妄想展示室:「矛と盾」
1996年のタカラ・フルポーズボディ登場とそれを利用した97年頃からのキャラもの可動人形、一説によると白虎かなめ氏によるフルカスタム人形「蛍子」(後にノアドロームから販売される量産型「蛍子」のオリジナル)に始まるとも言われるドールカスタマイズの世界。
当時、書籍やWebサイトにおいて人形のカスタムワークと言えばフェイスや衣装と共にほぼ必ずと言って良いほど関節追加や可動域拡張、プロポーション変更といった模型的技術を要するボディカスタムが取り上げられていた。
2004年春現在、当時とは比較にならないほど資材面、特に可動ボディの技術的進展と種類増はいちじるしく、こと1/6クラスにおいてはカスタム人形を作ろうとする者に模型的技術が必要とされたのは過去の話となった。その代わりフェイスデザインやヘアスタイル、衣装と言った美術的・手芸的技術が今では強く求められるようになってきている※。
ドールカスタマイズという行為において、もはやボディを加工するよりも用途に見合った製品を選択すれば済む状況がある中、なぜ私はボディカスタムを続けるのか。
私が自分の人形に求めることはおもに2点。サイト内のあちこちに書いている通り自立と可動である。
現在、着せ替え人形はそのほとんどが立たせておくためにスタンドにしろ鉄板にしろ補助装置を使う事が前提とされているように思われる。女玩としての人形に慣れている方々には何でもない事かもしれないが、ガンプラやミクロマン(旧)など「自立しているのが当たり前」の世界で育ちカスタム用ボディで人形界に入った私にとってこれは大きな驚きと不満であった。
それに、現在人形界で主流の腰支え型スタンドは衣装に余計なしわが出来たり全体のシルエットに影響したりで美しくない。素立ち以外の立ちポーズ、とくに腰を落した姿勢も腰支えスタンドによる補助が不可能である。いつも同じように立って微笑んでいるだけでは着せ替えによる外見の可変性があるとはいえ無可動のガレキフィギュアと大差はない。
ポーズの自由度と個人的美観の2点から、自分の脚で立つ事が私が人形に課した必須課題の1つである。
人形とのなれそめがデッサン人形としてであったゆえ、今では寸劇写真を撮る上でも、一定線以上の可動範囲を持っている事も私の人形に対する課題である。必須としているモーションの具体例を上げれば、
と言った所である。2004年現在日本で流通している主な人形用可動ボディはこれらの要件をおおむねクリアしているが、それでもまだ不満が全て解消された訳ではない。
上記の課題を満たし、なおかつ個人的美観からパーティングラインや表面の傷、各パーツ間の段差をならすには加工を施さなくてはならないのが現状で、まだしばらくボディカスタムに走るのは止められなさそうである。
ところで、ボディカスタムが上記したように市販ボディの欠点解消を目的とした物だけであるなら、それは単なる作業で楽しくも何ともないはずである。ところが、確かにしんどい面はあるものの私はおおむね喜々として入手したボディを分解し、削り、切った貼った磨いたと加工しては組み直している。これはどうしてだろうか。
創作人形と接するようになり、またそれらを論じる本を読むようになって思い至ったのは、創作にしろカスタムにしろ人形のボディをいじる行為には別の身体を支配する感覚と言う面があること。
支配の感覚※※は人形使いの行為全般において言える事であるが、ボディカスタムは既に形のある身体を分解し自らの思い通りに作り替えることで特に強くその性質を帯びる。
私が硬質樹脂製の可動体にこだわるのは、既に書いた理由に加え無自覚レベルで可動や分断の可能性を秘めた関節構造、高い加工性をもつ素材そのものに支配の感覚を見ているから・・というのは考え過ぎだろうか。可動も自立も加工性も、その理由を問い詰めて行けば「自分の思うままに動かしたい」ということになり、より望ましい支配の形への要求とみなしうる。
玩具としてのプレイバリューや着せ替え・ヘアメイクなどによる外見の可変性=変わりゆく魅力の裏には身体を巡る少々後暗い魅力が潜んでおり、意識していなかったが間違いなく私はそれを楽しみにボディカスタムを行っていたのだ。逆に言うとそうした魅力に抵抗のある人は意識・下意識の別なくボディカスタムと言う行為、さらには関節構造のある人形その物にも抵抗感があるのではないかと思われる。
ボディカスタムを通じて支配の感覚を得ることも自分の楽しみと認識した以上、これを外しては人形趣味の意味はない。幸いなことに極端な趣味に走った異形系や魔改造でない限り・・いや、そうしたものの方が出来たモノのインパクトが上記したような魅力を隠蔽してくれる※3。
そもそもカスタマイズドドールのような玩具性のある人形において、こうした隠れた快楽はあまり考慮される事はなく、これからもないであろう。
支配の感覚・変わりゆく魅力・手を動かして何かを作る素朴な快感・・・これらを求めて、私はボディをいじっているのだ。