ジョルダン人情編3◆蒼い紅海、赤いペトラVol.2



1999年9月30日(木)アカバ〜ワディムサ

今回の旅にはスケッチブックをもってこなかったので、 コミュニケーションには似顔絵を描いてプレゼントする攻撃を 決行していた。これがまたみんな喜ぶ喜ぶ。 アリのレストランのスタッフに似顔絵をあげて大喜びさせていたところ、 そのことを、アリがどうやらこのホテルのレセプションの人に伝えていたらしい。
アリが迎えに来てチェックアウトするときに 「俺の似顔絵を描いて〜」とジェスチャーでねだられてしまった。ひょひょひょ。 1分くらいでちょいちょいと似顔絵を描いてあげたワタシはああ、なんて器用貧乏。

隠しどり
これが車の中から隠し撮りしたサウジとのボーダーだっ!

さっそくアリ所有のワゴン車で(しかも韓国のキア自動車の車だった。ムフ)ボルダル見物へ。
海沿いをぐんぐん南下。有名なロイヤルダイビングセンターや水族館などを過ぎ、 塩工場をぬけたらそこに小さな小さな門発見。あっ。国境だ。
国境横の空き地で車を降り、おそるおそる国境の門のそばによる。目ざとく私たちを 見つけた役人や一般ピープルがこれまたどこからともなくウヨウヨと集る。
「アッサラームアライクムゥ〜!」
「ようこそ!ジョルダンへ」

いつものように、知ってるだけのアラビア語をすべてはきだしみんなを喜ばせることに成功。 気を良くした役人が「ちょっとだけならはいっていいよ」というから、のしのしと緩衝地帯にも はいっちゃったもんねー!キャー!もちろんカメラはだめよ、と釘をさされつつ・・・・。

意気込んで来たわりにはあっけなく国境は存在していた、というのが感想である。 海の向こうにはシナイ半島と町なみも見える。 島国日本では感じることのできない雰囲気を楽しめて満足満足。 帰りはアリががんがん乗客を拾い、ミニバス状態で街中へ到着。 1時間半のミニトリップであった。
昼飯は、アリのレストランで従業員のまかない食を一緒にゴチに。 右手で上手に食べれるようになったので誉められたのが嬉しいな。

それからはブラブラと町を流したり、ブーザを食べたり、絵葉書を書いたりとのんびりのんびり過ごす。 今までが刺激的だっただけに、ものたりないくらいのんびりだ。 堤防の上にごろっと寝転がり、2時間ほど昼寝もした(ちなみに堤防の幅、60cmくらい)。 波の音と子どもの声。平和だなあ。平和だよ。こんなにゆっくりしちゃって いいのかしら。いいのよね、だってここはリゾート地。

ほっかむりじゃないの。コフィーヤよ
ボーダー横の海。この透明度。むこうに見えるのはシナイ

ぐうたらと過ごしたアカバともそろそろお別れ。 レストランへ戻り、最高にうまいチキンの丸焼きを平らげたあとは アリのワゴン車を貸し切ってのゴージャスな移動である!頼んだぜアリ。 従業員のみんなも「またこいよ!」と声をかけてくれる。 がしっ!と握手をしてお別れだ。ありがとう!すごくたのしかったよみんな!

ふたりの妻を持つアリはさすが元気だ。50代半ばなのに(?)ガンガンと道を飛ばす。 アリの息子を助手席にのせ、4人の乗った車は夕暮れのハイウェイをつっぱしる。
すっかり日も暮れたとき、突然車は道ばたに停まる。
「ちょっと待ってね」
とアリはそそくさと車を降りる。え?なに?と思っていたら メッカの方向に向かいお祈りを始めた。アリは敬謙なムスリムである。
息子は車に乗ったままだったので、
「あなたはやらないの?」
と聞くとうなずいていた。どうやら日本と同じ、若い世代はそうらしい。
アリが地にしっかりひざをついて祈る姿はなんだか とてもカッコよくみえた。アリ、いかしてるぜ。

すでに日は落ち真っ暗。闇がだんだん濃くなると、空は星で覆われる。
「うわっ、すげっ。天の川だ」
都会育ちのチョクは大興奮。私は田んぼの中で育ち、いまだ実家は 日本の星空100のベスト10以内に入るようなとこなので 星空はたいして驚かなかったが、さすがに 白い帯のように見える天の川の色の濃さにはビビってしまった。
こっ、これは砂漠が楽しみだわい。

うしと野菜
インド人が見たら仰天。本物の牛の生首に野菜をぶすぶすっ

だいたい2時間半くらいかけてついたところは、はて?民家の前。
「アリ〜、ここどこよ」
「私の妹の家だ。ワディムサまで15分もかからない。ちょっと待ってて」

アリの義理の弟さんとその息子などと家の前で語り、採れたてのブドウなどをゴチになる。 アリはというと、またもや兄弟たちとお祈りをしている。
祈るということが、本当に日常に溶け込んでるのが スゴイ。わたしは宗教なんかまったく学んでいないので なんとも言えないんですが、なぜ日本はこうも宗教から遠ざかってしまったの? だれか答えを知っていたら教えてください・・・・。
20時にようやくワディムサに到着。 アリと握手をして別れる。ありがとう、アリのおかげでたのしかったよ。

「アイルビーバーック」
とゴキゲンでムッサスプリングホテルに乗り込み、オフィリアが来たかどうか 訪ねるがなんと来ていないという。そんなあ!そんなの困るよ。
ワディラム行きのシェアメイト決めも早くしてしまいたいのに、どうしよう・・・。 こういうの、かなり精神的なプレッシャーがかかるんだよね。 でもこのときはまだノホホンとかまえる余裕があったので、ま、なんとかなるでショ・・・ とタカをくくっていたのだが・・・・。
そうこうしながら、バッサン兄さんの店の前で、 またもやみんな水タバコの回し吸いをしながらおしゃべりを楽しんでいると、 そこにハ〜イ、と白人男性。あれっ?見たことあるな。
「あーっ!あなたはカラクで会ったブラジリアン!」
リオ在住の獣医さんというセルジオにこんなところで 再会してしまうとは!まあまあ、アラアラ!

アカバのとこやさん
身だしなみへのこだわりは髪型と靴にあらわれている

セルジオは、白人パッカーにしてはめずらしく現地にとけこむタイプだ。 彼の持論は歩く・現地の言葉を話すで、 ものすごくステキな兄さんである。3人でホテル横の小さなドームの泉、 その名もムッサスプリングに足をつける。つめてっ。
セルジオはすべてヒッチハイクか歩きで旅をしているらしく、 話が劇的に面白い。そして誰にでも話し掛ける。旅人にも現地人にも。 だからみんながセルジオのことが大好きだったようだ。
「僕のことジーコって呼んでね」と冗談を 言ってたが、私たちはこっそり越後と呼んでいた。

さて、明日早朝のペトラへのトランスポートバスが7時だというので、 寝坊しないよう腕時計の目覚ましをセットしようとしていたら、 越後が
「1時間遅らせるの忘れないようにねー」
というではないか。ハテ?なに?あっ!サマータイムだ!
実は、アカバでリコンファームをしたとき、オフィスのオヤジが 「なぜかわからないが、チケットの時刻が1時間違う。 間違わないように、この時刻の1時間前にディパーチャーだよ」のような ことを言っていて、最初はぜんぜん意味がわからなかったのだが、ここで 納得。サマータイムが今日でおわるのだ。日本にはない制度なので 気がつきもしなかった。越後にいわれなきゃバスも乗り過ごしただろう。
いや〜〜きづいてよかった。マレーシアのリコンファームだけで終わっていたら ウッカリ1時間おくれで空港にいくとこだったよ。実際、帰りの空港で 同じようなミスがあったらしい女性がわめきちらしてバタバタと搭乗手続きを しているのをみかけた。あーイヤな予感あたってて正解。ホッ。

今日はとりとめのない一日だったが、あいかわらずたくさんのひとと出会えた。 さて、明日はペトラ観光。ペトラで、ワディラム行きのシェアメイトが見つかるといいんだけどな・・・。 オフィリアは一体どうしたんだろう。そう淡い期待を抱きながら、夜更けまでふたりでもくもく日記をかきつづる。

ごはんだよ
意外にうまいんだよねーアラブ飯



本日の出費
■ブーザ 450F×2個
■切手 150F×3枚
■ハガキ 5枚で1JDF
■ジュースとお菓子 1.25JD
■水 350F
■夕飯 5JD(2人で)
■貸切り送迎代(アカバ−ワディムサ & サウジ国境往復) 35JD(2人で)



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