トルコ出会い編



プロローグ/6月18日〜19日/6月20日〜22日

1998年6月17日(水)福岡〜(シンガポール)〜

世界三大ガッカリだそうな。そう?
豪華な機内設備。色っぽいスッチーの制服。スキのないサービス。 おいしい機内食。ステキング…
これまで、私の中の国際ハブ空港は、ソウルだった。大韓航空オンリーである意味 ダーティ度2割増のフライトだったのだが、今回トルコということで、ついにSQを使うことになった。

「サービスも休み休みしたらどうかね!?諸君!」と、 いいたいほどのサービス&笑顔満載。 日本人CAにシンガポールのことを あれこれ質問したら、後から手書きのコメントを書き込んでくれた 地図をくれたあげく、ファーストクラスにしかもらえないアメニティーグッズ( ミニオセロゲーム他2種/トランプ/アイマスク/耳栓/ボールペン/ポストイット/便せんセット/ シンガポール航空ハガキの数々)をプレゼントしてくれる始末。
「孫の代までこの素晴らしさを伝えよう・・・」
キュっとコブシを握る私。こんな感じ(どんな感じ?)で一路シンガポールへ。

シンガポール・チャンギ空港(超巨大・最新鋭設備)に到着後は 4時間以上のトランジットタイムがある人が フリー(無料)で参加できる市内観光ツアーに申し込む。 1時間半くらいテキトーに周るツアーは無料だしそう感動するものはない。そんなことより さあ、一刻もはやくあたくしをトルコへ運ぶがいい。憧れの国、トルコへ。 ト・ル・コ!ト・ル・コ!まるで全日本プロレスタイトルマッチのような トルココールが頭に鳴り響く

本日の出費
●空港でトルコへFAX 3 US$
●空港でバゲッジ預かり 2.5 US$
●空港でシャワー 4 US$
●空港で昼飯(ハンバーガー) 5.4 US$







1998年6月18日(木)(ドバイ)〜イスタンブル

現地時間の朝7:30、イスタンブル・アタトゥルク空港到着!
さて、ここから市街地に出なければいけないわけですが、 旅の前に、現地の友人アチェに「トルコ行くけーん」と電話したら、 なんと彼女が結婚した相手がツアーエージェントをやっているとの ことで、彼の会社の部下が迎えに来てくれることになっていた。 きょろきょろしてると、紙に私の名前をもったおっちゃん発見。

イスタンブルは、商業の中心地。トルコの首都はアンカラなわけですが、 にぎわい度は断然イスタンブル。まあ、アメリカで言う ニューヨークとワシントンの関係ですかな。 んで、イスタンブルも、ボスポラス海峡を挟んで、 ヨーロッパ側の旧市街とアジア側の新市街に別れているわけです。 新市街は高級住宅地&ビジネス街。 旧市街は観光&商業&下町?。

アチ
ぴちっとした服にタバコ。
イマドキのトルコレディ


で、アチェはお金持ちと結婚した訳ですから、とうぜん新市街に お住まいなわけです。な、なんかステキなマンション・・・。どきどき。 1年2ヵ月ぶりにあうアチは、産後なので少しふっくら。 同い年なのに、もうお母さんの風格。ほっぺにチュウの挨拶。 日本語もちょっぴり忘れてしまったみたい。が、しかし。
「おはようございます。つかれました?まあまあどうぞ」と でてきたダンナ、スピさんてば流暢な日本語づかい。例えて言えば、 ダニエルカールほどじゃないが、アグネスチャン以上、という感じか。(微妙なたとえ)

用意してもらった朝食に舌鼓を打ち、愛娘イライダちゃんを 見せてもらう。ウッ。なんて目鼻立ちのくっきりした6ヵ月児なんだ…


シャワーを借りた後、アチの親戚の家へイライダちゃんを預け、 ふたりで新市街をドライブ。本当は旧市街に行って、 トプカプサライ(トプカプ宮殿)、アヤソフィア、地下宮殿、 スルタナメットジャミィ(ブルーモスク)など一気に見たいとこだった のですが、新市街のチャイハネ(ティールーム)などで 初のチャイ(紅茶)をいただくにとどまる。 あと絶対食べてみたかった、ねばーっとのびる トルコ風アイス、ドンドルマと、 ムール貝の中にピラウ(ピラフ)がつまった、ミディエ・ドルマもペロリ。 ありがたき幸せ。あとはガラタ橋の下で鯖サンドが食べれれば最高★

高台からのぞむ
新市街の高台からのぞむ風景

さてさて、20:00にアジア側の駅、ハイダルパシャ駅から カイセリ行きの急行寝台「ギュネイ エクスプレシ」が出発。 スピさんも早めに仕事を切り上げ、夫婦揃って駅まで 送ってくれることに。ほんとすいません…ご迷惑かけて…。 駅には、カイセリでお世話になる知り合いの知り合い、 イブラヒム氏のこれまた知り合いの知り合いがチケットを 持って待っていてくれるはず。 (・・・ほんと迷惑なやつ、あたし) スピさんはしきりに
「トルコ国鉄は遅れる、よくない。深夜バスは早い、安全よ」
と言う。

スピさん、アチ、そして待っててくれた知り合いの知り合い、 イブラヒム氏のこれまた知り合いの知り合い(笑)であるムスタファさんも不安そう。 3人、トルコ語でなにやら会議をはじめる。
「きあ、これはよくない。普通は1部屋4ベッド女性のはず だが、君の予約は最後のほうだったので、もしかしたら男性と同じ部屋 になるかもしれない。それは危ないのでよしなさい」
とスピさんは言うわけだ。 トルコは完全政教分離で戒律がゆるいとはいえ、 チャイハネに女性がひとりで入ったり、 男女がバスで隣り合わせの席になったり、 まして女一人旅など、まだまだとんでもないのだろう。 (都会はきわどい格好してるけど、地方にいくと、まだスカーフ巻いてコート着てたりしたし)
「まして、これは東へ行く列車。絶対だめだー」とスピ、熱弁。

ギュネイエキシプレシ
見た目感じいいが、中は・・・

結局チケットはキャンセルし、深夜バスのオトガル(バスターミナル)へ。 わざわざ来てくれたムスタファさん、ありがとう!・・・そしてゴメンなさい!ご心配かけました! そしてなんと、カイセリ行きの深夜バスの代金までスピさんが! さっき、アチに山ほど差し入れをもらったのにー。 でもいまだにトルコのお金の感覚がつかめない。 そうこうしながら21:00にバスはオトガルを出発した。ありがとう×100!アチ&スピ。

トルコはとにかくバスが発達してて、ベンツか三菱の超ドデカバスが ビュンビュン走ってて便利! ドライバーの他、乗務員のお兄さんが1人もしくは2人乗る。 かれらはまるでスチュワーデス、もしくはお母さんのようにかいがいしく働くのだ。

まずはコロンヤというスーっとするレモンの香りの香水を手に 振り掛けてくれるところからサービスは始まる。 それから「INCI」のお兄ちゃん(たぶん18歳くらい)はチョコパイの お菓子をくれた。まあマダム気分(どこが?)。
それから「ティーorコーヒー?」と紙コップをもってドリンクサービス。 その後、新しい紙コップを出して、スー(水)をくれるのだ。 トイレ休憩は2〜3時間ごとにあるので大丈夫。 お兄ちゃんの感じも最高グー。素朴で好青年だったし (だからたぶん年下なのよね。あんなフケ顔のくせに)

さてさて、長い長い一日だった・・・。 バスにゆらりゆられながら(バスの中の女性、私ただひとり) 夢でも見ましょうかね。

結局バスの旅
結局バスに落ち着いた旅に。しかし意外に快適


本日の出費
●切手 3,000,000TL (本当は3,450,000TL.足がでた450,000TLはアチが出した)







1998年6月19日(金)カイセリ

カイセリは、トルコ中央部の旅の起点になる都市であるとともに、 カッパドキアへ向かう旅人達が立ち寄る場所でもあるそうな。
カイセリ自体にたいした目玉の観光ポイントはないようだけど イスタンブルなんかにくらべると、素朴で地味ないいところっぽい!

カイセリのオトガルについたのが朝7:00。 地球の歩き方とか読んでると、トルコのオトガルの客引きはすごいらしい。 さて、どうなることやら!目をギラリと輝かせて降り立つ。 いきなり「カム!」とかゆってバス会社のカウンターに 連れて行かれそうになるもインチキトルコ語でシャットアウト。あああーー。視線が痛いったらありゃしない・・・・。 ただ、異国ののっぺり顔が珍しいだけだろうけど 私にはみんなどろぼうに見えるよ〜… えーん。

オトガル
カイセリのオトガル。バス会社ズラリ

さて、今回お世話になるイブラヒムは以前、日本のJICA(ジャイカ)に研修にきたことがある という人で、私の友人ボブ(ボブはれっきとした日本人なのだが、まるで日系人の ようなたたずまいと思想で、自分のことをボブと言い張る)の 友達だったということで紹介され、 トルコ行きの5日前くらいからEメールで連絡を取り合っただけで、 顔もしらないというなんじゃその迷惑な押しかけっぷり!という間柄。でもメールでは「ボブの友だちはボクのトモダチ、歓迎します!」と書いてあった。 30分経過。でもその30分が2時間くらいに感じられた…

そんななか、「おや、きみは中国人かい?」という感じで話しかけてきたビジネスマン。 もちろんトルコ語。よく分からないがそうきかれたのだけはわかった。 それまで、何人もの英語使いのにいちゃんに 話し掛けられても恐かったしガンとして無視してたんだが、 純粋にトルコ語しかしゃべれない人はイイヒト。と勝手に決めていたので、
「ハーユル。ベン ジャポン(違います、私は日本人です)」
と言葉を返してみた。あってる?この言葉?>トルコ語使いの皆さん
そしてカタコトのコミュニケーションがはじまると、遠巻きに私を見ていた ギャラリー(ウフ。人気者←ただ東洋人が珍しいだけ)が わらわらっと寄る。
お店
派手だよねしかし、並べてるだけなのに

「おしゃ、チャイのもか!」とオヤジ。ああっ!これがウワサのチャイをおごる行為ね!! そう、トルコはなにかというとチャイがでてくるのだ。 おもてなしの行為なのでありがたく受け取ります。
(とはいえ、トルコではチャイに睡眠薬をいれて眠らせ、荷物をごっそりいただく 睡眠薬強盗の被害がめちゃくちゃ多いらしいのでどこで線引きをするか、難しいよね〜〜)

わいわい話もはずむなか、そこに近づく人影。「きあさんですか?」「あっ!イブラヒムさん?」 巡り合えたよやっと!固い握手をかわすも、すかさずオヤジ、 もうひとつチャイを頼み、初めてのはずなのにイブラヒムと固い握手。 こーゆーとこが好きなんだな。イスラームの方々。 その後すぐ、オヤジたちはバスの時間だということで去り、 私とイブラヒムのチャイ代は払ってくれていた。オットコマエ〜!★ ビバ!トゥルキェ!

タクシーで5分の集合住宅がイブラヒムのお家。彼は33歳とのことだが、 とてもそうは見えないオヤジっぷり。 彼の両親、お姉さん、大学生になる甥っ子という家族構成だ。 お姉さんは離婚しているらしい。

お出かけするとき、帰ってきたとき、おはよう、おやすみの時、 おばあちゃんはギュウって抱きしめて、ほっぺにチュウのあいさつをしてくれる。 とにかく、大歓迎される。ここはお金持ちの家の風情じゃなく、 まったく一般的なトルコの人の家だと思う。 広さもほとんど日本の公団や団地と変わらないし。

イブラヒム家族
イブラヒム姉、イブラヒム母が夕飯のしたく

お昼寝させてもらった後、イブラヒムと日本語・英語・トルコ語の 不思議なコミュニケーション。そして16:00くらいからカイセリの街を見学。 果物屋の写真を撮ってたら、オーナーらしき人が向こうから ピューんと飛んで来て、スイカとコーラをいきなり差し出される。 「遠くから良く来たね。よかったら今の写真送ってくれ!」だと! 床屋さんに飛び込んで、いきなり激写。 子ども達を見つけては並ばせて激写。 イブラヒムのホームタウンなだけに、友達からいっぱい声がかかり、 その度に店に寄ってチャイを飲ませられるもんだから 目的のジャミイ(寺院=モスク)につくまでに 2時間くらいかかっちゃったよ。200mもない距離なのに・・・

トルコの夏の日没はだいたい21:00。 だから一日が長くてたっぷり遊べるんだなー。これが。 夜のストリートも人でおお賑わい。イブラヒムの友人のお土産物屋で ナゼルボンジュというトルコ名物の目玉のお守りを買う。 目玉が厄災から身を守ってくれるのだ。デザインも豊富ー。 するとまたもや、イブラヒムの友人夫婦と子どもと会い、 彼らのご厚意で夜のドライブ。 高台にいくと、カイセリの夜景が一望・・・ウットリ。 城壁に飾られたライトがつながって、ネックレスのようだねえ。

夜中に帰宅し、イスタンブルのスピ&アチに無事ですよコールをし、 おやすみ。トルコのみなさんの親切をシャワーのように浴びながら(byドリッピー) 泥のように眠れそうだヨウ。むにゃむにゃ・・・

果物屋
おいちゃんスイカあんがと。

本日の出費
●おみやげ 750,000TL(900,000TLを値切る。計7個でこの値段)






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