![]() ブータン神秘的編 1999年5月10日(月) パロ〜ティンプー〜プナカ さぶい・・・・。この旅、始めはフリースをザックに詰めていたのだが、 「ええーい!あんな邪魔な物もっていかねえ!」 と、出発の朝に抜いて来たのだ。しかしすでに後悔。アワワワ、と歯がかみあわないくらい寒いよう。 しょうがなく長袖のTシャツにウィンドブレーカを重ね、パロを出発。 地図上では、パロとティンプーはそう離れていないと確認していたので、 1時間くらいかなあ、フフンフンと思っていたら、 さすが山岳国。くねくねうにうにの道を這いずり2時間かけて到着だ。
照れ隠しに「クズザンポ〜」と声をかけてみた。 おばちゃんはにっこりと「クズザンポー」と返してくれた。 ティンプー通り。とりあえず説明しておけば繁華街であり20世紀です。 …ああ、なんてこったい。とんでもないところにきてしまった。たいへんな場所を知ってしまった。 私なんか100年早かったのではないだろうか。 でも100年後、この国はこの街はこの文化は、 果たしてこのままでいてくれるのだろうか。 今までに感じた事のない思いがぐるぐるぐると頭をめぐる。 アイデンティティとはなんだ? この旅、つねに私の頭のすみっこにあった言葉である。 ものすごいカルチャーショックを受けたあとはメシメシ(単純)。 「ラナムスレストラン」という小さな食堂でモモをいただいたのだが これがまたウマいのなんの!!!とくに揚げモモなんか 2皿も食ってしまいました。在ブー日本人の間でも有名なのだそう。 その後、国いちばんの郵便局へ行き、そこで働いているという R氏のお父上に会う。とても優しそうなひとで、 記念切手ポスターとパンフレットをいただく。カディンチェラ〜。
話がそれた。つまりプナカは標高が低いからかなり暖かい。 さっきまで着ていたウィンドブレーカーなんかジャマジャマ! (しかし峠あたりになると毛布必須。アシアナの機内から失敬した 毛布がとてつもなく重宝した旅だった。←あんなジャマなもん帰りの便で返したですよ) プナカゾンは、ポ・チュー、モ・チューという男川、女川が ちょうど合流する地点にそびえたつ。 男川のほうには男の子ばかりがうまれ、反対は女の子ばかりらしい。 黒い酸性川と白いアルカリ川が合流する地点は 見事に色が分かれており、摩訶不思議ワールドを作り出している。 揺れる吊り橋をわたり、ゾン内部へ。
今夜のお宿は「サンドペリゲストハウス」のコテージ。 毎日、宿の心配をしなくていいというのは楽な反面、暇でもありますね。 なんとこのホテルには、ブータン唯一のプールが併設されています。 もうむちゃくちゃ寒いのに、Rが無邪気に泳いでいる・・・。 このホテル、ほんと山の中にポツン・・・と立ってて、街まで 歩くこともできない。そのへんがちょっと寂しいな。 まだ日暮れまで時間はあるし、周辺をお散歩しようと、 斜面にたつホテルのさらに高台をめざす。 どうやら、高台方面にはふつうの家族が住んでいるらしく、 子どもの姿をやたら見かける。 世界中どこにいっても、子どもと言うのは好奇心旺盛で、 外国人をみかけると金のガチョウのようについてくる。 モロッコではずいずいずっころばしとあやとりと糸まきまきを伝授したが、 ここでは棒倒し(山崩しともいう)を胸に刻んでいただくことにする。 砂で山をつくり、てっぺんに棒をさすやつ。 将棋のコマでもやったりするアレね。 簡単にルールを教え、さっそく開始〜〜!みんな次々に棒を倒し、 そのたびに愉快な笑い声が響く。
さらにジャンケンを教えると、もう狂ったように ジャンケンを延々としはじめる。ジャンケンって、ブータンにないの? そのころ、学校帰りの学童どもがわらわらと寄りはじめ、 もう収拾がつかない。お山の大将もさすがに30人斬りはきびしっす! 「また遊ぼうではないか、よい子の諸君」と捨てぜりふ を残し、あたふたとコテージへ帰るインチキ大将であった。 その夜、けさんとRはワインを飲み、下戸な私は名物アップルジュースをちびちび楽しむ。 標高が高いので、アルコールはすぐに回る。飲んだあとけさんはぶったおれまくるのであった。 ■本日の出費 ・ハガキ 50NT(100NTのセットをけさんと半分こ) ・切手 272NT |