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     極私的ランボー論

 

作品の中に追う或る青春の軌跡            

 

宮崎康子

 

 

 

 

 

 

         

       

 ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー、19世紀のフランス詩の世界を

彗星のように駆け抜けた少年詩人である。

 彼が「見者の詩法」と呼ばれる独自の詩法を編み出したのは、1871年5

月、17歳の時である。

 勿論、早熟な彼は、それまでに、学校の課題で多くのラテン語韻文詩を書い

ており、それらの大部分は学内で一等賞を獲得し、ラテン語詩のアカデミー・

コンクールでも一等賞を取っている。そして1869年からはフランス語の詩

も次々に書き始め、そのうちの一つ、「孤児たちのお年玉」を「みんなのため

の雑誌」誌に投稿して、それは、多少の手直しは要求されたものの、1870

年の新年号に掲載され、人々の目を見張らせた。

 だが彼は、「見者の詩法」を編み出してから後は、それまでに書き、多くの

人から賞賛を受けた作品の価値をことごとく否定する。彼はこれら初期詩篇の

うち22編を、学校の先生であり詩人でもあったポール・ドメニーに、恐らく

出版に助力してもらおうという下心もあって、清書して渡してあったのだが、

彼宛に「見者の詩法」を語った手紙の次の手紙の末尾で

「焼いて下さい。僕がそれを望むのです。そして僕は貴方が死人の意志と同様

に僕の意志を尊重して下さることと信じています。ドゥエ滞在の折に愚かし

くも僕が貴方にお渡ししてしまった詩を一切焼いてしまって下さい」

と述べている。幸いドメニーはこの頼みを実行しなかったので、今日我々はそ

れらを読むことが出来るのだが、この一文は「見者の詩法」が彼がそれまでに

書いた詩とは全く相容れないものであり、彼がそれのみを真実の詩法と考えて

いたこと、そしてそれが当時のフランス詩の流れとはかけ離れたものであった

ことを如実に示している。

 それでは一体「見者の詩法」とはどのようなものであったのだろうか?彼は

この詩法について、生地シャルルヴィルの高等中学の修辞学の若い教師、ジョ

ルジュ・イザンバールとドメニーに宛てた二通の手紙の中で語っているが、5

月13日に書かれたイザンバール宛の方は、短く、ランボー自身の中でこの詩

法がまだ未消化であることを示すように説明が少なく分りにくい。一方、2日

後に書かれたドメニー宛てのものは、かなり長く、もう少し落ち着いて書かれ

たようで、多少は説明的な部分もある。従って、この詩法を理解するためには

2通を併せて読むことが必要である。

 ここで彼は始めて、自分は詩人になるのだという決意を示し、そしてそのた

めには見者にならなくてはならないと述べている。

「僕は詩人になりたいのです、そして自分を見者にするために努めています」。

では見者、ヴォワイアンとは一体どんな人間のことをいうのであろうか?そ

れは、一言でいえば、超人的な、完全な認識力を持ち、通常の人間の目には

見えない未知の物を見る能力を持つ人間である。西欧的な衰弱した認識主観、

コギトによってではなく、主観を通さず事物を全的に認識することの出来る

人間である。彼はイザンバール宛ての手紙の中で、

「結局先生はご自分の原理の中に、主観的な詩しか見ていらっしゃいません。

    ・・・・・僕は、いつの日にか、先生の原理の中に客観的な詩を見る

ことを期待しています。僕はそれを先生ご自身よりも真剣に拝読させてい

ただくつもりです」

「もし老いぼれた馬鹿者たちが自我について誤った意味しか見出さなかった

としても、僕たちは、無限の昔から自らを作家であると主張しては、片目

の知性の産物を積み重ねて来た、これらの何百万もの骸骨たちを掃いて捨

てる必要もないでしょう」

と書いている。即ち、通常の人間が行っている知性による認識を、主観的で

不完全なもの(片目の知性───ランボーが見ることに、どれほど重き

を置いていたかを考えると、片目のという言葉の持つ意味の大きさは測

り知れない)として否定したのである。

  それでは彼が提唱した、未知の物を見るために必要な完全な認識力とはど

のようにすれば手に入れることが出来るのであろうか?彼は、

「全感覚の錯乱によって、未知の物にたどり着くことが必要なのです」

「詩人は、長い、大がかりなそして理論的裏づけのある、全感覚の錯乱によっ

て、自らを見者とするのです」

「それは筆舌に尽くせぬ苦しみであって、揺るがぬ信念、超人的な巨大な力を

必要とします。そして彼は、誰にも勝る偉大な病者、偉大な罪びと、偉大な

呪われ人、そして至高の学者となるのです。何故なら彼は未知の物に到達す

るからです」

と書いている。

 この未知の物が何を指すかについては、論が分かれるところであるが、私は、

それは幻覚ではなく、宇宙に現実に存在するが、通常の人間の能力では見るこ

とが出来ない物のことであると思いたい。なぜなら詩人はそのすぐ後にこう続

けているからである。

「彼は未知に到達します。そして狂乱して、ついに見た物を知的に認識する力

を失ってしまった時、彼はそれらを見たのです。その飛躍の只中で、前代未

聞の、名付けようもない色々な物を目にして、彼がくたばるならくたばれで

す。そうなれば他の恐るべき働き手たちがやって来るでしょう。彼らは他の

者が倒れた地平線から始めることでしょう」

即ち、この未知の物は、幻覚のように彼だけに見えるのではなくて、彼の提

唱する方法に則って修行を積んだ者(他の恐るべき働き手)なら誰でも見るこ

とが出来る実在物なのである。

 次に彼は、絵画とか音楽という手段ではなく、詩によってそれを写し取るこ

とを選んだ者として当然、言語表現の問題について語る。

「彼は自分が発見した物を、感じさせ、触れさせ、聞こえさせなくてはならな

いのです。もし彼が彼方から持ち帰った物に形があれば、形を与え、形が無

ければ形無きを与えます。言語を見出すことです」。

「その言語は魂から魂へと通じ、香りも、音も、色も、全てを要約し、思考を

捕らえ引き寄せる思考から生まれるものでありましょう」

未知の物を正確に写し取るためには、当然のことながら既知の言語を使うこ

とは出来ない。それでは既知の物としてしか伝わらないからである。つまりこ

こでもまた、詩人は記憶として人間に内在する言語主観を否定し、それを破壊

して、未知の物そのものであるような言語を発見しようというのである。知性

による認識を否定したと同様に、今度は知性を介さぬ言語を創り上げようとい

うのである。どう考えても不可能な企てである。事実彼はその大変さを、別の

友人に宛てた手紙の中でこう語っている。

「何という作業だ。僕の頭の中にある全てを打ち壊し、全てを消し去らなけれ

ばならない!ああ!地の果ての人目につかぬ隅っこに捨てられ、成り行きま

かせに育てられ、教師たちや家族によっていかなる思想も叩き込まれず、生

まれたままの状態で、何物にも汚されず、主義も知識も持たずに成人の年齢

に達した子どもは幸せだ。

―――何故なら、我々が教え込まれたことは全て茶番に過ぎないのだから!

―――そして自由でありたい、全てから自由でありたい!」

 ある評論家は、「見者の詩法」という、思惟作用を無化することによって事物

の真の姿を捕らえようとする企てと言語という素材が、本質的に相容れないも

のであることを指摘し、こう語っている。

「ランボーは、詩人と幻視者とを全く区別しようとしなかったようだ───

らく彼がそうすべきであったようには───そして言語という資源の体系的

な開拓、象徴を作り上げるための努力は、彼の内では、真実及び進むべき道

の探求と混同されていたように思われる」。

 後に彼は友人の影響もあって、写真や音楽という表現手段にも興味を持つが、

少なくともこの時点では、言語表現者の道を選んだのだった。

 そして自分の掲げる理想に向かって邁進し、酒、麻薬、絶食、眠らぬこと、

長時間の歩行、更にはヴェルレーヌとの同性愛といった方法で、全感覚を錯乱

させながら詩作に励む。その集大成というべきものが有名な「酔いどれ船」で

ある。

この詩の中で、ランボーは自らを船曳人夫たちからも、舵やいかりからも解

放された船に喩え、船は海の緑の水によって全ての記憶を洗い流されて、真の

自由を獲得し、天と海が織り成す壮大な世界に乗り出して行く。詩人は

「僕は人が見たと思ったものを見た」

「僕は知っている」

「僕は見た」

「僕は後を追った」

「僕は突き当たった」

と企ての成功を誇らかに告げながら、通常の人間には見えないが、彼の目には

見える大自然の奥に潜む実在物を写し取っていき、雄大な世界が繰り広げられ

る。

 ところが、しばらくの航海の後に、船は突然ヨーロッパへの郷愁を覚える。

「僕は古い胸壁の立ち並ぶヨーロッパを懐かしむ」

そして「見者の詩法」の効力についての疑いが生じる。

「お前が眠り、身を潜めているのは、この底なしの闇の中なのか、百万羽の

金色の鳥たちよ、おお、未来の生気よ」

それに続く最後の三節は、その認識方法と言語をあれほど否定し、そこから

解放されたがっていた故郷ヨーロッパと幼年時代への郷愁と、郷愁を感じずに

はいられない自分に対する敗北感とを表明している。

「だが、本当に、僕はあまりにも泣いた!暁は胸をえぐる。

 全ての月は酷たらしく全ての太陽は苦い:

 刺々しい愛が僕の心を酔い痴れた無気力で一杯にした。

 おお 僕の竜骨よ砕け散れ!おお 海の底に沈んでしまいたいのだ!

 

 もし僕がヨーロッパの水を望むなら、それは

 かぐわしい夕暮れ時に、悲しみに満たされうずくまった

 一人の少年が、五月の蝶のようにもろい舟を放つ

 黒く冷たい水溜り

 

 僕はもう、おお 波よ、お前たちの倦怠に浸され、

 綿を運ぶ船の航跡を追って進むことも、

 艦船の旗や長旗の驕りを貫いて進むことも

 囚人船の恐ろしい目の下を漕ぎ進むことも出来ないのだ」

 

 ご存知の方は多くはないと思うが、日本に1940年代の後半に詩を書き、

17歳で服毒自殺を遂げた長沢延子という詩人がいる。彼女は、ランボーを

「男の中の男」と称え、十九歳で「二十歳のエチュード」という遺稿集を残

して、あらゆる許容を排して純潔を守り、人生を芸術とするために純粋自殺を

とげた詩人原口統三の作品を通して、ランボーを知り強く惹かれた。その長沢

延子の遺稿集「友よ私が死んだからとて」の中に

「自分はこの時代、この環境の中にこのように生きて来たという生活体験のす

べてが私の宿命であり・・・・・・」

という言葉がある。

衰弱した西欧の認識方法を否定し、既存の言語も否定し、海の緑の水によっ

て今までに植えつけられた全ての記憶を洗い流され、意気揚々と出帆した船は、

ここでヨーロッパという自らの内に巣くう宿命にぶち当たったのである。そし

て宿命に対する己の無力さを悟る。

 人は青春時代には得てして、自分自身及び社会の現実に根ざさぬ遠大な理想

を抱くものであるが、それは必ず挫折に至る。そして今、ここにいる現実の自

分を否定し、肉体がある限りは決して否定することの出来ない生活という現実

を否定しようとあがいて、苦悩することになる。あるいは宿命に反逆するため

に、上記の詩人たちのように、自らなる死を選ぶ。青春というのは、ある種の

人々にとっては誠に苦しいものなのだ。

 人間には達成不可能な理想を抱いたランボーにとっても、青春は大きな危機

をはらんだものだった。彼はどうあがいても宿命から逃れることの出来ない自

分を激しく憎む。「恥」という詩はそれを如実に表わしている。

「この脳髄、白くて生で脂ぎり

 いつも変わらぬ湯気を吐くこの荷物

 こいつをナイフで

 切り取ってしまわない限りは、

 

(ああ、奴め、鼻も、唇も、両耳も、

 腹も切り取らずばなるまい!

 そして両足も捨てずばなるまい!

 おお 素晴らしい!)

 

 いや、駄目だ;本当に僕は思う

 頭はナイフでちょん切り

 脇腹は石打刑に

 腸は火炙りに

 

 そうして片付けてしまわない限りは

 厄介者のこの子ども、かくも愚かなたわけ者、

 こいつは一瞬たりとも

 ごまかしや裏切りを止めはしないだろう、

 

 ロッキー山脈の猫のように

 至る所を臭くする!

 でも、おお 神様!こいつが死ぬ時には

 どこかで祈りの声が聞かれますように!

 この時代、ランボーは後期韻文詩集と呼ばれる幾つかの詩を書くが、それら

の中にも随所に、挫折の苦悩が語られている。

 例えば「渇きの喜劇」

 「           1 血族たち

      わしらはお前のじいさんばあさん!

           ご先祖様だよ!

      月の光と草木の緑の

      冷たい汗にぐっしょり濡れて。

      わしらの辛口ワインにゃこくがあったさ。

      ごまかしのない太陽の光を浴びて

      人間には何が要る?呑むことさ。

  僕―――蛮地の河で死ぬことさ。

    ・・・・・

  僕―――嫌だ、もう、あれらの清らかな飲み物、

      コップにさした水に咲く花など;

      伝説も絵姿も

      僕の乾きを癒しちゃくれない。」

 血族たちとは、それまでの生活体験の全てを通してランボーを規定し、自由

になりたいという願望の実現を許さない歴史、伝統、文化、そして家庭的また

社会的環境のことである。血族たちは、自分たちの酒にはこくがあると言って

それを詩人に勧めるが、彼は最早、伝統的に美しいとされているものには見向

きもせず、西欧を遠く離れた蛮地で死ぬことしか考えていない。

 彼はそんな自分の心を「僕の心よ」という詩の中でこう表現する。

「僕たちにとって、血とが一面に拡がり、

 大虐殺が行われ、怒りの叫びが長く響き、

 全ての秩序を覆す地獄の底のすすり泣きが聞こえ;

 今なお廃墟の上を北からの烈風吹き渡る僕の心がなんだと言うのだ」

この詩は一般的には、パリ・コミューヌの壊滅の後のブルジョワジーの巻き

返しに対する怒りを表現したものであるとされているが、詩人の心の在りよう

を唄ったものと捕らえてもかまわないだろう。

 そして絶望がやって来る。彼はそれを「記憶」という詩の中で次ぎのように

表現する。

「僕は陰鬱なこの水の目のおもちゃ

 おお 動かぬ小船、おお 短すぎる腕!僕には摘めない、

 あの花も、この花も、僕を悩ます黄色い花も

 灰の色した水によくあう青い花も」 

 花は未知の物の視像を表すために、ランボーがよく使う言葉である。従って

それが摘めないということは、「見者の詩法」の挫折を端的に語ったものと考

えて良いだろう。

 彼は自分を、理想という観点から裁き、無価値な者と判定して、当然死を選

ぶことを考える。

「おお自然よ、僕は本当にお前の手にかかって死にたい。

―――ああ こんなに孤独でなく、こんなに無価値な者としてではなく

───」

 だが彼は自ら命を断つことはしない。そのかわりに、つかの間でも苦しみを

忘れるために忘我の瞬間と眠りを求める。

「一番高い塔の歌」では

「ああ! 時よ来い

 心の燃える時よ来い」

という詩句が二度繰り返されているし

「狼は木陰で」では

「ああ眠りたい、煮られたい」

とも述べている。

 詩人で小説家でもある清岡卓行は、原口統三について語った著書「海の瞳」

の中で、原口が、当時在学していた一高の学園新聞「向陵時報」に投稿した詩

「海に眠る日」に触れ、睡眠を自殺の和らげられた甘美な形と述べているが、

まさにその通りである。

 何故この時点でランボーが自殺をしなかったのかは定かではないが、後に

「地獄の一季節」の「悪血」の中で

「なんと僕もオールドミスのようになったことよ、死を愛する勇気も失うとは」

と語っていることや、悪童と呼ばれながら、後の家族宛ての手紙では、死ぬま

で何度も、自分が兵役を果たしていないことをどうしたらよいか相談している

小心さから考えると、案外死を恐れるが故に実行出来なかったのかも知れない

し、また自殺を罪とするカトリックの教義の影響もあったかも知れない。

 ともかく彼は「見者の詩法」の企てが挫折した後も、苦悩に耐えて生き永ら

え、幾つかの後期韻文詩を書いた後、自らの精神史とでも言うべき「地獄の一

季節」を書く。この散文詩集が出版されるまでの経緯及び、最終章の「訣別」

が何に対する訣別であるのか、また同じく散文詩集である「イリュミナシォン」

との創作年代の関係については、すでに多くの研究者たちが語っていることで

あるから省くが、彼が母親に「自分の運命はこの本にかかっている」と言って

いたことから分るように、ランボーは自らの生死の問題を賭けてこれを書いた

のである。

 

 9編から成るこの詩集の最初の章は無題であるが、

「かつては、もし僕の記憶が確かならば、僕の生活は饗宴であり、全ての人の

心が開き、酒という酒が流れていた」

と始められている。これはエデンの園のことを言っているとも考えられるが、

私は、彼が「見者の詩法」という達成不可能な観念的理想に取り憑かれる前の、

幼少の頃のことであると読みたい。何故なら、すぐその後に

「或る夜、ぼくは美を膝の上に座らせた───そしてそれを苦々しいと思った。

――そして毒づいてやった」

と続くからである。

美とはここでは、見者の目に映る未知の世界を表わしていると考えて良いだ

ろう。つまり詩人は「見者の詩法」の企てが決して自分を幸せにするものでは

なかったと述懐しているのである。従ってその数行先では、こうした大それた

理想に取り憑かれた者が当然受ける刑罰が

「僕は、僕の精神の中で、全ての人間的希望を消滅させるに至った」

と語られ、

「不幸が僕の神だった」

と続く。そして彼は泥沼の中を這い回る苦しみを味わい、遂には

「そして春が僕におぞましい痴呆の笑いを運んで来た」

とほとんど狂気の状態にまで至ったことを述べるだが、それに続く詩句には、

一つの展望が垣間見られる。

「ところが、極く最近のことだが、自分が最期のぐうの音を上げそうになって

いるのに気付いて、僕は昔の饗宴の鍵を探そうと思いついた。そこでなら恐

らく食欲を取り戻せるだろうと。

 慈愛がその鍵だ。―――この思いつきは僕が夢を見ていたことを明らかにす

る!」

 昔の饗宴、即ち理想に取り憑かれる前の状態を取り戻すための鍵、それは慈

愛だったと言うのである。つまり人間を幸せにするのは、慈愛(これはキリス

ト教の言葉であって神と隣人に対する愛のことを言うのであるから、恐らく未

だ多少は観念性を含んでいるだろう)であると気付き、「見者の詩法」の企て

に邁進した結果挫折し、生きる望みを失いそうになったことは、今では一抹の

夢としか思えないということである。

 

 次にくる「悪血」は、マラルメによって「精神的に異国のものとしかいいよ

うのない流星の輝き」と呼ばれたランボーが、衰弱した西欧にどうしても適合

出来ない己を、野蛮人と定義し、何とか歴史の中に位置づけようとする努力を

語ったものであるが、その文章は全く整合性を欠き、普通に理解しようとすれ

ば何とも難解である。しかしそれは、彼が精神的に極度に追い詰められた状態

にあって、心に浮かぶことをそのまま次々に書き留めていった結果であるから

であり、読んでいると彼の肉声を聞く思いがする。そもそも、本来人間の心に

は整合性などというものはないのだ。その中から、この私論の流れに沿う詩句

を拾ってみよう。

 まず始めの方に

「だが!誰が僕の言葉をこれほどまでに不実なものにしたのか?それが今に至

るまで、僕の怠惰を導き、守るほどに」

とあり、また終わりの方にも

「僕はまだ自然を知っているか?自分を知っているか?―――最早言葉はな

い」

とある。これは言語表現への不信の表明であって、詩人、即ち言語表現者であ

ることを選び、見者の手紙の中で誇らかに

「彼は自分が発見した物を、感じさせ、触れさせ、聞こえさせなくてはならな

いのです。もし彼が彼方から持ち帰った物に形があれば、形を与え、形が無

ければ形無きを与えます。言語を見出すことです」

と語ったランボーであってみれば、言い知れぬほどの敗北感を味わったことだ

ろう。事実、彼はその少し先で

「叫びだ、太鼓だ、踊りだ、踊りだ、踊りだ、踊りだ、・・・・・・

飢えだ、渇きだ、叫びだ、踊りだ、踊りだ、踊りだ、踊りだ」

と陶酔の中での忘我を希求している。また、この詩の中ほどには

「一番良いのは砂浜で酔い痴れて眠ること」

という詩句もある。だが他のところでは

「冬の夜、宿も無く、衣服もなく、パンもなく街道にいると、一つの声が僕の

凍えた心を締め付けた:弱さの故か強さの故か:お前はそこにいる:それ

は強さだ』」

と、それでも生き延びている自分を肯定する言葉もある。そして後半には

「理性が僕に生まれた。世界は良い。僕は人生を称えよう。僕は兄弟たちを愛

そう。これはもう、子どものころの約束とは違うのだ」

と現実の人生を受け入れ、人間を愛そうという意志を表明する言葉もある。だ

が彼は、生来放浪癖を持ち、並みならぬエネルギーを秘めた自分は、良識的な

社会人として生きようと望んでも、その範疇には納まり切れないことを知って

いる。そしてまた、死を想う。

「僕は良識というあの天使の梯子のてっぺんに席を取ってあるのだ。だが既成

の幸福など、家庭的なものであれ、そうでないものであれ、駄目だ、僕には

無理だ。僕はあまりに放埓だし、あまりに弱い。人生は労働によって花開く

とは昔ながらの真理だ:だがこの僕の生活には充分な重みがない。それは舞

い上がり、人の世のあの大切な支点である行動の、はるか上に漂っている。

なんと僕もオールドミスのようになったことよ、死を愛する勇気も失うとは」

 つまりランボーは、この詩篇の中では、人生の肯定と否定の間を行きつ戻り

つしているのである。

 

 次に来るのは「地獄の夜」である。この章は草稿では「偽りの改宗」という

題になっており、それが示す通り、主に、キリスト教の信仰に戻り苦しみから

救われたいという願望と、幼時から母親によって植え付けられた当時の偏狭な

教義に基づいたキリスト教への反発との相克が語られているが、中にちらほら

「見者の詩法」を省みている部分が見られる。

 例えば冒頭に置かれた数行、

「僕はたっぷり一口の毒を飲み干した。―――僕の耳に届いた忠告が三たび祝

福されんことをだ───内臓が焼けつく。毒の激しさは僕の四肢を捻じ曲げ、

僕を畸形にし、地に叩きのめす。喉が渇いて死にそうだ、息がつまる、叫ぶ

ことも出来ない。これは地獄だ、永遠の責め苦だ!見てごらん、なんと火が

燃え盛っていることか!僕は見事に焼きあがる!」

 この毒が何を表しているかについては諸説があるが、私は「見者の詩法」の

企てを表していると見たい。何故ならそのすぐ後に

「僕は善と幸福への改心を垣間見た。僕に視像を描くことが出来るか、地獄の

空気は賛歌を許してくれない。それは無数の魅惑的な生き物たち、甘美な霊

的合奏、力と平和、高貴な野望、その他色々だった。

高貴な野望か!

そしてこれもまた人生なのだ。―――ああ もし地獄堕ちが永遠に続くのだ

ったら!自分の手足を切り取りたいと望む男は、正しく地獄に堕ちているの

ではないだろうか?」

とあるからである。

彼には錯乱の中で見た様々な視像を言葉にすることが出来ない。詩人である

ことを願った人間にとっては、これも一つの地獄である。そして、あまりにも

高邁な理想を追う者は、理想の追求の妨げになる手足、即ち肉体を否定するこ

とになり、肉体を否定しつつ生きることは地獄に他ならない。

その少し先では、ランボーは、かつての大望「見者の詩法」を自嘲的に語る。

「もう充分だ!・・・耳元で囁かれる数々の誤謬、魔術、偽りの芳香、幼稚な

音楽。―――その上、僕は真理を捕らえている、正義を見ている:健全で断

固たる分別を備えている、完成に近づいていると言うのだから・・・思い上

がりだよ」

そして言語による表現をほとんど断念したような言葉もある。

「幻覚は数知れずある。それは正しく僕がいつでも手に入れたものだ:・・・

僕はそれについては口をつぐもう。詩人たちや幻視者たちが嫉妬するだろう

から」

私は先に、ランボーが見ようとした「未知の物」とは、幻覚ではなく、この

宇宙の中に実在するが、普通の人間の目には見えない物のことであると書いた。

しかしここで彼は「幻覚」という言葉を使っている。これは恐らく彼が「未知

の物」をどう表現したら良いか分らず、当時の他の詩人たちの影響を受けて使

った言葉であろう。また、或る批評家は、ランボーが見ることを望んだのは宇

宙の実在物であるが、それを実現するための方法を誤り、麻薬や酒に頼ったの

で、結果として得ることが出来たのは幻覚に過ぎなかったと書いている。これ

は非常に興味深い説で、例えば彼がヨガの行者のような修行方法を採っていれ

ば、宇宙の実相を観ずることが出来たかも知れない。事実、シャルルヴィルの

町の図書館の閲覧記録によれば、彼は、同時代の詩人、ルコント・ド・リール

の作品を通してインドの哲学にも触れていたそうだ。

それはともあれ論旨を戻すと、彼は「見者の詩法」を自嘲的に語り、ほとん

ど断念したように述べた後、さらにそれを魔術幻灯と揶揄する。

「僕は魔術幻灯の支配者だ」

そして最後の方では、

「ああ、また生活によじ登らなければならないのか!僕たちの畸形さを眺めね

ばならないのか!そしてこの毒、千回も呪われたこの接吻」

と生きることの辛さを嘆いている。畸形とは、前述の自らの手足を切り取りた

いと望む男の姿のことであろう。

即ち、この詩の中でランボーは、己の大望を実現不可能なものと認めながら

も、理想の達成を妨げる宿命に対する拒否を貫く為に死を選ぶことも出来ず、

挫折感を抱えたまま生きている。その一方では、なんとか現実と折り合いを付

けていこうという意志も時折生まれるのだが、いまだ理想による魅惑的な接吻、

呪われた接吻の支配から抜け切れない。そんな状態で生きていくことの苦しみ

を語っているのである。

 

その次に来るのは「錯乱」のT、「狂気の処女」であり、これには「地獄の

夫」と副題がついている。この処女と夫が何を指しているのかについては、ヴ

ェルレーヌとランボーのことであるとするのが通説であるが、私は、一読して

すぐに、ここではランボーは二つに分裂していて、夫は己に観念的理想を課す

者、処女は達成不可能な観念を課せられた生身の己を表していて、この詩はそ

の分裂した自己のせめぎ合いの苦しみを、普通の人間として社会に順応して生

きていたのに、夫に出会い、愛したばかりに、彼の理想を共有させられ、それ

に支配されて、息も絶え絶えになった処女の口を借りて語ったものという印象

を受けた。当時私自身が同じ苦しみの中で生きていたので、自分に引き寄せて

読んでしまったのである。それは一部を強調して他の部分を切り捨ててしまう

偏った読み方であろう。しかし、優れた文学作品はどのような読み方も許して

くれるのではないだろうか?従って、この作品を、私の偏った観点からのみ解

釈することには大きな無理があることは重々承知の上で、あえて、この立場に

立脚して読んでいって見よう。それに、これに続く「錯乱」のUが、今度は夫

の口を借りて「見者の詩法」の実践の経緯を語っているのであるから、私の解

釈もあながち誤りではないだろう。事実、このような立場を採る批評家もいな

いわけではない。

この詩篇は、狂気の処女が神に自分の苦しみを訴える形で綴られている。

「地獄の道連れの告白を聞こうではないか:

おお 聖なる夫、わが主よ。あなたに仕える女たちの中で最も惨めな者の

告白をどうか拒まないで下さい。わたしはもう駄目です。うんざりしていま

す。汚れています。何という生活でしょう!・・・・・・

≪今、わたしは、この世のどん底にいます!おお わたしの友人たち!・・・

いいえ、友人なんていません・・・これほどの気違い沙汰、これほどの責め

苦はいまだかつて存在したことがありません・・・何と馬鹿げたことでしょ

う!

≪ああ!苦しい、わたしは泣き叫んでいます、本当に苦しいのです。」

だが、いかに苦しくとも、いったん観念的理想に捕らえられた人間にとっ

て、その呪縛を解くのは容易なことではない。「地獄の夫」に魅せられてしまっ

た「狂気の処女」にとっては、夫の言葉は全て魅惑的に聞こえる。

「わたしは、恥辱を栄光に、残酷さを魅力変える彼の言葉に耳を傾けます」

従って彼女は「地獄の夫」の目論見を不可能なことと見抜き

「悪魔!あの人は悪魔です、本当に、人間ではありません」

とまで言いながらもその影響から逃れられず、人間に与えられた条件を拒否し、

夫の理想に到達し得ない自分を鞭打ち続け、己の肉体を否定し、骸骨となり果

てる。

≪わたしは地獄の夫の奴隷なのです、狂気の処女たちを道に迷わせたあの夫

です。幽霊なんかじゃありません、幻でもありません。それなのにわたしは

思慮分別を失って、この世を捨てました。

    ・・・・・

 わたしだって以前はとてもまともな女でした、骸骨になる為に生まれてきた

わけではありません!・・・あの人の神秘的な美妙さが、わたしを魅惑した

のです。わたしは、あの人に付いて行くために人間としての義務を全ておろ

そかにしました。何という生活でしょう!本当の生活というものが無いので

す。わたしたちは、この世に生きていないのです。わたしは彼の行くところ、

どこへでも行きます、そうしなければならないのです・・・・・・」

「眠り込んだあの人のいとしい体の脇で、わたしは幾夜も眠らずに、どれ程の

時間を、どうしてこの人はこれ程現実から逃げ出したがっているのだろうと

考えて過ごしたことでしょう。いまだかつてこんな願望を抱いた人間はいま

せん。

わたしは───彼の身を案じてではないのですが───あの人は社会にとっ

て大きな危険になるだろうと認めていました。」

 そう、実際、ランボーの影響を受けたと称するどれほどの若者たちが、平凡

だが実り豊かな現実生活を拒否し、そこに生きる生身の自分と闘って敗れ、絶

望の淵に追い込まれたことだろう。そしてあげくに自ら命を断った者も少なか

らずいる。

 その後はこう続く。

「あの人は、もしかしたら、人生を変える秘密を握っているのでしょうか?い

や、それを探しているだけだ、とわたしは自分の考えを打ち消しました。と

もかくも、あの人の慈愛には魔法がかかっていました、そして、わたしはそ

の虜になっているのです。・・・・・・」。

 現実に根ざさぬ理想には、人生を変える力はない。処女の口を借りて語るラ

ンボー自身もそのことに気付き始めてはいるのだが、いまだ心に巣くった理想

の魔力に捕らわれているので、抜け出す術を知らない。終わり近くになって、

処女は、はっきりと自分の過ちを認めるが、それでも、どうしたらそこから抜

け出すことが出来るのかは分らず、相変わらず地獄の辛酸を嘗め続けている。

 「その甘美さもまた破滅をもたらすものです。わたしはそれに従っています。

―――ああ わたしは狂っているのです」。

 従ってこの詩篇では、詩人は観念的理想の誤りに気付き始めながらも、まだ

そこから脱却出来ない状態で、あがいているのである。

 

 次にくるのは「錯乱」のU、「言葉の錬金術」である。これは、前述したが、

地獄の夫が、「見者の詩法」の実践の経緯を語ったものである。

 それはこう始まる。使われている動詞はみな過去形である。

「今度は僕が語る番だ。僕の数々の気狂い沙汰の一つの話だ。

僕は、ずっと以前から、あり得る全ての風景を所有していると自慢し、絵画

や現代詩のお偉方たちを嘲笑していた」。

「僕は全ての魔術を信じていた」。

 そして見た物を写し取るために行った、新しい言語の発明を目指しての工夫

を語る。

「僕は母音の色を発明した!―――Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。

―――僕はそれぞれの子音の形と動きを規定した、そして、いつの日か、本

能的なリズムでもって、あらゆる感覚に到達できる言語を発明すると自負し

ていた。翻訳は保留した。

  最初は習作だった。僕は、沈黙を、闇を書いた、表現し得ぬ物を書き留め

た。僕はめまいを言葉に留めた」

 ここで語られているのは、ランボーが以前に書いた有名な「母音」の詩の

ことであるが、これは言語をその最小単位、母音にまで分解して、共感覚を利

用して、見者となった詩人の目に映った物を、主観によって歪めずに、そのま

ま読者に伝えようという試みである。「翻訳は保留した」とあるのは、恐らく

後に書かれる「イリュミナシオン」のことだろう。

 その後には、「酔いどれ船」から「地獄の一季節」までの間に書かれた詩が3

編挿入されているが、詩人はすぐにそれらの詩の価値を否定する。

「僕の言葉の錬金術の中では、使い古された詩的言語が大きな位置を占めてい

た」

 そして見者の目に映った物をも、単純な幻覚と呼び、真に未知の物ではなか

ったのではないかという疑念を表明する。

「僕は単純な幻覚には慣れた:僕は極めてはっきりと見たものだった、工場の

ある場所に回教の寺院を、天使たちによって作られた太鼓の学校を、天の街

道を駆ける幌つき四輪馬車を、湖の底に客間を;怪物たちを、神秘を;通俗

喜劇のあるタイトルが僕の眼前に急激な恐怖を繰り広げた」。

 さらに、その先では、見た物を魔術的詭弁と言い、それらを写し取るために

発明に励んでいた言語を言葉の幻覚と言う。

「それから僕は、僕の魔術的詭弁を言葉の幻覚でもって説明した!

ついに僕は、僕の精神の混乱を神聖なものと思うにいたった」。

 ここで彼は、はっきりと、「見者の詩法」の企てを誤りとして認め、その実践

から生じた精神の混乱を神聖なものと思うにいたった自分を客観的に眺め、そ

れもまた過ちであったと認めているのである。そしてその後には

「僕の性格は刺々しくなった。僕は、素朴な抒情詩のようなものの中で、この

世に別れを告げた」

という詩句が続き、「一番高い塔の歌」が挿入されている。この詩については前

にも触れたが、やはり、「地獄の一季節」の前に書かれたものである。この作品

はここでは大幅に書き直されているが

「ああ 時よ来い、時よ来い、

我を忘れる時よ来い」

という忘我を希求する詩句は、やはり二度繰り返されている。その先では、

「僕は悪臭漂う路地を這いずり回り、そして火の神である太陽に身を差し出し

た」

ランボーが何もかも忘れさせてくれるものとして、太陽をこよなく愛したこ

とは良く知られているが、ここでも大好きな太陽に身を預けて、とろけてなく

なってしまいたいという願望が語られている。

そして、その先には、これも前に触れた

「ああ 眠りたい 煮られたい」

という詩句を含む「狼は木陰で」が挿入されている。

 だが、「見者の詩法」の実践に励んでいた時代には、企てに成功したと思っ

て、幸せな時もあったのだ。

「ついに、おお 幸せだ、おお 理性よ、僕は空から青色を引き剥がした。す

るとそれは黒だった、そして僕は自然の光の黄金の火花となって生きた。喜

びのあまり、僕は出来る限りおどけた、そして乱れた表現を選んだ」

 ある評論家の説によると、我々が見ている空は青いけれども、宇宙飛行士た

ちが宇宙からみた空は黒いそうである。とすれば、この時すでに、ランボーは

宇宙の真の姿を見たのかも知れない。そして

「ほら 取り戻した!

何を? 永遠を。

それは太陽と混じり合った

海」

と始まる有名な「永遠」という詩が挿入されている。

 だが、幸せな瞬間は長くは続かない。その後にはすぐ

「僕は架空のオペラと成り果てた」

とあり、その数行先には

「僕の健康は脅かされた。恐怖が襲ってきた。僕は何日も続く眠りに落ち、起

き上がっても、世にも悲しい夢を見続けた。僕には往生する時が来ていた」

と精神の危機状態に陥ったことが述べられている。そしてまた

「おお 季節よ、おお 城よ!

 無傷な心がどこにあろうか?」

と始まる、これもまた有名な詩が挿入されている。そして締めくくりの言葉が

来る。

「これは過ぎたことだ。僕はこんにち美を遇する術を心得ている」

 この美とは、「地獄の一季節」の無題の序章に出てきた、饗宴のように幸せだ

ったかつての生活をランボーから奪った観念的理想のことである。彼は美を追

い求めて、人間の義務を捨て、肉体を否定し、地獄の苦しみを味わった。しか

し今では、それはもう過ぎ去ったことであり、観念的理想に引きずり回されず

に生きるためにはどうすれば良いかが分ったと言っているのである。

 

 次に来るのは「不可能」と題された詩である。この詩は自分が追い求めてい

たものが誤謬であったことの確認から始まる。

「ああ! 僕の少年時代のあの生活、どんな天候の下でも街道を歩き回り、異

常なまでに飲食を節制し、乞食の一番優れた者より無欲で、祖国も、友人も

持たぬことを誇りとしていた。何という愚かなことだったのだろう。―――

そして、僕は今ようやくそのことに気付くのだ!」

 そして何ゆえに、そんな誤謬に陥ったのか探っていく。

「僕に僅かばかりの理性が戻ってきたので───すぐに消えて無くなるが

───僕の居心地の悪さは、僕たちが西洋にいることに充分早くから気付か

なかったことから生まれていることが分る。僕が変質した光、衰弱した形、

乱れた動きを信じているという訳ではないのだが・・・」

と、誤った自我観に支配され、(我思うというのは誤りなのです。人我を思う

というべきなのです。―――見者の手紙より)原初の人間が持っていたエネル

ギーも能力も失ってしまった衰弱した西洋に生まれ育ったことが持つ意味の重

さに気付かず、原初の人間の能力を取り戻そうという大望を抱いたことに、過

ちの原因を見出す(「酔いどれ船」の最後の3節ですでに、ヨーロッパへの郷愁

が語られていたことを思い出していただきたい)。そして、西洋の対極にあるも

のとして東洋に思いをはせる。

「僕は、東洋に、原初のそして永遠の叡智に戻った。―――だが、それは粗野

な怠惰の夢であるらしい!」

と西洋に生まれ育った者にとっては、東洋の叡智に戻るなどということは、夢

に過ぎないことが述べられる。そして数行先では、

「だが、科学の宣言以来、キリスト教は、人間は、自分を弄び、分りきったこ

とを己に証明してみせては、それらの証明を繰り返す喜びで膨れ上がってい

る。こんな風にしか生きられないということの中に、本当の責め苦があるの

ではなかろうか!巧妙で馬鹿馬鹿しい責め苦だ;僕の精神の彷徨の源だ・・・

こんな毒が発明されるなら、何の為の近代世界だ!」

と、はっきりと、自分の大望が実現不可能なのは、西洋の誤った価値観によっ

て育てられ、力を奪われたからであることを認めている。だが西洋に生まれた

ということは、前述した長沢延子の遺稿集にある

「自分はこの時代、この環境の中にこのように生きて来たという生活体験の全

てが私の宿命であり・・・・・・」

という言葉を借りるまでもなく、一つの宿命である。宿命に反逆しても、決し

て勝ち目はない。従って、この詩の中では、ランボーは自分の理想が誤ったも

のであったことを認め、挫折の原因は理解したが、いまだそこから脱出する術

は見つからず、希望の光の射さない状態にいる。この詩は

「心が引き裂かれるような不運だ」

という詩句で終っている。

 

 次に来るのは「閃光」という詩である。それは次のように始まる。

「人間の仕事!それは僕が今いる奈落の底を時折照らし出す爆発だ」

 これはランボーが幼少の頃から、人間の仕事を毛嫌いしていたことを考える

と、驚くべき心境の変化である。彼は1862年か63年に書かれた現存する

最古の散文詩「プロローグ」の中で、既にこう述べている。

「どうして───僕は考えたものだった───ギリシャ語やラテン語を習う

のだろう?僕には分らない。結局そんなものは要らないじゃないか。僕にと

っては、人に認められるかどうかなんてどうでも良いことだ、認められたら

何かの役に立つのかね、何の役にも立ちはしないさ、そうだろう?いや、し

かし;認められなくては地位を得ることが出来ないと人は言う;だが僕は地

位なんか欲しくはない;僕は年金生活者になるのだ」

 またイザンバール宛ての見者の手紙の中でも

 「今働くですって、嫌です、嫌です、僕はストライキ中です」

と述べている。

仕事という言葉の持つ意味は大きい。仕事につくということは社会を受け入

れ、その中で生きる意志を表す。従ってランボーは、幼い頃から社会を拒否し

ていたのである。

 それが今、理想が実現不可能であることが分り、その誤謬を認めつつも別の

生き方を見出すことも出来ず、奈落の底にいる詩人の目に、時折とはいえ、人

間の生き方を指し示す希望として映り始めたのである。

 だが彼はすぐに、その考えを否定する。

「―――僕に何が出来るだろうか?僕は仕事というものを知っている;・・・・・・

それは単純すぎる」

「仕事は僕の驕りには薄っぺら過ぎるように思われる」

 そして新しい展望が見出せないので、過去の夢にしがみついているしかない

自分を嘲笑する。

「僕の人生は擦り切れた。さあ!心をごまかして生きよう、のらくら暮らそう、

おお 情けないことだ。そして僕たちは暇つぶしをして、途方もない愛と幻

想の世界を夢見て、嘆きながら、世界の外観と闘いながら生きるのだろう」

 だがこんな出口の無い状況下にあっても、彼は死んでしまおうとは思わない。

「嫌だ!嫌だ!今、僕は死に反抗する。」

 今は反抗するというのであるから、当然かつては命を断とうと思った時もあ

ったのだろう。そしてこの詩は、こんな風に、潔く命を断つこともせずに生き

ていては、詩人としての誇りも理想も失ってしまうのではないかという問いか

けで終っている。

「最期の時が来たら、僕は、右に、左に掴みかかってやる・・・

でもそうしたら、―――おお!―――いとしい哀れな魂よ──永遠は、僕た

ちにとって失われてしまうのではないだろうか!」

 

 次にくるのは「朝」という詩である。この朝というのは、先に出てきた詩編

「地獄の夜」が明けた後に迎えた朝である。ここでは彼は相変わらず自分の現

在の状態を嘆ききつつも、新しい生き方への一筋の希望を見出し始めている。

「僕にもかつては、愛すべき、栄光に満ちた、御伽噺のような、黄金の紙片に

書き留めるべき青春があったではないか、―――恵まれ過ぎていたのだ!僕

はいかなる罪によって、いかなる過ちによって、現在の弱さにふさわしい身

になってしまったのだろう?」

そして詩人即ち言語表現者として生きることへの断念が語られる。

「主の祈りと天使祝詞を絶え間なく呟いている乞食同様になってしまった僕に

は、最早自分を説明することは出来ない。僕には、もう語る術が分らないの

だ!」

 だが、今は、そのことが彼に、敗北感ではなく救いをもたらす。何故なら彼

はそれ故に、生き方を変えることを考え始めるからだ。続けて彼はこう言う。

「だが、こんにち、僕は、僕の地獄と縁を切ったと信じている」

「何時僕たちは、砂浜や山々を越えて、新しい仕事の誕生を、新しい叡智を、

暴君と悪魔たちの退散を、迷信の終焉を喜び勇んで迎えにいくのだろうか

───人々に先駆けて!―――何時僕たちは、地上におけるクリスマスを称

えに行くのだろうか!」

 ここには、まだ、何時手に入れることが出来るのかは分らないながらも、新

しい仕事、新しい叡智に目を向け始めたランボーの姿がある。そしてこの詩は

「天の歌、人々の歩み!奴隷たちよ、人生を呪うまい」

という、人間は皆宿命の奴隷であることを逃れられないが、それを受け入れ、

嘆かずに生きて行こうではないかという、今までにない肯定的な呼びかけで終

っている。即ちこの時、ランボーは、理想と現実のはざまでの勝ち目のない闘

いをほとんど終えていると言える。

 

 次に来るのは「地獄の一季節」を締めくくる詩、「訣別」である。この訣別

が文学全体への訣別なのか、あるいは「見者の詩法」のみに対する訣別なのか

という問題、そしてまた、それに関連して、「地獄の一季節」と「イリュミナ

シオン」はどちらが先に書かれたのかという問題、この二点については実に様々

な説が飛び交ったが、現在では「訣別」は「見者の詩法」への訣別であり、

「イリュミナシオン」は「地獄の一季節」の後に書かれたものであるという見

解が一般的になっており、細かい論拠は省くが、私もそうであると思う。

 この詩の中では、ランボーの心中にいまだに残っている詩人としての誇りと、

現実の中で地に足をつけて生きるのが人間として正しい道であるという考えと

の相克が描かれるが、それは最早激しいものではない。そして最後は新生の希

望で終る。

 冒頭で語られるのは、詩人としての誇りである。

「もう秋か!―――だが、どうして、永遠の太陽を惜しむのか、僕たちが聖な

る光の発見に携わる者であってみれば、―――季節の上に死滅する人々から

は遠く離れて」

 ここで秋と言っているのは、無題の序章にあった

「そして春が僕におぞましい痴呆の笑いを運んで来た」

という詩句に対する秋である。つまり、「見者の詩法」がどうにもならない行き

詰まりを見せたのが春であって、それから生きながらにして地獄巡りをした夏

があって、そして迎えた秋ということである。また実際ランボーが「地獄の一

季節」を書いたのは、1873年4月から8月にかけてであることは、はっき

りしているから、この最終章が書かれた8月には、当時ランボーが暮らしてい

た生まれ故郷北フランスにはもう秋の気配が感じられたということもあるだろ

う。そして詩人は、自らのことを、季節の上に死滅する人々からは遠く離れて、

聖なる光の発見に携わる者であると誇らかに言っている。だが続けて「見者の

詩法」を実践していた頃の思い出を語り

  「僕はあそこで死んでいたかも知れないのだ・・・ぞっとするような想像だ!

僕は悲惨を憎悪する」

と理想に支配されていた時代を、恐怖をもって振り返る。そしてそのすぐ後で

見者の時代に見た物の数々を語るが、それらは全て葬り去らねばならない過去

のことであると結ぶ。

「時折僕は、空に、喜びに満ちた白衣の民族たちに覆われた果てしない浜辺を

見る。一隻の大きな船が、僕の頭上で、朝のそよ風の下、色とりどりの旗を

揺り動かしている。僕は全ての祝祭を、全ての勝利を、全ての劇を創造した。

僕は新しい花々を、新しい星々を、新しい肉体を、新しい言語を発明しよう

と試みた。僕は超自然的な力を手に入れたと信じた。ところがだ!僕は、僕

の想像力と思い出を葬り去らねばならない!芸術家としての、そしてまた語

り手としての素晴らしい栄光が奪い去られるのだ!」

   そして、人間として在るべき姿を描き、過去の自分の生活は虚像を追ってい

たと断罪し、真実の生活へ向けて出発する決意を述べる。

 「全ての道徳を免除された魔術師とも天使とも自称していた僕、この僕が、探

し求めるべき義務と、抱き締めるべきざらざらした現実と共に、大地に返さ

れる!百姓になるのだ!・・・・・・

 最後に僕は我が身を虚偽で養ってきたことを謝ろう。そして行くのだ」

彼は地獄から解放され、新らしい生活に向かうのである。

「何故なら僕は勝利を得たと言うことが出来るからだ:歯軋りの音も、業火の

燃え盛る音も、悪臭を放つ思い出も遠くなった。あらゆる汚れた思い出は消

え去った」

  とはいえ「見者の詩法」の挫折から、ここに至るまでの道は辛かった。彼は、

理想に到達出来ない生身の自分と、あくまでも理想を追い、「狂気の処女」の

夫のように、理想の達成を妨げる生身の自分を責め続けるもう一人の自分と

の、せめぎ合いの苦しさを振り返ってこう言う。

「精神の闘いは人間共の闘いと同様にむごたらしい」

  だが、そのむごたらしい闘いも終わり、新生への心の準備は整った。後は出

発するだけである。

「しかし今はまだ前夜だ。力強い生命力と現実の情愛とが流れ込んでくるのを

全て受け入れよう。そして暁が来たら、燃え上がる忍耐で武装して、僕たち

は光り輝く町々に入って行くのだ」

  そしてこの詩は、今度こそは、まやかしでない真理を捕らえることが出来るだ

ろうという希望で終っている。

「そして僕には、一つの魂と一つの肉体の中に、真理を所有することが許され

るだろう」。

 

   この詩をもって、ランボーが自らの青春の軌跡をたどって綴った「地獄の一

季節」は終る。彼は、原口統三、長沢延子などの、ランボーを崇拝し、理想に

身を捧げた詩人たちのように自らの命を断つことはせずに、苦悩に耐えて生き

永らえ、理想と現実の相克を乗り越えて、青春の危機を脱したのであった。

 

   次に取り上げるべき詩集は「イリュミナシオン」である。先にも述べたが、

この詩集の創作年代については、「地獄の一季節」の前とする説と、後とする説

とがあるが、現在では後とする説が一般的であり、様々な理由から私もそう思

うので、その観点から、この私論の流れに沿う自伝的要素の濃い幾つかの詩篇

を順不同に取り上げ、考察してみたい。

 まず「出発」と題された詩。短いものなので、全文訳してみよう

「充分見た。視像にはいかなる大気の中でも出会った。

充分手に入れた。街の喧騒、夜も、太陽の下でも、いつでも。

充分知った。生の停滞。───おお、喧騒と視像!

出発だ。新しい愛情と響きの中で」

   この詩には説明は要るまい。ここにあるのは、最早挫折感の中で命のみ永ら

えている者の姿ではなく、過去に区切りをつけ、希望を持って新しい生活に向

かおうとしている詩人の姿である。

   「見者の詩法」の不可能を語る詩も幾つかある。まず「イリュミナシオン」

の冒頭に置かれた「大洪水の後」。これは、ノアの洪水を思わせる大洪水によっ

て、人間が作り上げた全てのものが洗い流された直後の新鮮な世界の描写から

始まる。だがそれは数行で終わり、すぐに人間たちの以前と変わらぬ活動が始

まり、ひとたび清らかな原初の姿に戻った世界が、人間の活動によって築かれ

たものによって次々に汚されていく様が描かれる。人間の力は、アルプス山中

や極地の氷原にまで及ぶ。

「╳╳夫人はアルプス山中にピアノを据え付けた」

「そして極地の氷と闇の混沌の中に壮麗なホテルが建てられた」

   詩人はもう一度大洪水が起こることを希求する。

  「───沼よ、沸きあがれ、───橋の上で、森を越えて、泡立ち、転がれ!

───黒いラシャとオルガンよ、───稲妻と雷鳴よ、───立ち昇れ、転

がれ!───水と悲しみよ、立ち昇り、大洪水を引き起こしてくれ」

 だが洪水は二度と起こらない。詩人は倦怠を覚える。そして

  「陶製の壷の中で燠火をかき立てている魔女は、決して僕たちに、自分は知っ

ているが、僕たちは知らないことを語ってくれようとはしないだろう」

と締めくくる。これは明らかに、超人的な視力を育てることによって、宇宙の

神秘に迫ろうとした「見者の詩法」が実現不可能であることを認めた言葉であ

る。

 また

「彼女が僕をして、常に挫折する大望を許させるなどということがあり得るだ

ろうか?・・・・・・───成功の日が、宿命的な未熟さの恥の上で、僕

たちを眠り込ませるなどということがあり得るだろうか?」

という書き出しで始まる「苦悩」は、「地獄の一季節」と同時期に書かれたも

のと推定されているが、大文字で書かれた彼女という言葉に実に多種多様な解

釈があって(私としては、幾人かの批評家が言っているように、ランボーの人

間形成を支配した、厳格で、偏狭な価値観の持ち主である彼の母親が彼の心の

奥底に植えつけた規範と採りたい。精神分析的に言えば超自我ということにな

るのだろうか、ちなみに規範を表わすフランス語normeは女性名詞である)、こ

の語の解釈の仕方によって他の部分の解釈も異なってくるので、非常に難解な

詩とされている。だが、私の解釈のように採れば、これは、やはり二つに分裂

したランボーの、むごたらしい精神の闘いのことを言っていることになる。こ

の解釈を裏付けるように、この詩は全体としては、理想を追う闘いに破れた傷

の痛みを語ったものである。それは

「だが、僕たちをおとなしい良い子にしてしまう吸血鬼は命じる。わたしがお

前たちにゆだねたものだけで遊んでいなさいと。さもなければ、もっと滑稽

なことになるだけだと。

うんざりする大気と海の中で、傷の痛みにのたうちまわるのだ;死をもたら

す水と大気の中で拷問を受け、そのむごたらしくうねる沈黙の中で嘲笑する

責め苦にあい、のたうちまわるのだ」

と耐え難い苦しみの表白で終る。

   しかし、このような詩ばかりではない。中には「見者の詩法」のつかの間の

成功を唄ったものもあるが、それらはどれも、夢が必ず醒めるように、見者の

世界から現実世界への避けられない復帰で締めくくられている。

例えば「王権」。短いものだから全文訳してみよう。

「ある美しい朝、非常に穏やかな人々の中で、目を見張るように美しい一人の

男と一人の女とが、公衆の面前で叫んでいた。『みなさん、私は彼女を王妃

にしたいのです!』

『私は王妃になりたいのです!』女は笑いそして身を震わせていた。男は皆

に、天啓について、なし終えた試練について語っていた。二人はひしと抱き

合ったまま気を失った。

実際に、二人は王だった。家々に深紅色の幕が掲げられた午前のあいだず

ーっと、そして二人が棕櫚の庭の方へ進んで行った午後のあいだもずーっ

と」

この二人とは、恐らく詩人と詩の女神であろう。詩人は見者となるための試

練を終えて、女神を捕らえ、王権を得た。しかしそれは朝から夕方までしか

続かない。

 また「酩酊の午前」。これは、ランボーのハシッシュ服用体験が書かれたも

ので、詩人はハシッシュの効力によって心の不調和から解放され、新しく創ら

れた肉体と魂に対してなされた超人的な約束を夢中になってかき集め、ハシッ

シュを見者になる方法として肯定すると語る。

「ささやかな陶酔の夜、たとえそれが、お前が僕たちに仮面として恵んでくれ

たものに過ぎないにしても、聖なるものなのだ!僕たちはお前を肯定する!

方法として」

そしてこれまでは、作品の中で好んで自分を、汚れ無きものの象徴、「子ど

も」と呼び、「地獄の一季節」の「訣別」の中では

「季節の上に死滅する人々から遠く離れて」

と時間に支配されない者であることに詩人としての誇りを見出し、また「イリ

ュミナシオン」の中の「ある理性」にでは、子どもたちの口を借りて

「僕たちの運命を変えてくれ、災いをずたずたにしてくれ。手始めにまず時間

から」

と述べ、時の流れを拒否したいという願望を表わしてきたランボーが、ここで

初めて時間に対する見方を変える。

それまでのランボーの時間に対する見方はボードレールの詩「酔っていたま

え」を思い起こさせるものであった。ボードレールは有名な詩、「酔っていた

まえ」の冒頭でこう述べている。

「常に酔っていなければならぬ。全てはそこにある。それが唯一の問題である。

あなたの肩を打ち砕き、あなたの身を地に向けてかがめさせる時間の恐ろし

い重荷を感じないためには、絶え間なく酔っていなければならぬ。

だが何に?酒にでも、詩にでもあるいは美徳にでも、あなたのお好きなもの

に。ただ、酔っていなさい」

ボードレールもまた、時間による己の変化と死を恐れ、拒否したかったので

ある。

だがランボーは、それまでは純粋無垢であることを一つの大きな価値として

きたにもかかわらず「酩酊の午前」で始めて時間による変化、そして老いを受

け入れる。

「僕たちはお前が昨日、僕たちの年齢のそれぞれに栄光を与えてくれたことを

忘れはしない」

 もし純潔をあくまでも守ろうとするなら、これまた命を断つしかない。しか

し、ここでランボーは、それまでの純粋無垢に無上の価値を認める考えを改め、

清濁併せ呑む大人として生きて行かねばならないという抗い得ない現実を受け

入れ、年齢のそれぞれに栄光があることを認めたのである。

 そして「酩酊の午前」で語られた幸せな体験も、題名が示すように、午前の

間しか続かない。

 この現実の時間の勝利が、もっとはっきり表明されているのは「曙」という

詩である。それは

「僕は夏の曙を抱いた」

という言葉で始まる。夏の曙は、多くの詩や手紙の中で明らかにされているよ

うに、ランボーが最も好む時間である。彼は全てがまだ眠りから醒めない新鮮

な自然の中を、あたりの爽やかな風景を眺めながら歩んで行く。すると銀色の

峰に女神の姿が見える。そこで詩人は、女神が身に着けているヴェールを一枚

づつ剥がしていく。女神は逃げる。詩人は追う。道を登りつめたところで詩人

は女神に追いつき、まだ幾重にも身に着けているヴェールごと、その巨大な体

を抱き締める。そして曙と詩人は共に森の下方に倒れる。

 これは勿論、大自然の神秘に迫ろうというランボーの目論見を象徴したもの

であり、見者となった彼は神秘を覆っているヴェールを剥ぎ取りながら女神を

追いかけ、ついには彼女を捕らえ、抱き合ったまま幸せな眠りに落ちるのであ

るが、その後に一行空けて

「目が覚めると昼だった」

という最終行がくる。つまりここでも見者の至福の体験は長くは続かず、じき

に現実の世界に引き戻されるのである。

 だが、これら三つの詩篇の中でランボーはそのことを嘆いてはいない。先に

引用した「酩酊の午前」の中に

「ささやかな陶酔の夜、たとえそれが、お前が僕たちに仮面として恵んでくれ

たものに過ぎないにしても」

とあったように、彼はもう「見者の詩法」によって見たものが真実の物である

とは思っていない。それはいっときの夢、仮面であって、現実の時間の前には

儚く消え去る物なのだ。彼は、最終行で淡々とそのことを述べることによって、

自分が最早、現実の時間の流れに逆らおうとしていないことを示しているので

ある。現実のみが眞なるものであることを知ったのである。

 

 最後に、ランボーが青春の危機をいかにして乗り越え、大人として生きる道

に向かったかを明白に物語っている「小話」という詩を取り上げてみよう。少

し長いが全文訳してみる。

「一人の王子が、これまで通俗的な寛大さの完成のみに専念してきたことに腹

を立てていた。彼は愛の驚くべき変革を予見し、彼を取り巻く女たちにも

贅沢とか信心で飾られたあのお追従よりましなことが出来るのではないかと

思っていた。彼は、真理を、本質的な欲望と満足の時を見たかった。それが

信仰心から外れていようといまいと、彼はそう望んだのだった。少なくとも

彼は、人間的にはかなり優れた能力を持っていた。

  彼を知った女たちは、ことごとく殺された。美の園の何という荒廃!つるぎ

の下で、女たちは彼を祝福した。彼は、新しい女など一人として命じなかっ

た。───女たちは再び現れた。

  彼は自分に付き従う者たちをみんな殺した、狩の後で、あるいは酒宴の

後で。───みんな彼に付き従って来た。

  彼は贅沢な獣たちの喉を掻き切って楽しんだ。幾つもの宮殿を炎上させた。

人々に踊りかかってはずたずたに切り刻んだ。───それでもまだ、群集も、

黄金の屋根も、美しい獣たちも存在していた。

   人は破壊に酔い痴れることが出来るのだろうか、残虐さによって若返るこ

とが出来るのだろうか!民衆は抗議の声を洩らさなかった。だが誰一人彼の

意図に力を貸しもしなかった。

   ある夕方、彼は誇らかに馬を走らせていた。すると一人の、筆舌に尽くせ

  ぬほど、言葉にしようとすることさえ憚られるほど美しい精霊が姿を現した。

その風貌、その物腰からは多様で複雑な愛の約束が、言語を絶する、耐え難

くすらある幸せの約束がにじみ出ていた。王子と精霊は、恐らく本質的な健

康の中で殺しあった。これがどうして死なずにいられようか?従って彼らは

共に死んだ。

  だが王子は、自分の宮殿で、通常の年齢でみまかった。王子は精霊だった。

精霊は王子だった。

  我々の欲望には巧みな音楽が欠けている」

 

 これもまた、多種多様な解釈を生んだ作品である。だがランボーの挫折体験

と、そこからの蘇りを表わしていると考えれば、解釈は比較的容易であろう。

 王子はまず、ある時、自分が世間で言われる美徳なるものの完成のために専

念してきたことに気付き、怒りを覚える。そして、観念的なものの見方をする

多くの若者たちと同様に、現実と真理は異なると考え、真理を見たい、本質的

な欲望と満足の時を見たいという願望を抱き、その理想を達成するために、現

実に自分を取り巻いている全てのものを排除しようとする。

 だが現実というものは、この世に生きている限りは、いくら排除しようと力

を尽くしても、排除し切れるものではない。彼がやいばを浴びせた女たちも、

楽しみ事の後に命を奪った従臣たちも、喉を掻き切った美しい獣たちも、すぐ

に再び姿を現し、彼に付き纏う。王子の目論見を理解出来ない人民たちは、反

対もしなければ協力もしない。王子は孤独であり、たった一人で殺戮を繰り返

す。

 そんなある日、王子は一人の精霊と出会う。この精霊が何を意味しているの

かについては、また諸説が分かれるところであるが、私は「王子は精霊だった。

精霊は王子だった」という詩句に着目して、幾人かの批評家が言っているよう

に、精霊は王子の分身、それも「地獄の一季節」の「狂気の処女」に出てくる

「地獄の夫」のように、観念的な理想に魅せられてそれを追い求める分身であ

ると採りたい。王子と精霊は、本質的な健康の中で殺しあった。だが、本質的

な健康とは何であろうか?それはまさに、健康な精神にとっては当たり前のこ

とである現実の肯定、その受容のことではないだろうか?現実を変革しようと

するのは良い。それは時として必要なことである。だがその目標が地に足がつ

いたものでなければ、結局は現実を否定することになり、変革は絵空事になり、

敗北するだけである。王子が性急に求めたのは、現実を否定するに至る、いわ

ば不健全な理想を達成することだった。それが精霊と出会って、現実を肯定す

る本質的な健康の中で殺し合った。従って死んだのは、言語を絶する美しさの

精霊の方であり、王子は尋常の年齢で、自分の宮殿でみまかった。

 つまり、王子は理想を追い求める分身を殺すことによって、現実の自分に立

ち返り、老年まで生き永らえたのである。人間には宿命的に達成不可能な理想

を捨てることによって、普通の人間として、時の流れの中で生き、そして老い

て死んだのである。

 

 哲学者であり原口統三が自殺した当時一高の教授であった森有正は、原口の

「二十歳のエチュード」に寄せた序文、「立ち去る者」の中で次のように述べ

ている。

「観念化された自己に誠実を尽くし、それを肯定し、貫こうとして、近代の

虚偽と自己欺瞞とが成立した。・・・・・・もし観念が現実との検証に耐え

なければ、それがいかに明晰であり、美しくあり、整合的であっても捨てな

ければならぬ。これはある意味で自己を捨て、自己を否定することであって、

異常な精神の緊張と覚悟とを必要とすることである」

 ランボーは、この世のものならぬ美しさの精霊を殺すことによって、まさに

この作業を行い、彼を魅了していた観念を捨てたのである。こうして彼は挫折

を乗り越え、自分自身の現実と時間の流れとを受け入れて生き続けることを選

んだ。従って、この詩は明らかに蘇りの唄である。

 

 以上述べてきたように、ランボーは17歳にして通常の人間には思いも及ば

ない大望を抱き、その実践に励んだが挫折し、一度はそれ故に絶望のどん底に

突き落とされたが、「地獄の一季節」を書きながらそこから這い上がり、「イ

リュミナシオン」の数編の詩の中で、青春の危機を乗り越えて新しい、大地を

踏みしめた生活に向かおうという決意を示している。

 それなのに何故、ランボーに傾倒する若者たちの間に、自らの命を断つ者が

出るのであろうか?前述した長沢延子が服毒自殺をした時、彼女と同郷群馬の

木村次郎という詩人は、彼女のことを「女ランボー」と評したという。何故だ

ろう?入水した原口統三もランボーを「男の中の男」と称えて死んだ。何故だ

ろう?何故ランボーにこのような、理想に身を捧げた人間という誤ったイメー

ジが出来てしまったのだろう?

 

 文学と縁を切り、アフリカに渡ってからのランボーについても同じことが言

える。人間共の闘いと同様にむごたらしい精神の闘いに敗れて、生ける屍とな

った詩人の緩慢な自殺行のようなイメージを抱いている人が多い。だが実際は、

彼はそこで貿易代理店の従業員となり、生まれて始めて定職につく。(「地獄

の一季節」の「閃光」の章を思い出していただきたい)。そして37歳で骨肉

腫によって短い生涯を終えるまで、現地の言葉をほとんど完全に習得し、危険

をものともせずラクダによる隊商の先頭に立って、コーヒー、象牙、皮革、麝

香、武器などの売り込みに熱心に奔走し、その傍らヨーロッパ人未踏の奥地を

探検して、結果をフランスの地理学協会に発表したりもして、果敢に行動して

いる。

また家族への手紙では、数学、工学、天文学、電気、気象学、空気圧工学、

機械工学、水力学、鉱物学などに関する本を送ってくれるよう頼み、将来は中

近東において精密機械全般の販売に携わりたいという希望を表明している。さ

らには結婚して男の子をもうけ、出来る限りの教育を受けさせたいとも書いて

いる。

 これらの精力的かつ未来を視野に入れた行動を、同じく家族に宛てて送った

手紙の中で述べている「僕は絶対に水しか飲みません」という言葉と重ね併せ

てみると、そこには決して、挫折感の中で生きている者のデカダンスの翳りは

感じられない。また話上手で、厳しい気候の下での旅の間にも、休息の時には、

自分の回りに人々を集めて陽気なおしゃべりで笑わせたりもしていたという。

彼は本当に大地に生きる者となり、そこで以前とは違うささやかな夢を持ち、

よりよく生きるための努力を続けたのだった。

   

 私はランボーを愛する全ての若者たちに言いたい。ランボーは、青春の大

きな夢が破れた後も、

「抱き締めるべきざらざらした現実と共に」、

「燃え上がる忍耐で武装して」

生き続けたのだと。そしてランボーにかぶれるなら、そこまでかぶれて欲しい

と。

 今はアフリカでのランボーの生活についての研究書も数多く出版されている。

アフリカからの書簡の全訳もある。そこに出てくるランボー像は、過去を振り

向かず、職業を持ち、自分が置かれている状況の中で、労を厭わず力を尽くす

姿である。

 だが、そのような姿が明らかになった現在でも、“人生を投げ出さなかった

ランボー”像の定着度は高くない。従って私は、外国ではどうであるかは知ら

ないが、少なくとも日本では、何故誤ったランボー像が定着してしまったのか

を考えると共に、ランボーは最後まで生きる努力をしたのだと若者たちに伝え

ることを今後の課題としていきたい。    

 

   

 

 

                 著者

                 〒1760024

                 東京都練馬区中村11017

                   宮崎 康子

 

 

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