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残像(前編)

                           宮崎康子

 

 ああ、きのうもまた呑んでしまった。これはあの人とのたったひとつの約束なのに、

どうして私には守ることが出来ないのだろう? 令子はベッドの上でそーっと半身を起

こした。不眠症気味なので分厚い遮光カーテンがかけてあるから、室内はほとんど闇な

のだが、それでも身動きすると、こめかみが鼓動に合せて疼き、吐き気がこみ上げてく

る。

 令子は、両腕で胸を抱いてじっとしていた。そうでもしていなければ、胸が張り裂け

そうなという表現の通りに、肋骨がばらばらに飛び散ってしまいそうな苦しさだった。

この姿勢をとると彼女は何時も、聖書に出てくるパリサイ人と取税人のたとえを思い出

す。「二人の人が祈るために宮に上がった。その一人はパリサイ人であり、もうひとり

は取税人であった。パリサイ人は立って、一人でこう祈った、『神よ、わたしはほかの

人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のよう

な人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の

一をささげています』。ところが取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしな

いで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。あなた

がたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あの

パリサイ人ではなかった」(ルカ福音書1810節──14節)。

聖書のこの部分を何十回となく読んでいる令子には、取税人の仕草も言葉も、自分の

もののように思われた。わたしは罪びと、人非人、愛する人とのたった一つの約束すら

踏みにじる。それでも神様はわたしを御心にかなう者として遇して下さるのだろうか? 

神様、ひれ伏してお願いします。どうかわたしを真人間にして下さい。愛するひとの信

頼に応えられる人間にして下さい。令子は胸を抱えていた腕をほどいて十字を切った。

 

今日は何曜日だろう? そうだ、月曜日だ。学校に行く日だ。枕元の時計を見ると七

時半だった。目覚ましをかけた覚えはないが、ちゃんと八時にかけてあった。十時四十

分に始まる二時間目の授業からだから、通勤に1時間半かかるが、急がなくとも遅刻は

しない。

 令子は寝室の隣にある狭い台所へ行き、流しに置きっぱなしにしてあった酒臭いコッ

プを左手で掴み、右手で水道の蛇口をひねり、吐き気を誘う酒の匂いを嗅がないように、

顔をそむけて左手を出来るだけ伸ばしてコップをゆすぎ、水道の水を満たした。そして

それをまず一息に飲み干し、次に流しの上の棚から薬箱を下ろして胃薬と頭痛薬を出し、

二杯目の水でそれらを規定の倍量のんだ。

昨夜自分が何をしたかは考えるまでもない。いつもと同じことだ。金曜日の晩から日

曜日の夕方までを、商社マンの恋人、潤一郎と共に彼のマンションで過ごし、別れて自

分のマンションに帰ってから、ウィスキーを一人でしたたか呑んだのだ。

 

 令子は、非常勤講師として、四つの大学でフランス語を教えることで生計を立ててい

る。毎日仕事があるから潤一郎と会えるのは週末だけだ。日曜日の夕方には、翌日のこ

とを考えて早目に外で食事をして別れるのだが、食事をしている間から、令子は少しず

つ無口になって行く。潤一郎の言葉にも上の空で相槌を打つだけになる。頭の中でひと

つのことが堂々巡りを始めるのだ。どうしようかな。いけない。いけない。止めよう。

でも今夜だけ。本当に今夜だけ。明日からまた仕事なのだから良く眠っておかなければ。

だけど約束したではないか。でも・・・・・・帰り道に酒を買おうかどうしようかとい

うことである。そして別れたとたん、今夜だけ、本当に今夜だけという言葉が、あたか

も明日(あした)には生まれ変わって真新しい自分になれそうな幻想と共に、令子の考え

を支配し始める。楽しかった週末の思い出も最早念頭になく、私鉄の駅を降りると、夕

暮れの道をためらわず酒屋に直行し、ウィスキーを一瓶買う。

 

自室に入り、後ろ手にドアの鍵を回して閉めると、着替えもせずに台所に行き、瓶の

口を力一杯一息で捻り開け、大きなコップに半分ほど注いで申し訳程度になまぬるい水

道水を加え、一気に呑む。口から喉にかけて濃いアルコールが広がり、食道を通って胃

に落ちるのが感じられる。それで、全身の細胞が潤ったかのように、ふーっと楽になり、

肩から力が抜ける。大丈夫、潤一郎さんには分りっこないから。

 

 令子と潤一郎は、大学の同期の友人だった。令子は仏文科、潤一郎は法律学科の学生

だったが、彼はフランス法に興味を持っていたので、フランス語を学んでおり、語学の

授業では顔を合わせることもよくあった。卒業後は、潤一郎は一流商社に就職し、令子

は大学院に進んだので、会うこともなくなっていたが、数年後、フランスの詩人の講演

会で偶然再会して夕食を共にし、そこでのおしゃべりが深夜に及ぶまで弾んだことから,

別れ際には電話番号を教え合い、付き合いが始まったのだった。十年近く前のことであ

る。それから二人はしばしば会うようになり、会えばいつも時の経つのを忘れて、最近

読んだ本の話、音楽の話、絵画の話、それぞれの家庭の話、共通の友人たちの話、果て

は旬の食べ物の話と夢中になって話し込み、終電車の時間が来ると別れを辛く感じるよ

うになった。

そして或る夜、どちらからともなく誘い誘われ、カーテンもベッドカヴァーもソファ

も明るいブルーに金糸を散らした厚い布で統一された洒落たホテルの一室で、差し込ん

で来る朝日を浴びて共に目覚めたのだった。

 潤一郎は、長い付き合いを通して、令子がいったん酒を呑みだすと止まらなくなり、

普段は小心で人見知りする性格が一変して、その場で会ったばかりの男性誰彼かまわず、

しなだれかかったり、手を握ったりするようになり、時にはベッドを共にしてしまうこ

とさえあるのを知っていたから、深い関係になってからは、令子に、二人で一緒に呑む

時以外は決して酒を口にしないと約束させたのだった。令子も自分が酔うとすぐに理性

を失い、翌朝後悔するようなことばかりするのを骨身に染みて知っていたから、初めて

心が通い合うことの楽しさを教えてくれた相手と、このように約束すればきっと自制が

効くようになるだろうと期待して、すぐに潤一郎の申し出を受け入れた。これが二人の

あいだで交わされた唯一の約束だった。

 

毎週金曜の夕方になると、令子は板橋にある自分の部屋には戻らず、光が丘の公園に

臨む潤一郎の三LDKのマンションに向う。四時間目まで授業があっても四時十分には

終わるから、公園の脇にある大きなスーパーで食料品を買い込んで、六時過ぎには着く。

着替えをして、一日立ちっぱなしで疲れた足をソファに投げ出し、お茶を飲みながら

夕刊を読んで一休みすると、エプロンをかけ腕まくりして、帰りの遅い潤一郎のために

夕食の準備に取り掛かる。

 潤一郎は味覚も繊細だったし、食べることが好きだった。だから令子はいつも、スー

パーに並べられた食品を丹念に眺めてはあちらの売り場、こちらの売り場と渡り歩いて、

それぞれの季節にふさわしい献立を考え、旬のものを買い整える。そして、刺身、酢の

物、煮物、焼き物、和え物、ときにはさらに揚げ物まで、手間暇惜しまずに作る。順々

に料理が出来上がると盛り付けるのだが、これがまた大変だった。令子自身は食器には

あまり関心が無かったが、潤一郎は好きな食器を取り上げて薀蓄のあるところを披露す

ることを食事の楽しみの一つとしていたので、食器棚の前に立って、料理に合う色合い

の皿小鉢を、良いも悪いも全く分らないながら、ただ一生懸命選んで盛りつけ、テーブ

ルに並べる。全部終わると九時を回っている。

 もうじき彼が帰って来る。令子はエプロンを外すと洗面所に行って、マンションには

珍しく両脇も鏡になっている大きな三面鏡に自分の姿を映して、前から横から眺め髪を

直し、化粧を直し、彼の好きな香水もたっぷりつけ直して、これで良しとぽんと胸を叩

いてリビングに戻りソファに腰掛けて、テレビを見ながら待つ。

 十時過ぎ、玄関のチャイムが鳴る。令子は駆け出して行ってドアを開け、潤一郎が入

ってくるのももどかしく抱きつく。タバコと整髪料の匂いが混ざった体臭を深く吸い込

み、スーツの胸に頬を押し当て、さらに強く抱き締める。潤一郎も、片手にかばんを持

ったまま、もう一方の手を令子の華奢な体にしっかりと回す。

 「遅くなってごめんね。待った?」

 「ううん。そうでもない。ご飯の支度してたから。今日は甘鯛の酒蒸しよ」

 令子は潤一郎の手を取ると、食堂へ引っ張って来て、テーブルの上にかけておいた大

きな布巾を外す。潤一郎は、箸や盃まで並べられて、もう食べるばかりに整えられたテ

ーブルを見るなり顔をほころばせて「うまそうだな」と言い、ベージュのスポーツシャ

ツとこげ茶のコール天のズボンに着替えて、洗面所に行き、手と顔を洗う。その間に令

子は台所に行って銅のやかんに湯を暖めなおし、日本酒の好きな潤一郎のために燗をす

る。そして遅い夕食が始まり、二人は差しつ差されつ、ゆっくり呑みながら令子の労作

を味わう。

 

 潤一郎の酒には節度があった。仕事柄、接待も多く、そんな時には随分呑むこともあ

ったようだが、決して乱れることはなかった。自宅で呑む時は、料理を味わいながら、

ゆっくり二合くらい呑むと、自然と味噌汁とご飯に移った。令子にとっては、そんな量

では呑んだうちに入らなかったが、自分の体が欲するままに呑んだらどのような見苦し

い酔態をさらけだすことになるかは分っていたので、潤一郎のペースに合わせて盃を置

き、台所に行ってちゃんと味噌漉しを使って、二杯分の味噌を溶いて汁に入れ、ご飯を

よそう。

 満腹すると、一応飲みたい気持ちが収まるので、ほっとして、後片付けを始める。潤

一郎も手伝ってくれる。令子が食器を洗い、潤一郎が拭いて棚にしまう。

それが終わると今度は風呂だ。二人ともほろ酔いなので、湯はぬるめにして、一緒に

入る。かけ湯をした潤一郎が大きな体を浴槽に沈めてあぐらをかくと、令子はそのあぐ

らの中にすっぽり入る。浴槽が小さいので令子の肩が出てしまう。潤一郎が時々その上

から湯をかけて、大きな両方の掌で包んでくれる。温まると流し場に出て、戯れ合いな

がら、互いの体を洗い、もう一度温まってあがる。

その後は、和室に敷いた床の中で、和紙のカヴァーをかけたスタンドの、柔らかい照

明を浴びながらゆっくりと時間をかけて、疲れ果てるまで睦みあう。そして二人は、少

しの隙間もないように、ぴったり体と体をからませて眠る。

昼前に目覚めると、朝食を作るのは潤一郎だ。挽きたてのコーヒーと厚切りトースト、

ハムエッグとサラダ、果物。食べ終わった後は、天気が良ければ、目の前に広がる光が

丘の公園を散歩する。

広い公園の一角には、芝生が植えられた空き地があって、そこでは大勢の人が犬を放

して遊ばせている。令子は、取っ組み合いをしたり、何匹も連なって輪になって走り回

ったりしている犬たちを飽かずに眺めながら、自分も結婚したら犬が飼いたいなと思う。

しかし、潤一郎の口から、結婚という言葉が出たことはなかった。令子も仕事があった

ので、それほど差し迫って考えていたわけではないが、三十八歳という年齢からいえば、

子どもを作りたければそろそろ踏み切る必要があるのではないかと思う時もあった。だ

が、自分のアルコールのことを考えると、障害のある子供でも生まれるのではないかと

恐ろしくもあった。それとなく潤一郎に結婚のことを仄めかしたことも何度かあったが、

彼はその度に話をそらせ、令子も自分が隠れてしていることを考えると、生涯共に生き

て行くために一番大切な、信頼の問題をないがしろにしているという後ろめたさがあっ

て、それ以上強くは迫れなかった。

そんな多少の気持ちのずれはありながらも、それが二人の時間を台無しにするという

ほどではなく、公園を散歩して過ごす土曜の午後はいつも、眼に映る些細な物事を面白

おかしいストーリーに変えてしまう潤一郎の巧みな話術のおかげで笑いに満ちていた。

白と黒の縦じまが、猪の子どものように背中に入った大型犬が来る。

「わあ! 珍しい犬ね。面白いこと! あの背中!」

「犬に詳しい君でも、何ていう種類か知らないの? 」

「知らないわ。こんな変わった犬、見たことないわ」

「じゃ僕、ちょっと聞いて来てあげるよ」

潤一郎はとことこ、その犬を連れた初老の男性のところへ言って、何かしばらく話を

して戻って来る。

「ゼブラドッグといって、日本に数頭しかいないんだって」

「ゼブラドッグ? そうね。縦じまと横じまの違いだけですものね」

令子は面白いものを見たと、すっかり信じ込んで喜ぶ。そんな令子を見て、このまま

信じ込まれてもまずいと

「嘘だよ。ほんとはなんかの雑種らしいよ」

「ええ! 嘘なの!なんだ。わたし本当だと思って喜んじゃった。じゃあ、あの人と

何を話していたの? 」

「いいお天気ですね。とかこんな広い公園があって犬の散歩にはいいですね。とか、

そんなことだよ」

「なあんだ。だけどよくすぐ、ゼブラドッグなんて出てくるわね。しかも、いかにも

ほ当らしいから、だまされちゃうわ・・・・・・」

こんな他愛も無い会話で笑っているうちに、日が傾いてくると、二人で夕食の献立を

考えながら買い物をする。潤一郎は料理もうまく、さよりを下ろして刺身にする位の

ことは朝飯前だったから、大きな買い物袋をさげて帰った後は、広い台所に並んで立つ。

一緒にいられさえすれば、何をしていても楽しかった。子犬のようにじゃれ合う二人

は、傍目には満ち足りた恋人たちと映っているに違いない。だが令子の心には、どんな

時でも一点の翳りがあった。今は楽しい。でも日曜の晩潤一郎さんと別れて帰ったら、

また私は約束を破って、一人で毎夜、浴びるように呑んでしまうのだ。何故だろう? 

人水入らずで、身も心も溶け合うような時を過ごした後で、何故私は、あんな呑み方を

せずにはいられないのだろう?

 

ある日曜日の昼前、令子が目を覚ますと、傍らに寝ているはずの潤一郎がいない。彼

の掛け布団もない。驚いて起き上がろうとすると、こめかみが疼き、吐き気がする。

それをこらえて布団から抜け出しリビングに行ってみると、潤一郎が薄いカーテンを通

して差し込む春の陽光を浴びながらソファの上で、頭から布団をかぶって眠っている。

令子は、どうしたことかと訝しく思いながらも、ともかくひどく喉が渇いていたので

台所に行って、大きなコップに二杯、立て続けに水を飲んだ。その気配で潤一郎が目を

覚ましたらしく、背後から「起きたのか」という声がした。振り向くと、ソファの上に

半身を起こして、こちらを見ている。その目が、いつもと違い全く笑みを湛えていない。

「どうしてそんなところに寝ているの? 」と尋ねると、「覚えていないのか!」と嘆息

するように言い、「とにかく起きたんだったら、もう帰ってくれ」と続けた。

令子は何があったのか、しかとは分らないものの、体の感じから、昨夜よほど酒を呑

んだのだということだけは分った。一体私は何をしたのだろう? 潤一郎さんはどうし

てこんなに怒っているのだろう? 令子は、茫然と立ちすくんだまま、記憶をさぐって

いった。そうだ。わたしは昨夜、潤一郎さんが眠ってしまってから、夕食の時に呑んだ

酒が醒めてどうしても寝付かれなくなり、台所に来てこっそりウィスキーを呑んだのだ。

そんなことをしたのは、これが始めてだった。リビングの棚からウィスキーの瓶を取り

出し、いつも一人で呑む時のように、辛うじて少量の水を加えただけで二杯、三杯と呑

むうちに、多量の酒を体内に入れた時の常で、もう何もかもどうなっても良いという自

暴自棄な氣分になり、急ピッチで呷り続けた。そこまでは思い出すことが出来た。しか

しそれから先は記憶が全く途切れている。恐る恐るもう一度尋ねてみる。「ねえ、わたし

何かした? 」しかし潤一郎は、「覚えていないのなら、もういい。とにかく早く帰って

くれと言っているだろう!」と語気を荒げて繰り返すだけだった。

令子は、自分が約束を破って一人で呑んだことを、潤一郎がこれほどに怒っているの

かと思った。だが呑みに出かけたわけではない。潤一郎の家で呑んだだけではないか。

二人で一緒に呑んだわけではないが、彼のいる所で呑んだのと同じことではないかと心

の中で言い訳をした。それにしても記憶がないことが恐ろしい。身のすくむ思いでひっ

そりと服装を整え、化粧もそこそこに荷物をまとめて、「じゃあ帰ります」と声をかけた

が返事もない。

玄関の扉をそっと閉めて外に出ると、公園の桜が満開で、芝生には太陽が降り注ぎ、

たくさんの家族連れが子どもや犬を遊ばせたり、弁当を広げたりしていた。しかし今の

令子の目には、その光景が全く現実感を失ったもののように映り、自分が一人、深い竪

穴の中に落ちて行くような気がした。

地下鉄の駅に着き階段を下りて、光の世界から遮断されると、ようやく少し人心地が

ついたようで、また前夜の記憶をたどってみるが、どうしても一人でがぶ呑みを始めた

ところまでしか思い出せない。練馬で乗り換えて西武線で池袋に着き、休日の人波の中

を周囲に目を配ることもせずに通り過ぎ、また私鉄に乗って、四番目の駅で降りると、

貧血でも起こしかけている人のようにふわふわと歩いて、ようやく自分のマンションに

たどり着いた。そして鍵を開けて中に入ると、カーテンも開けずに、そのままベッドに

倒れ込んだ。

じっと横になったまま記憶をたどっていると、ふっと、前後の脈絡なしに、自分が包

丁を振り回している姿が現れてきた。記憶はそこで途切れる。愕然としながら、それで

もなお、思い出そうと努力を続けていると、もう一つの光景が、これも前後の脈絡なし

に見えてきた。自分が床にひっくり返って、包丁を潤一郎に差し出し「苦しくてたまら

ないから殺してくれ」とわめいているところだった。それ以上はどうしても思い出せな

かった。しかしそれで充分だった。

 

それから三週間、潤一郎からは音沙汰がなかった。その間、令子は一滴の酒も口にし

なかった。自分の酒癖の悪さに、そして大酒(たいしゅ)した時の記憶が全く失われてし

まうことに、深い恐怖を抱き、なんとしても酒をやめようと固く決心したのだった。

しかし、どうしたら良いのだろう? 令子は誰に相談することも出来ず、一人で方策

を思い巡らせ、まず家中の酒を流しに捨てた。料理酒も味醂も捨てた。酢にも少量のア

ルコールが含まれていると聞いたことがあったので捨てた。夜、湯上りに、湯気の立ち

昇る顔から首筋にかけて化粧水をたっぷりつけると、かすかにアルコールの匂いが漂っ

た。令子はあわてて瓶に残っている化粧水を風呂場に流し、シャワーで床のタイルや排

水口をよく洗い、自分の体も石鹸の泡だらけにして良く良く洗い直した。そして、それ

からはアルコールを含んでいるかも知れないメーカー物の化粧水ではなく、へちま水の

ような天然の化粧品だけを選んで使うようにした。

だがいくらアルコールを含んだ物を身近に置かないように気をつけていても、酒の魔

力とはよく言ったもので、ひとたび飲酒欲求が起これば依存症者はそれに抗するに充分

な力を持っていないし、自動販売機はどこにでもある。本当に酒を止めたかったら、飲

酒欲求が起こらないように生活を変えなければならない。令子は日課を決めた。朝は六

時に起きて三十分ジョギングをする。汗をかくと体内に溜まりに溜まったアルコールの

毒素が出て行くような気がする。それが済んだらシャワーを浴びて、しっかり朝食をと

って出勤する。仕事が早く終わる日は、帰りにプールに寄って1キロ泳ぎ、サウナに入

って、ここでも汗を出す。そして帰宅したら、七時には手作りの夕食を食べ、翌日の授

業の準備をして十一時には床に入る。毎日、張り詰めた気持ちで、ひたすら規則正しく、

そして余計な暇を作らないようにして暮らした。さいわいよく運動しているお陰か、不

眠に苦しむことはなかった。食欲もあった。まだ禁断症状が出るほどではなかったので、

一日、一日が贖罪の日々と思えばさほど辛くはなかった。むしろ毎夜、今日も呑まなか

ったという喜びの中で、穏やかに眠ることが出来た。

こうして令子は積年の重荷だったアルコールを、ひとまず断つことが出来、三週間が

経った。こんなに長い間一滴も呑まなかったのは、十八歳で呑み始めてから初めてのこ

とで我ながら信じ難かった。

そして三週間後の土曜日の夜、電話のベルが鳴った。受話器を取ると「もし、もし」

という相手の声が聞こえた。その声を聞いただけで、潤一郎であることが分った令子は

「はい」と答えただけで絶句してしまった。胸の高鳴りが鼓膜に響いた。しかし潤一郎

は、自分の気持ちをしっかりと見極めたうえで、電話してきたのだろう。驚くばかりに

寛大だった。ひたすら詫びる令子の言葉を遮って、過日の出来事については、

「酔って覚えてないのなら仕方が無いよ。でも、もうあまり呑むなよ」

と言っただけだった。そして何事もなかったかのように

「よかったら、今度の金曜日にまたおいでよ」

と誘った。

 

金曜日、令子は、授業が終わると食料品を買い込んで光が丘のマンションに行き、夕

食の支度をして潤一郎の帰りを待った。十時過ぎにチャイムが鳴り、令子は迎えに出た

が、いつものようにすぐに抱きつくのは憚られ、潤一郎の顔色をうかがうように少し離

れて立っていた。しかし潤一郎は、普段と変わりなく令子の傍らに来てその華奢な体を

両手でしっかりと抱き締めた。そして揃って夕食の席についた。令子は、潤一郎のため

には酒の用意をしたが、自分は呑まないつもりだった。盃が一つしか出ていないのに気

づいた潤一郎が言った。

「おや、呑まないの?」

「うん、わたしもうお酒止めたの」

「なんだ、一人で呑むのはつまらないな。まあ、少しならいいじゃないか。ただし、

僕と一緒の時だけだよ。」そしてニコッと笑うと続けた。「さあ、盃を持っておいでよ」。

瞬間、令子の頭の中で色々な想いが交錯した。正直言って、令子はもう酒が怖くなっ

ていたので、これだけの間禁酒したのだから、このまま酒と縁を切ってしまいたいとい

う気持ちがあった。だが逆に、これだけの間禁酒出来たのだから、少しくらい呑んでも

以前のようにはならないだろうという自信めいたものもあった。潤一郎のために禁酒し

ようと決意していたのに、当の相手が勧めてくれているということで、張り詰めていた

気持ちが緩んだということもあった。それに何よりも、そう言われれば飲みたかった。

「それじゃ、お付き合いに少しだけ・・・・・・」

その夜は、酔うことへの恐怖感の方が強く、本当に付き合い程度で止めた。次の夜も

ほろ酔いでこらえた。しかし日曜日の夕方潤一郎と別れると、なまじ少量呑んだだけに

体に口火が点けられたようで、頭の中にはもう、ただ心ゆくまで呑みたいという願望し

かなかった。そして自宅のある私鉄の駅を降りるや、ためらいもせずに通い慣れた酒屋

に足を運んだ。その後は何もかも以前の通りだった。いや、以前よりひどくなっていた。

自分のマンションにたどり着き、玄関の鍵を後ろ手に閉めるや否や台所に行き、大き

なコップにウィスキーを八割、水を二割位注いで勢い良く呑み干した。しばらく我慢し

た後だけに、いつもより更にピッチが早い。もう、潤一郎を裏切っているという良心の

咎めもない。ひたすら酔いたかった。最後は生のままであおる。人間は要らなかった。

酒さえあれば良かった。

その夜、顔も洗わず、着の身着のままベッドに倒れこんだ令子は、始めて失禁した。

 

それでもそれからしばらくの間は、潤一郎の前では酔態をさらけださないよう、渾身

の力を振り絞って自制していたので、週末の逢瀬は以前と変わりなく続けられた。

数ヵ月後の日曜の夕方、二人はいつものように早目に外で食事をして別れることにし

て、何度か一緒に行ったことのある池袋の寿司屋に入った。並んでカウンターに座り、

潤一郎が、好みの冷酒を店主に頼んだ。二人はコップに入った酒を呑みながら、店主も

交えて雑談を交わし、寿司をつまんだ。潤一郎は、ゆっくりと酒を口に含んで味わいな

がら、次はトロにしようか、平目の縁側にしようかなどと話しかけてくる。だがその日

の令子は、どうしても彼のペースに合わせることが出来なかった。潤一郎のコップには

まだ半分以上も残っているのに、彼女のコップは早くも空になってしまった。寿司はい

くらも食べていない。令子は続けてもっと飲みたかったが、潤一郎は彼女のコップに酒

が無いことに気付いているのか、いないのか、次を注文してくれようとはしなかった。

二人の間では、酒のペースを決めるのは潤一郎で、令子は潤一郎の許す範囲内で呑む

というルールが暗黙のうちに決まっていたので、令子は横目でちらりちらりと潤一郎の

表情を窺いながら待っていた。潤一郎はカウンターの後ろに並べられた品書きを熱心に

読んでいるようで、彼女のコップの中味のことになど何の関心も持っていない様に見え

る。しばしそんな状態が続いた後、令子はふっと頭をしゃんと上げてカウンターの中に

いる店主の方を向き、自分の空になったコップを持ち上げて見せると、潤一郎の方には

目をやりもせず、きっぱりとこう言った。

「これ、もう一杯お願いします」

潤一郎が驚いたように、令子の顔を見た。だが、そこまで、そこまでだった。記憶があ

るのは。

翌朝目覚めると、自分のベッドに、一人、素裸で寝かされていた。失禁したらしく、

汚れた衣類が床に丸めて置いてあった。

令子は、しばらくの間、茫然と、素裸のままベッドの上に座り込んでいた。自分が昨

夜何をしたのか、どう努力してもまるで思い出せないが、今の有様を見れば、大体の想

像はつく。令子をここへ連れてきて寝かせたのは潤一郎に違いないが、その潤一郎も愛

想を尽かして帰ってしまったのだろう。今回は、二杯目の酒を自分で注文したところま

では、はっきり覚えているのに、そこから先のことは手がかりひとつ残さず消え去って

おり、以前のように飛び飛びにすら思い出すことは出来なかった。段々に、記憶の無く

なる時間が、早く、そして長くなっているようだった。だが、別に思い出したくもなか

った。いや、逆に、「星の王子様」に出てくる酔っ払いのように、全てを忘れたかった。

忘れて眠りたかった。眠って意識を失うことだけが救いに思えた。そのために頼れるも

のと言えば、また酒しかない。

大学に出かける気力もなかった。時計をみると、九時近かった。大学の教務課は八時

半には開く。令子はふらふらと起き上がると、まず、床に丸めてあった汚れた衣類を拾

い上げて、上着も下着も一緒に洗濯機の中に放り込み、それから手帳を開いて、その日

行く大学の教務課の電話番号を調べてプッシュボタンを押し、病気なので出講出来ない

と言って休講の掲示をしてくれるよう頼んだ。そしてそのまま、スリッパも履かずに素

足を引きずるようにして台所のガスコンロのところに行き、その下の物入れに醤油や油

と一緒に隠すように置いてあった、まだ殆ど減っていないウィスキーを取り出すと、コ

ップになみなみ注いで生のままゴクゴク飲んだ。焼け付くような液体が口を満たし、喉

を通って胃に落ちると、頭の中に濃い霧が広がり、少し自分の惨めさを忘れられる。そ

こでベッドに戻ってしばらくの間、浅い眠りにしがみつく。目が覚めるとまた台所に行

き、しゃがみ込んで物入れを開ける。数回それを繰り返すと、日が暮れ始め、瓶も空に

なった。そこでようやく、顔を洗って、髪をとかして、近くの酒屋に行った。

 

こんなことをしていてはいけない。翌朝、こみ上げてくる吐き気で目覚めた令子は思

った。こんなことをしていては廃人になってしまう。今日はなんとしても学校に行かな

ければいけない。激しい頭痛と吐き気をこらえて起き上がると、うっと吐き気がこみ上

げてくる。あわててトイレに駆け込むと、前日から何も食べていないので、黄色い胃液

が出るだけだった。それでも吐き気はこみ上げてくるので、何度もトイレに行くうちに

苦しくて涙が出て来た。しばらく便器の上にかがんでいると、苦い胃液も出なくなった

ので、涙を拭きながらトイレから出て、うがいをして、コップに水を入れ、少しづつこ

わごわ口に含み、噛むようにしてそっと飲み込んだ。それがどうやら落ち着いたのでコ

ップ一杯の水を、10分くらいかけて飲み終えた。そしてしばらく様子をみて、それが胃

の中に収まったことを確かめてから、もう一杯コップに水を注ぎ、いつものように胃薬

と頭痛薬を飲んだ。しばらくすると、薬が効いてきたらしく胃が少しすっきりしたので、

次は何か食べなくてはと思い、喉越しの良い物をと考えて、素麺をゆでて薬味もなしに、

ただ冷蔵庫に残っていた、そうめん用のつけつゆを水で薄めて麺にかけてしまって啜り、

もう一度胃薬と頭痛薬をのんで、ふらつく足を踏みしめて出かけた。

授業は一年生の文法が二時間だったので、長年教えてきたことの繰り返しで、180

分の時間を何とか大過なくやり終えることが出来た。だが教壇に立ちながらも、令子の

頭の中は、どうしたら酒を止められるかということで一杯だった。もう完全な禁酒をし

ようというだけの気力はなかった。それでも、とにかく昼間は飲まないことだ。夜だけ

なら、普通の酒呑みと変わらないだろう。だが授業のある日はそれが出来るにしても、

休日はどうしたら良いのだろう? 潤一郎からは、もう、しばらく連絡がないだろう。

この先二人の間がどうなって行くのか、考えるのも恐ろしい。恋しかった。しかし、

こちらから電話をかける勇気はない。となれば、休日の過ごし方を考えなければいけな

い。一人で白壁に囲まれた狭いマンションに閉じこもっていては、決して酒の魔力には

勝てない。数ヶ月前には、独力で三週間、酒を断つことが出来たが、今はもう、酒の支

配力は意志の力ではどうにもならないほど強大になっていた。休日が怖かった。とつお

いつ考えたが良い知恵も浮かばぬままに、以前の時と同じように、運動をすることにし

た。休日は、毎週プールに行って、疲れ切るまで泳ごう。そして夕方は、母の家に行っ

て、一緒に夕食をして来よう。疲れて、そして満腹して帰れば、眠くなるから酒の量が

減るだろう。

 

令子の父は数年前に亡くなり、母はそれ以来、練馬にある古い家に一人で暮らしてい

た。令子は子供のころは勿論のこと、成人し、ひとり立ちしてからも、母が大好きだっ

たし、母も令子が訪れれば、いつも大喜びで迎えてくれた。だが令子は滅多に母のとこ

ろへ行かなかった。自分が、心ならずも、母を傷つけてしまうことを恐れていたからで

ある。

 

母は不幸な人生を送った人だった。俳人だった祖父の下で、のびのびと個性を伸ばす

よう育てられ、三十歳近くまで結婚せずに、一流の師について、和歌、俳句、日本画な

どを学び、将来は芸術方面に進みたいという夢を持っていた。しかし、昭和十年代のこ

とである。女が結婚せずに生きる道は険しかったし、母には当時の社会の中で自活して

生きていくだけの、能力も覇気もなかった。それで娘の先行きを案じた祖母の意向に屈

して、三人の幼い子どもを残して前妻が亡くなり困っていた父のもとに、嫌々ながら嫁

いできた。しかし、婚家の舅は漢文の教師で、その家風は実家のものとは全く異なり、

質実剛健、倹約を旨としており、母には馴染めなかった。その上、姑は気が強かったか

ら、恐らく彼女にとっては全く可愛げのない嫁であったであろう母を、婚家の家風に染

め直そうといびり抜いた。いや、本当のところは、姑自身が女優になりたいという夢を

持っていた人で、その為女の身一つで富山から上京して来たのに、結局は羽ばたけず漢

文の教師の妻となり、夢を捨てて子どもを産み、台所を守る生活をしなければならなか

った恨みを、まだ独身時代の華やかさを身辺に漂わせてやって来た母に、嫁の教育とい

う大義名分のもとにぶちまけたのかも知れない。

長男であった父は仕事熱心で真面目な人ではあったが、人間的には未熟だったうえに、

儒教的な親孝行の徳を叩き込まれて育っていたので、気の強い母親には全く頭が上がら

なかった。だから母の孤独な心を支えてくれる者は一人もなく、母は、姑に絶えず監視

されながら大家族を支える労働力として、ひたすら働かされ続けた。独身時代には、一

流の芸術家たちに、かなり高くかわれていた才能を活かすことなど全く出来なかった。

そして二人の子を産んだが、二人とも乳飲み子の時に亡くなった。それから間もなく、

時折は母をかばってくれていた舅も亡くなった。その後(あと)に産まれたのが令子だった。

令子の母は、子ども好きで心優しい人だったから、前妻の子どもも分け隔てなく可愛

がってはいたが、それでも始めて無事に育った自分の子である令子には特別な思い入れ

があったようで、果たせなかった青春の夢を託するように、毎晩添い寝して様々な本を

読み聞かせてくれた。それは令子にとっては勿論だが、過酷な日々を送っていた母にと

っても至福の時間だったに違いない。長じて令子がフランス文学への道を歩んだのも、

幼い時からこうして読書の楽しみを教えてもらったお陰だろう。

だが、心優しい母でも、時には忍耐の限界に至ることがあった。とはいえ姑の気の強

さに逆らうことの出来る者は、舅も含めて家庭内に一人もいなかったのだから、増して

や新参者の嫁にそんなことが出来るわけがない。父は、家庭内のいざこざを最も恐れて

いたので、巻き込まれないためにいつも仕事に逃げていて、「男は外に出れば7人の敵

がいるのだ」というのが口癖だった。母は、たまに実家に帰ることも、かつて在学してい

た大正文化の華やかさを象徴する専門学校の同窓会に出席することも、娘時代の友人た

ちと付き合うことも、子どもたちの学校の父母会に出ることすらも、姑によって禁じら

れていた。俳句や和歌などはこっそり小さなノートに書き付けたりしていたようだが、

そのノートは箪笥の奥深くにしまわれていた。離婚するとか、長男夫婦が両親と別居す

るなどということは、よほど勇気のある人間でなくては出来なかった時代である。母は

とりわけ子どもたちへの愛と、経済的理由とで、婚家を出ることが出来なかった。だが

青春時代に、なまじ幾らかの才能を認められたことがあったが故に、時代の風潮に従っ

て人形のように生きることに飽き足らず、何とか自分の持てるものを活かしたいという

 

欲望に駆られ、その欲望の炎を心中では激しく燃やしながらも、現実にはおき火のよう

に、燻らせて(くすぶらせて)おくことしか出来なかったのである。欲望を、,ノートと

共に箪笥の奥深くしまいこむことによってしか女として生きて行くことが出来なかった

のである。この時代にはこのような状況の下にあった女は、少なからずいただろう。

令子はある会合で、その時代の指導的立場にあった一人の女流歌人の姪に合い、その

歌人が、晩年、「自分は生涯女性たちが、個性豊かに能力を発揮することが出来るように

導いて来た。だが今、考えてみると、それによって、彼女たちは幸福になったのだろう

か? 」と近しい人に語ったという話を聞いたことがあった。

恐らく、そういう教育を受けても、自分の持てるものを発揮して生きることが出来た

女性はほんの一握りであって、大半は、良妻賢母という時代の価値観によって外的にも、

そして同時に内的にも追い詰められながら、耐えて生き続けたのであろう。

しかし、そうして、ひたすら耐え続けるためには、何かはけ口がなくてはならなかっ

ただろう。それは恐らく人によって異なり、極端な例としては狂気の世界に逃げ込んで

しまった人もいたであろうし、自分を殺した人も、夢を殺した人もいたであろう。それ

ほど極端でなく、また母ほど追い詰められず、自由に外出なども出来た女性は、家事の

合間に作品を作り、新聞、雑誌に投稿したり、どこかの結社に入って細々と創作活動を

続けたり、自費出版したりということで気を紛らわしていたのだろう。だが母にはそん

な自由もなかった。母に残された唯一の逃げ道、現実からの唯一の出口は、昼間人気(

ひとけ)の無い時に、台所の料理用の酒にこっそり手を伸ばすことだった。

酒を呑むと、母の態度はがらりと変わった。普段は、どんなに辛いことがあっても口

元から笑みを絶やさず、穏やかでおとなしく、誰にも荒い言葉など吐いたことなどない

人なのに、酒が入ると、突然目を吊り上げて般若のような顔になり、唇の端に白い泡を

溜めて、姑に対する恨みや、自分の人生はこんなふうになるはずではなかったという繰

言を、途切れなく小声でつぶやき続けるのだった。

幼い令子は、母のその変貌の理由が分らず、ただ目つき、顔つきが変わってくると脅

えるだけだった。令子が小学校の2年か3年の頃のある日、学校から帰って来ると、近

所のおばさんたちが道端で立ち話をしていたが、令子を見ると、口々に

「令子ちゃん、帰ってきたの。でも、ちょっと待ってね。お家に入るのは」

「すぐ終るからね。今、近所のおばさんたちが止めに行ったからね。もう収まるよ」

間もなくして、おばさんたちが出てきて

「もう大丈夫よ。あら、令子ちゃん帰って来てたの。心配したでしょ。でも、もう、お

母さんおとなしくねんねしちゃったから、そーっとしておいてあげましょうね。おやつ

が欲しかったらうちにいらっしゃい。もうお姉さんも帰ってくるから、ふたりでうちに

いらっしゃいね」

じきに腹違いの、十歳年上の長姉、弘子が帰ってきたので、令子は弘子に手をつなが

れて家の中に入った。鬱蒼と茂る木立の中の古い日本家屋の玄関の引き戸を開けると、

男のもののような大きないびきが聞こえた。祖母は、母との諍いを止めさせるために、

誰かが家の外に連れ出したのか、珍しく家にいなかった。姉の弘子が令子の手をとった

まま奥の座敷の前に連れて行った。いびきの音はそこから聞こえていた。「おかあさ

ん? 」令子は囁くように尋ね、弘子は黙って頷いた。障子を開けてみると、近所の人

たちが敷いてくれた布団の中で、母は泥酔した人のいびきをかいていた。がっくりとこ

けた頬を更に窪ませて口を大きく開け、そこからいびきの音を吐き出していた。それは、

いつも身辺のどこかに優雅さを漂わせている母の素面(しらふ)の時の姿とは、あまりに

もかけ離れていた。

弘子は令子の手をしっかり握ったまま茶の間に行き、ちゃぶ台の前に座布団を敷いて

令子を座らせ、自分もその向かい側に座った。

「酔っ払っているのよ。今までお母さんが隠れてお酒を呑んでいたこと知らなかった

でしょう。でも、もうわたしは何度も見てるの。酔っ払って暴れて、お祖母さんに飛び

掛って取っ組み合いになって、わたしが近所の人を呼んで来て、二人がかりで引き離し

てもらったことだってあるのよ」

令子はただ

「そう」

と一言いっただけで、じっと、眠っている母の頬のこけた顔を眺めていた。母が無性

に哀れで、抱き締めて、その頬に自分の頬をすり寄せて「おかあさん」と呼びかけたか

った。だが同時に、時々起こる変貌の理由が酒にあることを知って、ジグソーパズルが

出来上がった時のように、納得するものがあった。まだ小学生とは言え、この家を支配

している何やら秘密くさく陰気な雰囲気を感じ取る能力はあったから、「そうか、これが

原因だったのか」とぴったり合ったジグソーパズルを見せられたような心地だった。

「可哀相なお母さん、わたしが必ずしあわせにしてあげるからね」

令子は心の中でつぶやいた。すると何時のことだったかは忘れたが、長姉の弘子が同

じことを母に対して言っていたことがあるのを思い出した。

父が、ずっと以前、唐突に

「女は子どもを亡くすと気が狂うことがあるんだよ」

と令子と二人きりの時に言ったことも思い出した。あれは、いつかは真実を知るであ

ろう令子への、前もってのいたわりの言葉だったのか?

黙り込んで、じーっと俯いてしまった令子を見て、弘子は励ますつもりか、大きな声

でてきぱきと

「大丈夫よ。お母さんは明日の朝には、けろっとして起きてくるわよ。今日の晩御飯は

わたしが作って上げるからね。」

と言って立ち上がった。それから先のことは覚えていない。恐らく弘子の言った通り

になったのだろう。

母の変貌の原因を知ってからは、前にも増して母が哀れになり、いとおしくなった。

だが思春期になると、母をいとおしく思う気持ちに変わりはなかったものの、酔った時

の不気味な姿に激しい嫌悪感を抱くようになった。一時はその嫌悪感の故に、母の作っ

てくれた食事が、「母が触れた」と思うだけで喉を通らなくなってしまったことすらある。

この頃から令子の、母に対する愛と嫌悪の葛藤が始まった。令子は、幼い時と変わらず

母を心から愛し、その人生を痛ましく思い、なんとか少しでもしあわせになって欲しい

と願い、そのためなら何でもしようと固く心に決めていた。だが、その真実の心とは裏

腹に、時折母の不気味な酔態が記憶の底から蘇って来ると、抑え難い嫌悪の念が必ず同

時に湧き上がってきて、令子の意志に反する刺々しい言葉が口をついて出てしまうのだ

った。そうして傷つくのは、母以上に令子自身だっただろう。

令子はその葛藤が苦しくて、自活出来るようになるとすぐにローンで小さなマンショ

ンを買い、一人暮らしを始めた。その後姑、父と続いて亡くなり、母が一人暮らしにな

ってからは、以前よりは頻繁に訪れるようにしていたが、状況は変わっても心中の葛藤

は変わらず、いつも最後は意地の悪い捨て台詞を浴びせて別れることになってしまうの

だった。そして母の家の外に出ると、また愛する母を傷つけてしまったという悔いがい

つまでも令子の胸の奥深くに刺さって抜けず、令子の心を痛めつけ、ひとり密かに母に

詫び続けるのだった。

 

その葛藤の苦しみに、恋人との唯一の約束が守れない罪の意識が加わって、令子は自

分を救われがたい罪びとと責め、何とか、こんな泥沼に首まで浸ったような人生から足

を洗いたいと、宗教にすがろうとするようになった。日曜の朝、近くのプロテスタント

 

の教会に飛び込んでいったこともある。だが自分を本当に汚(けが)れたものと思ってい

る令子にとって、神様は、どうしても裁きを下される恐ろしい存在としか考えられなか

った。

「こんな汚れた私、神様、あなたはこんな私をも本当に受け入れて下さるのですか? 」

司祭あるいは牧師のお説教を聞きながら、あるいはそういう方々が書かれた本を読みな

がら、彼女はこの言葉を心の中で何十回繰り返したことだろう。

令子が当時読んでいた、キリスト教、特にカトリック関係の書物には、至る所に赤や

青の傍線が引いてあったり、小さな字でぎっしり書き込みがあったり、またところどこ

ろには付箋が張ってあったりしてある。涙の跡が残るページもある。現代ではカトリッ

クとプロテスタントの教義に大した違いはないという説が一般的になっているようだが、

もし誰かが令子に、プロテスタントとカトリックのどちらに心の安らぎを感じるかと尋

ねたならば、即座に「カトリック」と答えたであろう。イエスの優しさ、イエスの父で

ある神、アバの優しさ、彼らの底なしの優しさが、自分を罪びとと自覚している令子の

心から警戒心を取り除き、彼女はカトリックの洗礼を受けようかと思った。しかし令子

の育った家は、いかにも日本の家庭らしく、家族みんながばらばらの宗教を信奉してい

るとはいえ、西洋の宗教に飛び込んだ者はいないので、洗礼を受けるというはっきりし

た行為を行うことには抵抗があった。そしてそんなことを考えながら、ある神父様が書

かれた一冊の本を読んでいた彼女は、胸を打たれる一節に出会った。それはカトリック

のミサ聖祭について書かれた文章の中にあった。一部引用させていただこう。これは何

故、ミサ聖祭と言われるキリスト教の中心的儀式において、信徒たちがキリストの体の

象徴である御聖体と呼ばれる小さなパンをいただき、キリストの血の象徴であるぶどう

酒を一口いただくのかを説明した部分のすぐ後に書かれた文章で、ミサを制定したイエ

スの思いを述べている。「祈りができないのならそれでもよい。悲愛のこころがないのな

らそれでもよい。ただ手を合わせて私の方を向きなさい。私は、アバからいただいた私

のすべてをこめて、私の方からあなたの中に飛び込んで言ってあげる」という人間への

呼びかけだった。(「日本とイエスの顔」井上洋治著 北洋選書 1978 P220)

取税人のように、そして私たちの多くのように弱い人間には、旧約の聖書で定められ

ているような、厳しい規則を守ることはとても出来ない。だがそれでも良い。神様の方

を向いて手を合わせさえすれば、ミサ聖祭を通して、キリストの体とキリストの血を口

からいただくことによって、全人類のために自らを犠牲にしたキリストの力は弱い私た

ちの中に飛び込んできて、私たちを清めてくださる。

わたしは無力だ。わたしは、わたしの思い通りにはならない。わたしは、自分を変え

ることが出来ない。一晩酒を抜くことすら出来ない。しかも一人(ひとり)(ざけ)を止

めるというのは愛する人との唯一の約束だというのに。その上酩酊しての数々の乱行!

 聖書に出てくる淫売婦だって、わたしほどには汚(けが)れていない。さらに母に対す

る言動の底意地の悪さ。自分では制御出来ない悪意が噴き出してきてしまう。母を心か

ら愛しているつもりなのに、ちらりちらりと横目を使って、あら探しをしている。そし

て口をついて出る刺々しい言葉。どれほど母を傷つけていることか! 私には人を愛す

るということが出来ないのではないだろうか? おお、神様、それでも、あなたの方を

向いて手を合わせさえすれば、あなたの方から私の中に飛び込んで来て、清めて下さる

のですか? 本当ですか?

 

彼女は、毎夜一人になって呑み始めかなり酔いが回ってくると、必ずこの本を部屋の

隅に積み重ねた本の山の一番上から取り上げ、赤線や青線で塗り分けたページを開いて

膝の上に置くと、しばらくの間、身じろぎもせずに、酔っているとは言え、何事かを真

剣な表情で考えていた。だがある夜その本を抜き出すと、いつもとは違って、すぐに本

の裏表紙を開け、そこに記してある著者の電話番号を見ながら、プッシュフォンのボタ

ンを押した。しばらくベルの鳴る音がして、出てきたのは著者自身だった。

彼女は、取り立てて自己紹介もせずに名前だけ告げると、その神父様に、ご著書を読

ませていただき、これならば私でもやってゆけると思ったので、洗礼を受けさせていた

だきたいと言った。神父様の返事は、驚くばかりに簡単だった。

「ああ、そうですか」

と一言おっしゃるとすぐ日取りの話になり、洗礼式はたいてい日曜日の午前のミサの

後に行われるそうで、令子は週末はいつも何の予定も無いので、難なく決まった。ただ

その前に一度きちんと話をしておきたいから、教会の方へ来て下さいと言われ、それも

近々(きんきん)に彼女が指定された場所へ行くことで決まった。

何ヶ月も考え抜いて、いわしの頭も信心からというではないか、それならいわしの頭

でも良い、向こうから飛び込んで来て下さり、わたしを清めて下さるのだ、その恩恵に

あずかるためには、わたしも一歩踏み出してみよう、と一大決心をしての行動だったが、

全てはいとも易々と運び、令子は家族には黙って洗礼を受けた。

 

だが、何も変わらなかった。相変わらず、毎夜の酒浸り、母親との角突き合い、毎週、

日曜の午前には教会に行って、手を合わせ、「神様、わたしの中に飛び込んで来て下さ

い。わたしを清めて下さい」と祈りながら御聖体をいただいて帰るのだが、何も変わ

らなかった。ミサの帰りに、日曜日なのに開いている酒屋を見つけてウィスキーを買っ

たこともあるし、ちゃんと御聖体をいただいた後に、母のところへ行って、せっかく寛

いでいるのに、突然冷水を浴びせるような言葉を、投げつけて飛び出して来たこともあ

る。奇跡は起こらなかったのだ。というよりも、神様の考えていらっしゃるお恵みとは、

人間の思惑を超えた、人間には理解し難いものなのであろう。

 ただ、洗礼を受けてからは、祈る時に、以前に較べて非常に真剣な気持ちになるよう

になった。だから令子は、やむを得ず母の家へ行く時には、必ず門の前で十字を切り、

イエスの母であるマリア様に「お願いします。どうか今日は私が、大好きなお母さんを

傷つけるようなことを言わないように、自分を制する力をお与え下さい」と祈ってから

入ることにしていた。

だが、人間の記憶とは、時として何と厭わしいものだろう。七十歳を過ぎてようやく

あらゆる束縛から解放され、失った時間を取り戻そうとするかのようにせっせと日本画

や和歌の教室に通い、もう酒を呑むこともなく、楽しそうに微笑みながらお稽古事の話

をしている母の顔を眺めている時にすら、過去の忌まわしい酔態が突然脳裏に浮かんで

来ることがある。すると今の今まで、母がその年齢になって始めて、好きなことをして

暮らせるようになったことを喜んでいた令子の心は、突然抑え難い嫌悪感に満たされる。

そして目の前にある母の笑顔に、以前の酔った時の般若のような顔が重なって見えて来

ると最早自分を押さえられない。そっぽを向いて眉をよせ、母の話を無作法に遮り、部

屋に衣類が散らかっていること、台所のガスレンジが汚れていること、食器類が油でべ

とついていること、などを非難がましくあげつらうのだった。母は憮然として黙ってし

まう。令子自身も自分の口をついて出て来る言葉の意地の悪さに唖然とし、心の中で許

しを請うのだが、こみ上げてくる厭わしさに抗うことは出来ず、これ以上棘のある言葉

を吐かないために、早々に母の家を辞するのだった。

そんな関係であっても、酒の問題を誰にもひた隠しにしている令子には、相談相手は

一人もいなく、何も語らず縋れる人といえば矢張り母しかいなかった。彼女は休日にな

ると、日曜の朝は必ずミサに行ったが、昼間は、スポーツクラブに行って疲れ切るまで

泳いだり、エアロビクスをしたりして、体力を消耗させることに専念し、夕方になると

惣菜を買って、ご飯を二人分炊いて待っていてくれる母の家を訪れ一緒に食事をして帰

った。それでもマンションに帰ってからの一人(ひとり)(ざけ)の量は減らなかった。

だが令子は、前夜どれだけ飲んでも学校は休まなかった。根が真面目だったからでも

あるが、それ以上に、大学で教えているというプライドにしがみついていたのであろう。

しかし、大学で教えているといっても、授業時間以外は酒に溺れているのだから、他の

同僚たちのように、研究に励んで論文を書いたり、学会で発表したりすることは出来な

く、辛うじて初級の授業をつつがなくこなすだけで精一杯だった。それでも一応、年間

の規定の授業数をこなし、学年末までに教科書を大体終えておけば、首になることはな

く、令子のプライドは守られてきた。しかし、そんな形だけのプライドを満足させても、

本心はごまかし切れるものではない。令子は、一人前の職業人としての自信を失ってい

った上に、潤一郎との関係の崩壊も予測し、自分の人格に欠陥があることを認めざるを

得なくなってきていた。わたしには、自分にとって本当に大切な人を大切にする力がな

い。一番大事な物は何? と聞かれたら、アルコールと答えるであろうわたしには人間

に対する愛が欠けているのだと、己の人間性の歪みに気付いた令子は、毎晩、部屋の隅

の本棚の上に立てかけてある、洗礼式の時に神父様からいただいた陶器のイエス像に、

どうか私を暖かい血の通う人間にして下さいと祈った。令子は空っぽのプライドで身を

守ってはいたが、内実は、潤一郎との愛の破綻を予感し脅えていた。潤一郎を失うこと

は、想像するだけでも恐ろしかったが、素面で考えれば、遅かれ早かれ必ず、別れの時

は来ると思わざるを得なかった。その不安を忘れるためには、また酒が必要だった。酒

量はますます増えていった。毎日夕方帰宅すると、全身の細胞がかつえたようにアルコ

ールを欲する。それは最早令子の意志の及ぶところではなかった。強い酒でありさえす

ればなんでも良かった。令子は値の張るウィスキーを焼酎に変えた。

そしてある夜、例のごとく泥酔している時、飲めば飲むほど募ってくる寂寥感に耐え

かねてどうしても潤一郎の声を聞き、彼の心を確かめずにはいられなくなり、何度も受

話器を取り上げたり置いたりした後、思い切ってプッシュフォンのボタンを押した。二、

三度呼び出し音が鳴り、

「もしもし」

と普段と変わらぬ明るい声が聞こえたが、令子が

「わたしです」

と言うと、たちまち声音が変わった。嘆息するように

「ああ、君か」

と答え、冷ややかに

「何か用?」

と続けた。

「別に何でもないけど、どうしているかと思って」。

その声を聞いた潤一郎は即座に

「呑んでるな。僕は呑んでる時の君とは話したくないんだ」

と言うなり、電話を切った。令子は諦めなかった。酒の力が、何が何でも潤一郎の心を

こちらに向かせようという気持ちにさせていた。再びプッシュフォンのボタンを押すと、

今度はしばらく間があって潤一郎が出た。

「ただ元気かどうか聞きたいと思っただけじゃない。あんな切り方ってないでしょう」

「呑んでる時の君とは話したくないって言っているだろう」

「元気かどうかくらい言ったって良いでしょう」

「うるさいな、もう。切るよ」

令子はまたボタンを押す。十回以上も呼び出し音が鳴って、ようやく潤一郎が出る。

「いい加減にしてくれないか! 僕は君のそのだみ声を聞きたくないんだ。止めてく

れよ」

またボタンを押す。潤一郎は出ない。令子はベルの音を五十回まで数えてようやく諦

めて受話器を置いた。そして焼酎をもう一杯あおってベッドに倒れ込んだ。

一度やってしまえば最早、自制は効かない。令子は、夜毎、酔いが回ってくると受話

器を取り上げた。そんな令子を哀れに思ってか、あるいは素っ気無く切ってまた掛けら

れるのを避けるためか、たまに潤一郎が少しでも話し相手になってくれれば、令子の口

をついて出るものは、潤一郎の心変わりをなじる言葉ばかりだった。

「いつまでも結婚しようとも言わずに、ずるずる付き合っていて、一体わたしの人生

をなんだと思っているの? 」

「これから、どうするつもりなの? 結婚しないのだったら、わたしの十年を返して」

「本当にずるい人ね。自分が一流企業に勤めているからって、偉そうに。わたしのこ

とを馬鹿にしているんでしょう。いい気になり過ぎているわよ」

悪口雑言は止まるところを知らなかった。一度だけ、潤一郎が静かに言い返したこと

がある。

「結婚、結婚て、よくそんなことがいえるな。僕は君が、僕のいないところで何をし

ていたか知っているんだよ。だけど、いつかは僕の心が通じて止めてくれるだろうと

ずっと待っていたんだ」

さすがに、一瞬正気を取り戻して、令子は口をつぐんだ。だが次の瞬間には、酔い

が戦闘的な気分をそそり、白を切った。

「知っているって何のことよ? 」

「君がいつも一人で呑んでいたことだよ。用事があって電話すると声が変わってい

た。それに大酒を呑んだ翌日の君の顔は、どす黒くやつれていた」

返す言葉はなかった。それでも力なく

「そんなことしていないわよ」

と言ったが、潤一郎は

「そう言うのならそれでいい。とにかく、もう切るよ」

と答えただけだった。

だが次の夜、酔いが回ってくると、前夜のやりとりは頭の片隅に押しやられ、令子は

再び受話器を取り上げた。そして耐えかねた潤一郎が切ると、また掛けるのだった。

ある夜など、一度電話を切られた後、いくら掛けても出てくれないので、寝巻きの上

にコートを羽織って、大通りに出てタクシーを拾い、光が丘のマンションまで飛ばした。

室内に明かりが灯っていることを確かめてインターフォンを押したが、のぞき穴から見

て令子であることを知ったのか、潤一郎は応えない。何度もインターフォンを押した後、

ドアを叩いた。それでも潤一郎は出て来ない。業を煮やした令子は、両手で力一杯ドア

を叩き始める。隣家の主婦が、チェーンを掛けたまま細めにドアを開けて、驚いた様に

こちらの様子を窺っている。さすがに僅かながら正気を取り戻し恥ずかしくなったので、

再びタクシーを拾って帰宅した。

そんなことがあって後のある夜、いつもの様に酩酊して電話をかけた令子に、潤一郎

はきっぱりと言った。

「確かに君と過ごした時間は楽しかった。あんな風に暮らすのは僕にとって始めての

経験だったし、夢のように楽しかった。でも、今は、僕はもう君に何の愛着も持ってい

ないんだ」

だが、その言葉の重みは、泥酔した令子の心には届かなかった。彼女は何とか潤一郎

を言い負かそうと、責任という言葉を持ち出した。

「あなたは、自分の気持ちのことばかり考えているけど、それでは、わたしの青春の

十年間を弄んだことになるじゃないの。その責任はどうしてくれるの?」

 「責任か・・・・・・ それは君も大人なんだから五分五分だろ。僕は自分の心を

大切にしたいんだ」

 「心なんて、歌謡曲の歌詞のようにころころ変わるものよ。八代亜紀の古い歌にあ

るでしょう。『憎い、恋しい、憎い、恋しい、巡り巡って、今は恋しい』って言うのが。

そんなものに振り回されるなら、こちらは安心して頼りにすることは出来ないじゃない。

寄りかかろうとすると外れてしまう杭みたいで」

 「僕は心を大切にする人間なんだ」

 「なんて無責任な! 自分のことばかり考えていて・・・・・・ 」

 「そう思うなら、そんな無責任な奴とは、別れる方がいいじゃないか」

 話はどんどん令子の望まぬ方に向かった。令子は潤一郎の気持ちを翻させる術が分

らず、「太陽と北風」の北風のように罵詈雑言を吐いて言い負かすことで、愛を取り戻

そうとして、愚かにも、残っていたかすかな愛の残骸まで蹴散らしてしまうだけだっ

た。

 

そんなことを続けているうちに、令子の酒量はさらに増えていった。それでも大学は

二度と休まなかった。朝は辛い。アルコールが切れ始めると、手だけでなく体全体が小

刻みに震える。それを止めるために、また一杯飲み、匂い消しに大量の香水を振りかけ

る。電車の中で隣に座っていた人に、酒の匂いのことか、香水の匂いのことか、「臭いな」

と顔をそむけられたことも一度ではない。駅までの道の途中で吐き気を催し電柱の陰で

吐いて、そのまま出勤したこともある。休み時間にはトイレに入って、小瓶に入れて隠

し持って行った酒を少量飲む。そうしなければ手が震えて黒板に字も書けない。そして

夕方帰宅すれば勿論すぐに酒である。

令子は、このままでは廃人になるという予感に脅えた。だがもう、酒の魔力の前には、

手も足も出なくなっていた。

その頃、深川で覚せい剤中毒の男が、小さな子どもを二人連れた母親を刃物で襲い、

殺傷するという事件があった。すぐに取り押さえられた男は事件の動機について、「その

親子連れがしあわせに輝いているように見えたから」と語った。このニュースをテレビ

で見た令子には、男の気持ちが良く分った。自分も、何とかして止めたいと心底願って

いるアルコールをどうしても止めることが出来ず、呑めば必ず、本心に背くことばかり

してしまう。愛する人との関係も、心ならずも破壊することしかできない。そして気持

ちは荒み、恨みと嫉妬のみが膨れ上がって行く。それなのに世間には、しあわせに満ち

た生活をしている人もいるようだ。その人たちの目は輝いている。体中から、しあわせ

のオーラが立ち昇っている。なのに何故、何故わたしはこんな生き方しか出来ないのだ

ろう? 何故わたしはしあわせになることができないのだろう? 神様、どうしてわた

しに、こんな人生をお与えになるのですか?

令子はテレビで映される洗剤のコマーシャルも大嫌いだった。若い母親が降り注ぐ陽

光の下で洗濯物を干している。足元には大抵幼い子どもがまとわりついている。母親の

顔には満ち足りた笑みが浮かんでいる。それを見ると、令子の心の中には、どす黒い嫉

妬と怨念とが燃え上がった。深川の覚せい剤男の言い分と何ら変わりなかった。自らも

潤一郎を追ってストーカーのようなことをしながら、追えば追うほど嫌われて、心は寂

寥感に満たされ、自分に対しても、人生に対しても希望を失って行った。

 

秋も深まり始めたある夜、例によって飲みながら、新聞を眺めていた令子の目は一つ

の記事に惹きつけられた。それはある断酒会の活動に関するルポルタージュで、会に参

加したことで酒を止められた人たちの体験談も幾つか載っていた。どれも酒を止めたこ

とで、まっとうな人間として生きられるようになった喜びに溢れていた。

わたしも酒から解放されて、お天道様の下を胸を張って歩ける生活がしたい!

それを読んだ令子の心は叫んだ。だが、自分をアルコール依存症と認めてそのような

会に参加するまでの踏ん切りはつかず、その夜は記事を切り抜いて、きちんと畳んで、

机の引き出しの一番上の段にしまっただけだった。

そのまま数週間が経った。令子はその間(かん)、毎夜飲みながらその記事を引っ張り出

して読み直した。読む度に、酒を止めたいという願望が大きくなって来る。

そして遂に、深夜、いつものように泥酔して、そこに二十四時間受付として記されて

いた電話番号を押した。電話に出た人は、このようなことには慣れているらしく、令子

が呂律の回らぬ口調でくだくだと事情を話すのを黙って聞いていたが、最後に、本当に

酒を止めたければ、断酒会のミーティングに出るしかない、もし出る気があるなら、明

日夕方六時に日暮里駅の改札口で待っていてくれると言った。令子は行くと約束して、

受話器を置いた。翌朝、目が覚めると同時に前夜のことを思い出し電話では一応行くと

約束はしたものの、どうしようかと考え込んだ。こちらの名前も住所も知らせていない

のだから、このまま反故にすることも出来る。新聞には、しっかりした団体のように書

いてあったが、もしかしたら得体の知れないアル中の集まりかも知れない。場所も山谷

に近く、中産階級の生活しか知らず、山谷などには近づいたこともない令子にとっては、

行くだけでも恐ろしかった。だが、もう暗記してしまうほど何度も読み返した体験談の

中で語られていた、飲まずに生きる喜びのくだりには深く心を惹かれていたので、とも

かく一度行ってみようと決めた。

その朝も、令子は手の震えを止めるために少量の酒を飲んだ。その時、体験談の中に

あった「どんなに飲みたくても、明日になったら飲もうと思って、今日一日だけ我慢す

る。翌日になったら、また一日だけ我慢する。それを繰り返しているうち、振り返って

みたら一年飲まない日が続いていた」という言葉が思い出された。だが飲まなくては手

が震えて黒板に字が書けない。授業中に酒が切れて、学生たちの前で無様な姿を晒すこ

とは、どうしても嫌だった。昼休みにも、同じことを考えてトイレで少量飲んだ。そし

て夕方四時十分に、授業は無事に終わった。

持って帰らなくとも良い教材をロッカーに入れるため、職員室に寄り、もう日暮れの

迫っている校舎を出た。ちょうど小田急の急行に間に合う時間だったので、少し走って

電車に飛び乗り、新宿に着いたのは五時前だった。六時に日暮里というと、時間に左程

のゆとりはないけれど、ぶらぶらしていると呑みたくなるので、急いで食事を済ませて

しまうことにした。おなかが一杯になると飲酒欲求がしばらくは収まるからである。令

子の頭には、今朝思い出した、体験記の中の「今日一日我慢する」という言葉が、一日中

こびり付いていた。自分には、今日一日我慢することは出来ないだろう。でも夜、ミー

ティングが終わるまでは、これ以上飲むのは我慢しよう。その言葉には、彼女をそんな

気持ちにさせる力があった。そこで、デパートの食堂に入り、食べたくも無いチャーハ

ンを大急ぎで詰め込んでから、日暮里へ行く電車に乗った。

改札口で待っていてくれたのは、黒い皮のジャケットと細身のパンツをセンス良く着

こなした、明るい感じの女性だった。年齢は三十代の始めくらいだろう。彼女の案内で

二人は、徒歩で十分ほどのところにあるミーティング場に向かった。並んで歩きながら、

彼女は自分のことを色々話してくれた。それによると、彼女はのり子と名乗り、自分も

アルコール依存症者で、酒を止めて一年になると言った。アルコールが原因で、離婚も

しているそうだ。令子は驚いて、その女性の顔をしげしげと見つめてしまった。彼女の

翳りのない表情、ころころと笑う澄んだ声からは、彼女が一年前までは、自分と同じよ

うに、酒浸りの、荒んだ生活をしていたとは想像もつかなかったからである。

 

 

小説「残像」後編へ 

 

 

 

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