ジョルダン人情編2◆ヒッチハイクで行こう Vo.3



1999年9月28日(火)カラク〜ワディムサ

さむっ!カラクは標高が高いのでものすごく寒い。しかし太陽はすでに 高くのぼり、まっすぐな光で私たちを照らしている。
朝ゴハンをみんなで済ませ、お別れの挨拶。
「ありがとう。あなたたちと会えてよかった」
と、英語がまったくしゃべれないハンナのために、きあの必殺 5ヶ国語会話辞典で調べていたドイツ語で言うと、とっても 嬉しそうな顔をしてくれた。本当にありがとうありがとう。 オーストリアに行くことがあれば、ぜひ寄らせていただきますよ。覚悟してね!

さて、まずはカラク城跡見物。宿から歩いて3分も ないところにあるのでとても便利。さっそく入場してみよ〜。 おお!こ、これは高所恐怖症には足のすくむ風景だわねー。 入場したらすぐに、コフィーヤをかぶった老人が話し掛けて来た。
「南の塔に行ってみるがよい。とても眺めがいいのじゃ」
あいよ、じいちゃん。あとで行ってみますね。
まずは入り組んでるような地下トンネルを攻める。 うひょー。涼しいなあ〜。ちょっとこわい。延々と地下トンネルは続くが なにせここは何の城だかわけもわかっていないので このトンネルがどんな役目を果たしていたのか皆目見当もつかない。 なにげなく、ふと城の復旧工事現場を覗き込み
「マルハバ〜」と声をかけてみたところ、 復旧工事のおじちゃんたちはやけに喜んで 「まあまあ休んでいかんか!」と嬉しそう。
「嬉しいけど、もう少し遺跡を見てくるね」と 立ち去ろうとしたところ、ひとりのオヤジが私たちのガイドをしはじめた。

カラクのまち
アラビアングラフィックはいい味だしてるね

「ここはキッチン。ここはソルジャーの寝るとこね。ここは井戸」
おやじはカタコト単語英語でとても丁寧に遺跡の中を案内してくれた。 やはり、ガイドがあるとないとじゃ、遺跡への感心度も大違いなので ものすごく助かる。きあのミニマグライトでトンネル内を照らし、 頭をぶつけながら30分くらいウロウロさまよう。
ようやく外にでたらオヤジは「じゃあね」と あっさり仕事にもどるではないか。あれっ、バクシーシは要求しないの???
ただの通りすがりの東洋人になんでここまで優しくしてくれるんだ。 きあは今、モウレツに感動している〜〜!
やはり、こちらから笑顔で話し掛けるということの大切さを身を持って知ったよ。

さらに、入場のときに声をかけてきたじいちゃん、足が悪いのに よぼよぼとまた違うみどころを案内しようとやってきてくれた。 このじいちゃん、大学教授だったというだけあって英語は(癖があるが)ペラペラで これまた興味深い遺跡見学ができてカンシャ感謝。
「わしは足が悪いから行けないが、さあ南の塔に登ってみなさい」
わかったよ教授!いってくらぁ!

教授ご推薦の南の塔のボロボロの壁らしきところには、 申し訳なさそうに作られた階段がある。それをえっちらのぼりきると、 本当にすばらしい景色が楽しめる。 風がビュービュー吹いてこれまた吹き飛ばされそうなのだが、 空なんかさわれそうなくらい近い。カラク自体が丘の上にあるので景色が ものすごく遠く低い。まるで天空の城ラピュタだ。
結局このちいさなちいさなカラク城跡に2時間以上もいたことになる。 行ったことのあるひとは信じられないだろう。2時間もいてなにするの? というようなところなのだから・・・・しかし眺めの良さは抜群である。



カラク城
カラク城のてっぺん。すごい風で髪型がバカ殿状態じゃん。

おこさま手なずけグッズとして今回選んだしゃぼん玉で こどもの気を引きながら、ミニバスは次の目的地、タフィーラへGO!
相変わらずこのミニバスの中も楽しくてたまらない。 アラビア語会話集をみんなでまわし読みしながら、ワイワイと話が弾む。 特に隣にすわったお嬢さん、ナディーアの美しさに、きあもチョクも メロメロである。こんな美女まずお目にかかれない。 こっそり「写真撮らせてくれない?」と言ったが 答えはノー。しくしくしく。
ところで、ジョルダンのミニバス内はきちんと統制されていて、
・定員以上は絶対乗せない(椅子の分だけ)
・女性の隣に男性はすわらない(外国人女性は別)
・女性が乗り込んだらすぐ席を譲る
・けして男性は女性に直接声をかけない
このような感じだ。見事なまでにこれ。ミニバスの席も 右に1人席、左に2人席というスタイルで、一人で乗り込む女性は だいたい1人席に座り、男性と隣り合わないようにしていた。 私もほぼ1人席を陣取っていたのでラクチンこの上ない移動であった。

タフィーラに無事ついた私たちを待ち受けていたのは、おそろしいほどの好奇の目線。 ディバーンは人もまばらで何もない印象だったが、 タフィーラはとにかく小さなストリートに人がうじゃうじゃ溢れていて その人たちが送る目線がなんかものすごくまっすぐで恐いのだ。
バスを降りた瞬間、カツアゲされるかのごとく大勢に囲まれる。
「どこいくの?」「ダナかショバック行きのバスを探している」 「ないよ!」「えっ!」「午前中にバスは終わった。タクシーしかないよ」
とにかく人ごみをかきわけ、いろんな人にそれも何十人もに聞いた。 親切そうな人からおせっかい君、こどもからジイさんまで多くの人たちに バスのことを聞くが、みな同じ答え。バスはもうない。
うう・・・・。あまりに人が寄ってくるのでふたりともイライラしだしたのが わかったので、とにかくメシを食おう!飯を!と食堂に入った。

ミニバスの中
ワイワイミニバス。やっぱ男しか写せないからムサいわね。

「ここもバスないんだねー。ヒッチか」
「でもここ町すぎて車拾えないよ。郊外にでなきゃ」
「しかしここ本当に東洋人がこないんだね。すごいな」
「めずらしいんだろうなあ」
ちょっぴりトーンダウンしていると、となりのヒゲ兄さんたちが声をかける。 あいかわらず、というか一言も違わないいつもの質問攻めにあい、 さらにまたジュースまでおごってくれる。あいかわらずの親切っぷりだよ。 もうごめんなさい、まいりましたと言いたいくらいだ。
彼らにもいろいろ話しをきくがやはりバスはない。 じゃあしょうがないね。ヒッチポイントを探しに行こうか、そうすると ヒゲ兄さんが突然。
「俺んちこない?バスで近いから」
なぬ。とてつもなく楽しそうだ。好奇心旺盛なインチキ姉弟、ふたつ返事で 了解。もう警戒心とかがなくなってるのが恐いのだがしょうがない。

ゆらゆらバスにゆられること20分くらいだろうか。
ほんとになんもない道端に降りる。ほへ?ここに家があるの? そんな不安げな私たちに、ヒゲ兄さんアブドゥラは 指をさす。「あれが僕の家さ」
道のよこに広がる畑のむこ〜うに白い3階建ての家。おお!すげえデカい家!

居間に通されこれまたビックリ。なにもない。新築ホヤホヤのようだ。 下のフロアに妹や母親などがいるらしいが、上のフロアはすべて アブドゥラのものだという。まさに二世帯住居だ。
「未来の花嫁のために建てたんだ」
アブドゥラはヒゲ面に似合わずテレながら言う。へえええ!年齢を きけば、25歳・・・・オイ、おまえもきあより年下かい!キイ〜〜!
アブドゥラの弟、なかなか可愛い17歳のサラハも やってきて、4人でのんびりシャイを囲んでのひとときだ。
サラハは、すごく英語が上手なのでまったく問題なくコミュニケーションは 弾む。スイスに住んでいるお兄さんの話や旅の話、家族の話などで なごやかな雰囲気。畑でとれたというブドウも非常に美味。
金持ちなのかな、それともこれは平均的な家なんだろうか。 それにしてもああ・・・・来てよかった、アブドゥラん家。

アブドゥラん家
アブドゥラの畑とおうち。集落の中で一番デカい。

「車が停まらなかったらウチに泊まらない?」
サラハは心からそう言って私たちが去るのを残念がっているが さすがにすでに16時過ぎ。今日はどこか町へ進みたいところだ。
「もちろん!その時はお願いするね」
そしてヒッチハイクポイントまでサラハがついて来てくれた。僕がいるほうが アラビア語で交渉できるからいいよね?と何とも気の利く少年だ。可愛いやつめ!
5分に1台しか車が通らないような田舎道。 何台かにアタックするが、なかなかショバックまでは行かない。 こまったなあ・・・・サラハはそれでもいやな顔ひとつせずに 私たちにつきあってくれる。なんて気持ちの優しい子であろうか。
「サラハ、もちろん大学に行くんでしょう?」
と聞いてみた。かなり頭の回転がよさそうで将来有望だと思ったからだ。
「勉強は大好きさ。きのうも家で5時間も勉強したよ。 もちろん大学に行きたいけど、去年父さんが死んだからね。余裕がないんだ。 でも家の仕事(農業)も好きだから大丈夫だよ」
・・・・抱きしめたいくらい可愛いことを言う。
サラハのような子が、のちのちジョルダンを支えるくらいの人間になれば ステキだとおもうのだが、人生はそうは問屋がおろしてくれない。
大学行くべきだよ、なんて無責任なことも言えなかった。
アブドゥラと兄弟で家族を支えるという幸せを彼は17歳で選んだのだ。

そんな話をしていると車が停まった!おっしゃ〜逃がすか!! サラハはなぜか「あっ!その車は無理だよ!」と いうが、わけもわからないきあ達はかけよってみた。 そこには軍服姿の男性がひとり。ドキッ。
「あの・・・ショバックまで行きたいのですが」
「ショバックへ行くよ。さあ乗りなさい」

やった!車GETだ!
心配そうにしていたサラハにかけより、嬉しさのあまり ひさびさのホッペにチュウでおわかれだ。
「ありがとうサラハ、あなたのこと忘れないわ」
「僕もだよ。きみたちと会えてよかった、良い旅を」

見えなくなるまでサラハに手をふり続け、私たちをのせた 車は一路、南へ向かった。

アブドゥラ&サラハ
魅惑の4ショット。きあ、アブドゥラ、サラハ、チョク。

軍服姿のクールなオジサマは、軍医だという。
眼科医という専門的な単語がさっぱりわからなくて最初は???てな感じ だったのだが、「アイドクター」といわれて ふたりとも納得歴史館。
軍関係者はまずこういうヒッチハイカーを乗せることはないそうだが 日本人らしき私たちを見て、つい停まってしまったとのこと。 ドクターは「ジャパニーズ、グッド」を連発していて なんだか照れに照れちゃった。
するとドクターは突然道をそれはじめた。とてもいいビューポイントがある ので、そこにより道してあげようというのだ。おお!ありがとう!ドクター! ワディムジブ並みのグレイトな風景をバックにドクターと記念写真。

順調なドライブだったが、いきなりなにもない道で車は停まる。
「私の家はもうここなんだ。ショバックのセントラルは もう少し先だが、私は送ってあげられない(軍に所属しているので、 外国人を乗せていることをおおっぴらにできない)。ここでいいかね?」
あっ、そうなんだ?わかりましたドクター。ありがとう!そういって 最後にチョクが記念写真を一緒に撮ろうとすると、
「さっきは、人がいない場所だからよかったんだが・・・ わかってくれるかな?僕はいま軍服を着ているから、他の人に見られると 困るんだ。本当に申し訳ないけれど・・・・」
私たちはダイタンにも、とんでもないひとに拾ってもらったようだ。
サラハが、私たちを止めようとしたことがわかったような気がする。 たしかにこの国では、軍服姿の人間や軍事施設にレンズを向けてはいけない ことを重々承知していたので、丁寧にお詫びとお礼をのべて、 ドクターに別れをつげる。きあが撮ってもらったこの写真、かなり貴重なようだ。

ドクタル
わざわざ寄り道してくれたドクタルに感謝。

しかしさて、ここまで来たはいいが、なんて中途半端なんだ。
正直まいってしまった。だいたいここがセントラルからどのくらい 離れているかもわからない。近くにオヤジが群れている店があったので まず、チョクは情報を聞き出し係、私は道ゆく車を止めることにした。 すでに日は暮れかかる17時。車の通行量は皆無に等しい。 これ以上ここで道草をくうと、泊まる場所さえ確保できないぞ!

すると、ヒッチをしだしてわずか5分ほどで、黒塗りの豪華セダンが 50mほど先で停まり、バックしてきた。なんてラッキーなんだ。
「チョク〜〜!車とまった!」
声をかけ、ドドドドと草原をいくバッファローのごとく車にかけよる、と。 その車の後部座席に小奇麗な東洋人女性2人。ドライバーはどうやら現地人らしい。
「アッサラームアライクム。エクスキューズミー、サー。アイウォントゥゴートゥ ショバックorワディムサ・・・」
と言ったところで、座っていた女性が
「日本人ですか?」
となんと日本語で声をかけてきた。なぬっ!
きあ「ええっ!おふたりも日本人ですか?わあビックリした!」
女性「こっちのほうがビックリしましたよ〜えっ、おひとりですか?なんでこんな ところにいるんですか?まあ、とにかくどうぞどうぞ乗ってください」

うわあ。なんと同胞ジャパニーズに拾っていただくことになるとは 夢にも思わなかったが渡りに船。息をきらせてやってきたチョクも 驚いている。彼女たちは手配旅行でアンマンからこの車を飛ばしており、 今からワディムサへ行くという。ラッキー!一気にワディムサまで行ける車を止められて大満足だ。

18時前に無事、ペトラのある町、ワディムサ到着。おふたりの泊まるホテル、KINGS INNについたが、それはもちろん ドアマンのいるリッチなホテル。私たちは丁寧に丁寧にお礼を言って ライクアニンジャばりに、そそくさとすぐにホテル前を立ち去った。いやあ、こんな偶然もあるんだね、と 心底驚きの出会いであった。

こどもだよ
シャボン玉攻撃した、バスで隣り合ったこども。

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さて、ここで少し説明しておかねばならない。
昨夜、寝る前にエカブからこんな提案があった。
「キミたちはワディラムには行くの?」
ワディラムとはあのアラビアのロレンスが 撮影されたベドウィンの砂漠。もちろんきあはモロッコで砂漠ビバークが できなかったリベンジをしようと決めていたので、もちろん!と答える。 チョクもそのつもりだった。ふたりで行動していれば、必然的にシェアメイトを 探す手間も省けるのでこのまま道連れでいこう、ということにもなっていた。ワディラムへ行くのはどうしてもガイドが 必要で、シェアすればする分ひとり頭の金額が安くなる。
おりしも、オフィーリアから、クリフホテルのチェックアウト前に、 9月30日木曜日に、ワディムサの「ムッサスプリングホテル」 で会おう。そしてワディラムへ行こうという話を持ち掛けられていたのだ。 私とチョクはそのつもりですでに行動の予定を立てていた。 どこかできっとシェアメイトが見つかるはずだ、と。

そしてエカブは言う。
「今度の日曜日にアーノルドたちを空港へ送ったら、 すぐにこちらへ戻ってくる。僕がワディラムを案内するよ。 水、寝袋、夕食、朝食、車、ワディムサからワディラムまでの送迎、すべてインクルードだ。ワディラムツアーの 金額を知っているかい?ちょっと離れた場所にいくだけで、30JDも かかるんだよ。もし、君たちが日曜までに4人シェアメイトを集めていたら ひとりあたま30JDで行くよ。もし、4人見つけられなくても120JD。 3人ならひとりあたま40JDだ。約束する。ディスイズフレンドプライス」
エカブの誠実さは、アーノルドたちとの行動をみていて十分わかっていたし 基本的にジョルダンのトモダチプライスは本当に安い、ということを 身にしみて感じていたので、私たちは多いに喜んだ。さらに、歩き方を 見てみるとその値段はまったく妥当な金額で問題ない。どうせならこうやって 世話になってるエカブにお金を落としたい。わかった、エカブがんばってあと ひとり誰か見つけるよ。
そんな交渉を夜中の1時過ぎまで繰り広げていた。エカブの携帯電話の番号をきき、 決まったら必ず電話することを約束し、契約は完了。
しかし、この約束がわたしたちの精神をがんじがらめに していくなどとは、この時点では夢にも思わなかった。
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とまあ、これまでが昨夜の出来事。
がしかし、いま問題がひとつ浮上。
今日は28日火曜日、オフィーリアとの約束は木曜日、エカブとの約束は日曜日。 いま、ワディムサについたはいいが、木曜まで日曜までどうしよう??ということだ。 そこで私たちの結論は、ヒッチハイクの道中ということで ワディムサにきたけど、明日ペトラにはいかずそのまま南下しアカバへ行く。 そして木曜日中にまたここに戻り、金曜・土曜でペトラ見物をすればよろしい。
よし、ではムッサスプリングホテルをさがしてサッサと泊まろう!と 思っていたところ、拍子抜け。なんとKINGS INNの目の前に、ムッサスプリングホテルがあったのだ。
なんだか、本当に今日はなにもかもがうまくいっている。

アンマン
アンマンのエジプト料理屋で食べたご飯。ウマッ

早々にドミにチェックインした私たちは、土産物屋でシャイをゴチに なった後、お菓子で夕食をすませようとホテルの前のちいさなお店へ。
ここのヒゲ兄さん、バッサンとめちゃくちゃ 気があい、後日アカバから戻って来てからも常にここに入り浸るようになるのだ。
シャイに水タバコ。みんなでワイワイと店の前に座り込む。

さて恒例の、現地のひとに名前をつけてもらおうコーナーでは このバッサン兄さんに命名をお願いした。
「ん〜・・・君はハリマだ、君はムハマド」
えっ。ハリマ?ああ、播磨灘(←漫画)みたいでいやぁ〜。でもしょうがないので バッサン兄さんの前ではハリマと呼ばれ、他の地ではモロキャンネームの ハディジャで通すことにした。
チョクなんか「ありきたりの名前でいやだあ」と ダダをこねていたが、慣れてしまえば街行く「ムハマド」の声に ピクッと反応するくらい馴染んでいた。あいもかわらずというか、この アラビアネームはどこでも大ウケする要因なので、大助かり。
ものすごく濃い一日で、今日はとにかく眠い眠い。
明日のアカバ行きのバスは朝7:00発ということで、かなり早起きしなければ ならない。1日が30時間あっても足りないよ〜。 そう言いながら、人型にくぼんだドミのベットに潜り込んだ。 明日は、明日はリゾート地アカバ。世界一美しい紅海のはしっこだ。


本日の出費
■朝飯代 (2人で)3JD
■カラク城入場料 1JD
■レモネード (2人で)250F
■水 350F
■ミニバス(カラク−タフィーラ) 500F
■宿代(MUSSA SPRINGHOTEL)3JD
■コフィーヤセット 6JD
■お菓子&雑貨 3.5JD

ながったらしくてごめんなさいね。1日が濃くって・・・
次は「蒼い紅海、赤いペトラ」章に続く!

参考までに。
●ワディムジブ・・・・・アーノルドにひろってもらった場所
●ワディムサ・・・・・・・ペトラのある町
●ワディラム・・・・・・・サウジ寄りのベドウィンの住む砂漠地域。





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