

ときゅうりを斜めの薄切りにした。それを見た潤一郎は

「よしよし、うまかんべ」

「あら、トマトもあるわよ」

「よし、それはわっかに切ろう」

「鯵の干物も一匹残っているわよ」

「よし、それは丸ごとだ」

「私、すき焼きの味がする干物なんか食べたくない」

「駄目だよ。電気を消して食べるんだから」

「えー!闇汁? 」

「そうさ」

「それじゃ、このスリッパも入れちゃおう」

「駄目だよ、食べられるものだけだよ」

「トイレのタオルは? 」

「駄目駄目、食べられないじゃないか」

 さいわい冷蔵庫はこれだけで殆ど空になったので、闇汁作りはこれで終わり、二人は

上機嫌で、電気をつけたまま食卓についた。食事を始めても、潤一郎は令子に合わせ

てか、酒を飲まなかった。それでも話は弾み、彼は次々と冗談を言って令子を笑わせた。

令子は何もかもが昔に戻ったような錯覚に陥り、浮かれて些細なことにも大声で笑った

りした。しかし楽しいひとときが終わってお茶を飲むと、潤一郎はすぐに「さあ、遅れ

ないようにもう行った方がいいよ」と言った。令子は本当に、たまにはミーティングを

休んでも良かったのだが、その言葉に従って、別れを告げ、外に出た。まだ冷たい雨が

降っていたので、傘を開いて駅までの道のりを歩いたが、時折無意識のうちに鼻歌を口

ずさんでいた。

 数日後、令子は、また潤一郎に電話をかけた。呼び出し音が鳴り、じきに彼が出た。

 「ああ、君か。何? 何か用?」

 先日とは打って変わったぶっきら棒な応対だった。少し甘えた気持ちでプッシュフォ

ンのボタンを押した令子は、冷水を浴びせられたような気がして絶句したが、それでも

潤一郎の声を聞いていたかったので何とか会話をつなげようとした。

 「別に用じゃないけど。このあいだは楽しかったわ。どうも有難う」

 「いや、別に・・・・・・」

 「ビデオ面白かったわ」

 「そう、良かったね」

 「雨で公園を散歩出来なかったのは残念だったけどね」

 「そうだね」

 「それで、元気?」

 「まあね」

 取りつくしまもなく、令子も、もう何を話したら良いのか分らなくなり会話が途絶え

 た。すると間髪を容れず潤一郎が言った。

 「じゃあ、これで。用は無いんだろう? 切るよ」

 ガチャリと受話器が置かれた。「また、かけるよ」とも言ってくれなかった。一体ど

うしたというのだろう? どうして今日はこんなに素っ気無いのだろう? 数日来、先

日の余韻の中で心楽しく過ごしていただけに驚きと失望は激しく、令子は切られた受話

器を握ったまま、その場に立ち尽くしていた。この前会った時、何か潤一郎さんの気に

さわるようなことをしたのだろうか? もう飲んでいないのだから、潤一郎さんの嫌が

ることは何もしていないはずなのに、どうして、今日はわたしを拒むのだろう? あの

人はまた心を閉ざしてしまった。そしてわたしには、その理由が見当もつかないのだか

ら、どう働きかけたら良いのか皆目分らない。令子は何日もの間、どうして? どうし

て?と自問しながら悶々として過ごした。

 ところが、それから二週間ばかりして、また潤一郎から電話があった。のっけから明

 るい調子で

 「この間はごめんね」と言った。

 「何のこと?」

令子は平気な風を装って尋ねた。

 「なんだか早く切りたくて仕方がないようなことばっかり言っちゃってさ。あの時は

うちに急ぎの仕事を持って帰っていたものだから

 しかし令子は、彼がとても人を大切にする性格で、仕事があるからといってあそこま

で冷ややかな応対はしないことを、長い付き合いで知っていた。それでも電話をくれた

というだけで嬉しかったので、さりげなく答えた。

 「そう、大変だったのね。忙しい時に邪魔をしてごめんなさいね」

 その日、潤一郎は上機嫌で、会社での対人関係のことや、共通の友人たちのことを面

白おかしく語って令子を笑わせた。そして、かなり長い間楽しくおしゃべりをした後で、

ふと思いついたように

 「今度、一泊で旅行に行こうか?」

 と言った。令子は我が耳を疑った。驚きのあまり一瞬言葉が出てこなかったが、すぐ

 に我に返って

 「本当に? 行きましょう、行きましょう」と喜びもあらわに答えた。

 それから二人は、どこに行こうか相談したが、令子は一緒に旅行に行かれるのならそ

の他のことはどうでも良く、全て潤一郎の意見に賛成した。そして結局、どこか近郊の

温泉宿に泊まって、鍋料理でも食べようというところで落ち着いた。潤一郎は暮れも間

近で忙しかったので、細かいことは全部令子に任せられ、彼女が東京近郊一泊旅行の本

を買って計画を立て、列車や旅館の手配をすることになった。彼女は近年、旅行などし

たことがなかったので、よく色々な所へ出かけている友人に尋ねて、青梅の先の方にあ

る、こじんまりしているが料理が美味しく落ち着けるという宿を選んで予約した。幸い

まだ年末の込み合う時期には少し間があったので、すぐに次の週末の予約が取れ、令子

は潤一郎にそのことを報告し、待ち合わせの場所と時間を決めた。それからの令子の頭

の中は、旅行のことで一杯だった。また新しい服を買った。寒いといけないので黒い皮

のパンツをはいて、とっくりのセーターに綿の入った厚手のジャケットを着て行くこと

にした。山歩きが出来るように靴は履き慣れたズックのものにした。美容院も行った。

下着も綺麗な刺繍の入ったものを買った。後はその日を待つばかりだった。

 木曜日の夜、ミーティングから帰って来ると、電話のベルが鳴った。受話器を取ると

潤一郎だった。令子が浮かれた気分のまま、

「ああ、こんばんわ、いよいよあさってね。わたしは、もう準備万端整っていますよ。」

と言うと、潤一郎は素っ気無く

「僕は空手形を出すことは嫌いだから、行くことは行くけどね・・・・・・」

と答えただけで沈黙してしまった。令子は一瞬茫然としその言葉の意味が分らなかった

が、ようやく彼がこの旅行を楽しみにしてはいないことが理解できると、またしても全

身に冷水を浴びせられたような氣がした。しばらく沈黙が続いたが、取り止めにしよう

と言っているわけではないのだからと、気を取り直して

「そう? もう宿を予約してあるしね」

と低い声で答えた。

「いや、そんなものはキャンセルすれば良いだけのことだけど・・・・・・ともかく、

いいよ、行くよ、約束だからな」

そして予定通り、土曜日の午前十一時に新宿駅の中央線のホームの中ほどで会うことに

して切った。しかし令子は、電話を切るや否や、膝の力が抜けて立っていられなくなり、

その場にしゃがみ込んでしまった。令子の知る限りでは、潤一郎は決して気分屋ではな

かった。それがどうして、わざわざあんなことを言うために電話をかけてきたのだろう?

どうしてあの人の心はこんなにころころと変わるのだろう? ドアを大きく開けて「さ

あ、入っておいで」と誘っておきながら、喜んで入って行こうとすると、鼻先でピシャ

リと閉めるようなことばかりする。どうして? どうして? もう私は飲んでいないの

だから、あの人の嫌がることは何もしていないはずなのに・・・・・・

 翌日のミーティングで、令子は前夜の潤一郎との会話を話した。仲間は、以前に所長

が言った「夫婦、恋人との関係の修復には十年かかる」という言葉をまた繰り返して、

焦らず、彼の気持ちを尊重しながら付き合いを続けるようにと助言してくれた。

 そして約束の日は来た。目覚めてカーテンを開けると、期待していた通り太陽が昇り

始めている。これなら山歩きが出来る。令子は準備しておいた服を着て、リュックを背

負って待ち合わせの場所に赴いた。ひょっとしたら、また潤一郎の気が変わって、令子

の望みがかなう旅になるかも知れないという淡い期待を抱きながら。

 待つほどのこともなく、ホームの人ごみの中に潤一郎の姿が現れた。やはりリュック

を背負って運動靴を履いている。令子の姿を認めると「やあ」という風に片手を挙げた。

 「お天気が良くてよかったね」

 その語調からすると、機嫌は悪くはないらしい。それなら、せっかくの旅行なのだか

ら、自分も努めて明るく振舞おうと令子は心を決めた。行く先は、立川まで特別快速で

行き、そこで青梅線に乗り換えてことことと小一時間ほど行っにある渓谷である。車中、

令子は、電車の中の人々を眺めたり、町中(まちなか)から郊外へ、そして山中(さんち

ゅう)へと変わっていく景色を眺めたりしては、それらを話題にして、途切れがちの会

話が気まずい感じを生むことを避けるために、なんとかして間()が空かないよう努め

続けた。

 二時間ほどで目指す駅に着き、古色蒼然とした瓦ぶきの駅舎を出ると、そこはもう緑

深い杉木立の中だった。駅前の蕎麦屋で遅い昼食をとり、駅で貰ってきた地図を片手に

歩き始めた。初冬の乾いた空気が心地よく、森の酸素を吸いながら歩いているうちに令

子の心のわだかまりは流れ去り、上り坂ではわざと甘えて潤一郎の腕にすがったり、滑

って転びそうになると大袈裟に悲鳴をあげて騒いだりして充分に楽しんだ。二時間余り

そんなことをしているうちに、早くもあたりは薄暗くなり、空気も冷え始めてきたので、

宿へと向かった。

 友人の言葉通りこぢんまりとした、古びてはいるが感じの良い旅館の一室に落ち着い

て、荷物を置いて一休みすると、温泉に案内された。男女別々だった。丁寧に体を洗っ

て上がると、浴衣姿の嫌いな令子は持ってきたニットのワンピースを着て、化粧をし直

した。部屋に戻ると潤一郎もラフなセーター姿になっていて、食事の用意が整っていた。

鍋物を中心として、刺身や小鉢の並んだ普通の旅館料理だったが、おいしかった。味に

うるさい潤一郎の口にも合ったらしく、機嫌良く食べ進み、「僕だけで悪いね」と言い

ながら酒を飲んだ。二人とも先日の電話の件や、心の奥にある問題には触れず、今日の

山歩きの話から、潤一郎が仕事で色々な所へ出張した時に見聞きしたものへと話題が広

がり、会話が弾んだ。令子はもっぱら聞き役だった。ゆっくり食事を終えると、ロビー

に下りて行ってお土産を買ったり、玉突きをして遊んだりした。そして部屋に戻るとも

う床がとってあった。

 令子は潤一郎の心を測ることが出来なかったので、どうしたものかとためらっていた

が、彼はテレビもつけずにさっさと浴衣に着替えると、「早いけど、山歩きで疲れたから

寝るか」と言って布団に入り、令子が化粧を落としたりしているうちに、寝息を立て始

めてしまった。予想はしていたことだが、それでも、もしかしたら、という期待があっ

たので、気落ちはしたものの「関係の回復には十年」と繰り返し言われたことを思い出

し、令子も静かに横になって枕元のスタンドを消した。

 明け方、ぼんやり目を覚ました。室内は暖房が効き過ぎていて、うっすら汗をかいて

いる。すぐに、そうだ、潤一郎さんと旅行に来ているのだ、と記憶が戻って来て、スタ

ンドの豆電球を点けて隣を見ると彼はすやすや眠っている。しばらく寝顔を見つめてい

るうちにいとしさが募ってきて、胸が高鳴り始めた。寝顔の頬を手のひらでそっと撫ぜ

てみる。目を覚ます様子はない。今度は頬をすり寄せてみる。何年ぶりかで触れる、相

変わらずふっくらとした、きめ細かな肌の感触に、一層欲望をそそられる。さらに大胆

になって、首の下に腕を回し力を込めて抱き締めると、目を覚ましたらしく腕を振り解

こうと強く首を振った。令子は彼の首の下から腕を抜いた。そして身をかがめたまま顔

をのぞくと、目を開けている。令子はその目をじっと見た。潤一郎も見返したが、その

まなざしからは何の感情も読み取れなかった。しばし無言で見つめ合った。数秒間その

ままでいただろうか。潤一郎はふうーっと軽いため息をつくと目を閉じて、くるりと寝

返りを打ってしまった。令子の心は萎え、そっと自分の布団に戻って、雨戸の隙間から

朝日が差し込んで来るまで横になっていたが、もう眠れはしなかった。

 朝が来て令子が起き上がると、潤一郎も眠っていなかったらしく、すぐに起きた。朝

湯に入って部屋に戻ると、食事の支度が出来ていた。その宿自慢の手作りの豆腐や、鮎

の一夜干しなどもついていて、おいしい朝食だったが、食通を自認する潤一郎がそれら

について薀蓄を傾けることもせず、二人は黙々と食べるだけだった。食事が済んで、膳

が片付けられると、また沈黙が流れた。だが令子にこの宿を教えてくれた友人の話によ

ると、このすぐ近くに大変景色の良い大きな河が流れており、それを眺めながら上流に

向かって小一時間散策すると、この土地出身の有名な日本画家の作品を集めた美術館が

あるということだった。二人とも絵は好きだったので、二日目はそこへ行く予定にして

いた。

 「行くんだろ?」

と潤一郎が尋ねたので令子は

「そうしましょうか」

と答え、荷物をまとめて宿に預け出発した。

 岩にぶつかり水しぶきを上げながらごうごうと流れる河は、何年も都会を離れたこと

のない令子には魂を洗われるような景観だったし、美術館にもその景観を描いた大作が

並んでいた。だが明け方のことで頭がいっぱいの令子は、河を見ても、美しい風景画を

見ても心楽しまなかった。潤一郎も同様らしく、部屋から部屋へと黙りこくって歩いて

いるだけだった。

 美術館を出ると昼近くなっていたので、ひなびた飯屋でどんぶり物で昼食を済ませる

と、潤一郎は、ほっとしたように

「さあ、これで帰るか」

と言った。令子は、口を利くと涙がこぼれそうだったので、黙って頷いた。

 宿に寄って預けておいた荷物を取り、一日に数本しかこない電車の来る時間を時刻表

で確かめ、駅に向かった。そしてがら空きの車内に並んで座ったが、車中もほとんど言

葉を交わさず新宿駅に戻った。令子にも、もう懸命に話題を探す気力は残っていなかっ

た。別れ際、彼女は縋りつくように尋ねた。

「お正月はどうするの?」

 「実家に帰る」

「ずっと?」

「ああ、ずっとだ」

以前から潤一郎は毎年、元旦は実家で両親とお屠蘇を祝った。令子も、母の家に行っ

て、姉たちが届けてくれるおせち料理を一緒に味わって過ごしたものだった。だが二日

から潤一郎の仕事が始まるまでの数日間は、二人きりで潤一郎のマンションでのんびり

過ごすのが常だった。今年もそんな風に出来たらと、かすかに期待していた令子は、自

分の考えが甘かったことを思い知らされた。

 それでもクリスマスには、デパートに行って、色々と迷ったあげく、潤一郎の好きな

 色である濃いベージュのカシミアのマフラーを買い、カードを添えて送った。しかし

 潤一郎からは受け取ったという返事さえ来なかった。

 

 断酒会のメンバーの中にはアルコールのために家族を失った者が多かったので、年末

 年始のような家族が団欒を楽しむ時期には、その人たちが孤独感から再飲酒に走らな

いように、会では、クリスマスパーティ、餅つき大会、雑煮会など様々な催し物を準備

してくれていて、行こうと思えば毎日何かの集まりに出られるようにプログラムが組ん

であった。ミーティングもいつも通り毎晩開かれていた。令子も、積極的に主催者側に

加わってそうした行事に参加し、買い物や会場の設定などにも尽力して、なるべく多く

の時間を同じ境遇の仲間たちと共に過ごすことで、淋しさを紛らわそうとした。どんな

に淋しい時でも、仲間たちといれば、「飲まずに生きていさえすればきっと良い時が来る」

という希望が蘇ってきて、笑顔が戻った。ミーティングにも欠かさず出て、繰り返し、

繰り返し、潤一郎との関係の先行きに対する不安を語った。

 休みが明けて、新学期が始まったが、大学の三学期は短い。学年末の試験も入れて三

週間で終わり、春休みに入ってしまう。非常勤講師は入試に係わることもないので、ま

た長い一日を一人で過ごす日々が始まった。もう、以前のようにスポーツクラブにまめ

に出かけるのも面倒だった。ただ夜のミーティングには必ず出ていたので、そこで、そ

の日の心の重荷を語ることで、気が軽くなり、次の日も生きる力を与えられて帰宅し、

眠りにつくのだった。

 春休みになってからも、潤一郎からは音沙汰なかったが、令子はもう自分から電話を

する勇気はなかった。明けても暮れても令子の心は、幾つかの問いの答えを求めて、

堂々巡りをし続けていた。あの人は三年間も待っていてくれた。そして、その間はいつ

電話しても、この上なく優しかった。それが何故、わたしが完全に酒を止め、立ち直っ

た今になって、わたしを拒むのだろう? 一泊旅行に誘ったのは、あの人だ。一体何を

考えて、行こうと言ったのだろう? どうして、あの人は、わたしに対して、あんなに

風に心を開いたり、閉じたりするのだろう? いくら考えても分らなかった。

 そんなある日の朝、令子は浅い眠りから覚めた。このところ、いつもそうであるよう

に、夢を見続けていたので、眠ったという気がしない。何度か、潤一郎に語りかける自

分の寝言で目を覚ましたようだった。

 彼女は深いため息をついて、のろのろと半身を起こした。かすかに後頭部が痛む。今

日も、夜のミーティングまで出かける用事は無い。また一日、答えの出ない問いを頭の

中でいじくり回しているしかない。ゆっくりとベッドから片足を下ろそうとした時、脳

裏に突然、思いもかけない、長い間忘れていた光景が浮かんだ。

 それは、ある秋の夕暮れ時のことだった。令子は高校生だった。部活で少し遅くなっ

て帰宅すると、外はもう薄暗いのに、家には電気が灯っていない。こんな時間に母が家

を空けることなどついぞ無かったので驚いたが、戸締りはしてなかったから中に入り、

まず茶の間の電気をつけた。すると奥の座敷の方で物音がした。泥棒だろうかと、こわ

ごわ忍び足で行ってみると、そこに母がいた。まだ暮れ切っていない外からの薄明かり

と、茶の間から差し込む電灯の明かりとにぼんやり照らし出されて、令子が来たことに

も気づかず、両腕を高く挙げて踊っていた。着物のたもとがずりおちて細い腕があらわ

になっていた。それをひらひらと翻し、全身をくにゃくにゃと揺すり、何か訳の分らな

いことを小声でつぶやきながら、一人、得体の知れない踊りを踊っている。

 「また飲んでいる」令子は、ため息と共に額に皺を寄せて、目を閉じて、つぶやいた。

飲まなければ、姑にも父にも口答えひとつせず、常ににこやかさを失わず、ひたすら忍

従の日々を送っている母が、いったん酒が入るとガラリと形相が変わって般若のように

なり、ぶつぶつと人生に対する怨念を吐き続けるのは、もう見慣れていると言えば見慣

れていた。しかし、これほどまでに、不気味で痛々しい姿を見るのは始めてだった。

 令子の心の中で、「おかあさん」と呼んで駆け寄り、痩せた体を抱き締めて「お母さん

の人生が辛いことばかりだったことを、わたしは良く分っている」と告げ、一緒に泣

きたい想いと、その姿の恐ろしさと気味の悪さとに、眼も耳もふさいで逃げ去りたい想

いとが激しく交錯した。その葛藤のあまりの激しさに令子は身じろぎも出来なくなり、

ただ幽鬼のような母の踊りを見続けていた。母はいつまでも、いつまでも踊り続けてい

た。

 それからどうなったのかは、覚えていない。恐らく酔いつぶれて眠ってしまったのだ

 ろう。そして翌朝は、いつもの、忍従に慣れきった、優しく穏やかな母に戻って、白

 いエプロン姿で、何事もなかったかのように立ち働いていたのだろう。

 

 その朝、突然、何の脈絡もなく、令子の脳裏に浮かんだのは、その時の母の姿だった。

わたしもきっと、酔っぱらった時に、あのような不気味な、醜い姿を潤一郎さんに見せ

ていたに違いない。おかあさんもそうだっただろうが、わたしも自分では殆ど覚えてい

ないけれど・・・・・・

 令子は始めて、潤一郎の心が捕らえ難く揺れる理由が分ったような気がした。恐らく

彼も、母が生きていた頃、わたしが母に対して抱いていたのと同様な愛と嫌悪の葛藤の

中にいるに違いない。だから、あのように、心を開いたり、閉ざしたりせずにはいられ

ないのだ。あの人も傷つき、苦しんでいるのだ。

 数ヶ月来の謎が解けたようで、令子の心は、寝ても覚めても忘れることの出来なかっ

た潤一郎に対する怒り、恨みから解放され、逆に共感といたわりの念とが芽生えて来

るのを感じた。それは、久しぶりに訪れたささやかな安らぎだった。

 令子は、フランスのカトリック女流詩人、マリー・ノエルという人の、ある本に出て

いた言葉を思い出した。「愛の痛手の妙薬は、もっと愛すること」。もっと愛する、つま

り相手がもっとしあわせになるように願うことである。ふと思い出した、いつ読んだの

かも覚えていないこの言葉は、今、静かに令子の心の奥まで染み通っていった。潤一郎

さんにとって,わたしと一緒にいることは辛く、一人でいる方がしあわせであるならば、

それを受け入れなければならない。あるいは誰か別の女性と共に生きる方がしあわせで

あるならば、それがわたしにとってはどれほど淋しく、悲しくまた口惜しくとも、それ

をも受け入れなければならない。二人並べて刺し殺してやりたいほど未練があろうとも、

じっと耐えて彼のしあわせを祈るのだ。天啓のように、この言葉を思い出したことで、

令子は、これからの生き方の道しるべを与えられたような気がした。

 今、わたしに出来るのは、静かに待つことだけだ。あの人の心の揺れがおさまって、

楽しかった思い出と、醜い酔態の記憶と、どちらが大きくなるか、秤の目盛りが自然に

落ち着くまで待つことだ。それが、どれ程長くかかろうとも辛抱しよう。所長は関係の

修復に十年はかかると言った。わたしだって、おかあさんが亡くなるまで、いたわって

あげたいと心から願いながら、実際には顔を合わせれば、20年も30年も前のことを思

い出して、古い嫌悪感を蘇らせては、些細なことを咎め立てして、いじめていたではな

いか。

 もう、こちらから潤一郎さんに働きかけるのは止めよう。あの人が、何物にも邪魔さ

れず、落ち着いて心の底を見極めることができるように・・・・・・そして、毎晩の

お祈りに、潤一郎さんがしあわせでありますように、という一語を付け加えよう。そ

の結果がどうなろうとも、神様のなさることに間違いがあるわけはない。恐らく、あの

嫉妬と怨念の塊のようだったわたしが、こんな風に考えるようになったということが奇

跡なのだろう。マリー・ノエルの言葉は神様からわたしへメッセージなのだ。この言葉

に従っていけば、必ずや、二人にとって最良の解決に導かれるに違いない。

 そこまで考えて心を決めた令子は、ようやくベッドから立ち上がり、ガウンを着た。

窓際に寄り、分厚い遮光カーテンを引くと、凛と輝く2月の朝の陽光が部屋を満たした。

 

 

 

 

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