妄想展示室:「矛と盾」

妄想放談(旧文書4)
The delusive talking / Old documents selection #4

人形界にふと思う事
I thought about Japanese doll scene


疑念−祭の去った後(2001/06/00)
After the festival

 2001年6月現在、Web 空間にはここも含めあまたの人形サイトが開かれ、又造形系を初めとする各種の同人展示即売会においても1ジャンルとして認められつつ有るようである。玩具メーカーのみならず模型系メーカーからの製品発表も数多く、昔からの人形使いにとっては嬉しい時代ではないだろうか・・・・・

 しかし私はこの状況に何処となく危険の臭いを感じる。

 この人形ブームは決して生来の人形好きの側から起きたものではない。
 数年来のキャラ物ガレージキットフィギュアの隆盛、更にキットから完成品への需要の流れとたまたまタカラから硬質樹脂製可動ボディが登場したことが「キャラドール」(歴史的意味の「キャラクタードール」とは異なる用法)を生み出し、これに模型系のメーカーが追従したことが今のブームを作り出したのである。
 模型歴の長い方ならあるいは「プリティフィギュア」(バンダイ刊)なる小冊子を覚えている方も居るだろうか。極少数とは言えはるかな過去から可動フィギュア+布製衣装という動きはあったのだ。この時幾つかのキャラクター人形が発売されたが、どこまで売れたのかは不明である。

 今の流行を引っ張っているのが彼らである以上、その動向は従来からの人形使いにも影響を及ぼすはずである。
 例えば18禁PCゲーム出身キャラ関連製品、またあるいは異様に誇張されたプロポーションを持つボディの登場と隆盛。これらはキャラ物関係からの需要に答える形で登場したと考えられるが、眉を潜める人形使いも結構多い。こうした製品の多くが「対象年齢15才以上」とされていることで、ただでさえ怪しいと言われる人形趣味を更に一般から遠ざけることになりはしないだろうか。
 前述の第1期?キャラ人形ブームが去った後、粗大ゴミ捨て場に全裸で捨ててあった某キャラクター人形。今の流行が去った時、それを支えていた人形達を同じ場所で見る事になるのだろうか。

 それまでのデフォルメを廃し、生身の人物に似せた人形。「女の子に愛されたファッションドール大図鑑」(同文書院刊)及び幾つかの人形史関係海外サイトの定義による。

追記(2001/11/09)

 最近、これまで善きに付け悪しきにつけ人形ブームを引っ張って来た某社がより高額の商品中心に移行するという噂を聞いた。いかなる経営判断上の理由によるか不明であるが、はたして何人が付いて行けるだろうか。

追記(2005/02/11)

 2005年1月に開催されたドールショウ13.5において新規ユーザー開拓目的(主催者談)の目的で人気18禁ゲームソフト「Fate -Stay Night-」関連のキャラクタードールが限定発売され、人形好きだけでなく元作品のファンからもそれなりの人気を博した様だが、この時起こった混乱は上記の思考を裏付けする物とならないだろうか。


疑念−メイド服の下にあるもの(2001/09/15)
The dark thinking under the maid costume

 いつの頃からか正確な時期は解らないが、制服系の1ジャンルとして「メイド」が流行っている。今ではすっかり定着した感があり、それは人形服の世界でも同様であるが実のところ私はあまり快く思っていない。

 「メイド」−この場合厳密に言えば数あるメイド(maid)という職種の中でも専門職ではなく雑事担当だろう−のイメージの中に「清楚」「勤勉」のみならず「奉仕」と「服従」が含まれる事に何人が気付いているだろう?
 奉仕と服従。2つのイメージは「命令と従属」という関係の存在を伺わせる。これが「誰かを意のままにしたい」という願望に加え制服系特有の性的なイメージと結び付きやすいのか、18禁ゲームソフトやエロ漫画(商用・同人双方を含む)においてはときおりメイド職のキャラが過剰なほど誇張表現された形で登場している。その影響なのか、イベント等で見掛けるメイド服のなかには明らかにそうした要素を強く持った、いわゆる「フレンチ」の混じったデザインが存在する。
 現実の姿に即したデザインこそが正しいとまでは言わないが、衣装製作において、特に制服系では単に流行っているからとかデザイン的なことだけではなくその衣装の持つイメージを考える必要はないだろうか。

 おいおいそれは考え過ぎとお嘆きの貴方、ここが「妄想展示室」で有ることをお忘れ無きように。なんだかんだ言っては見ても、うちにもメイド服一杯あるし。


疑念−Why she need nipples?(2001/10/20、2001/11/09追加訂正)

 既に別な形で取り上げたことであるが、人形の性性(セクシャリティ)とそれに対する人形使いやメーカーの反応について日頃考えている事がある。

 現代ファッションドールの代表であるバービーにはスケール換算100−45−80というプロポーションにもかかわらず乳首が表現されていない。
 ものの本によると工場の試作段階では存在したのだが、マテル社の監修によって文字通り削り取られたらしい。以後現在に至るまであの人形の胸部にあるのはなめらかな丸いふくらみである。この「巨乳だが乳首はない」というある意味中途半端な性表現が、以前は−あるいは今も−物議をかもした事もあった※※ようだ。
 バービー人形の年齢設定は明確にされていないが、それでもハイティーンから成人までの範中にある以上外見的特徴の1つとして乳はあったほうが妥当(大きさはともかく)だろう。一方、 人形に例えば乳首のような具体的な性表現をどの程度盛り込むかについてはいろいろ意見があると思うが、対象年齢層や当時の社会状況、後述するが展示上の問題を考えるとこの表現で妥当、というかこれが限度だろう。

 さて、それでは現在の日本ではどうか。
 今の流行以前からある一連のファッションドールについては、バービー同様性表現はごく押さえられたものになっている。一方でカスタマイズドール向けボディや高年齢対象のキャラクター人形の中には乳首はおろか外性器と思わしきモールドまで付与された物も存在する※3。この辺はなかば公然とヌードフィギュアが存在するキャラクター物ガレージキットフィギュアからの影響であろうが、基本的に衣装を着ている状態で展示されるファッションドールの場合は過剰ディティールにしかならない。
 もし「あるものは付ける」という思考であるならば、何故男性体において12インチ系はともかくファッションドール系ボディでは性表現はおろか筋肉表現ですら控え目になされているのかその理由を知りたいものである。

 下半身の問題はまた別の機会に回して、とりあえず乳首について言うならば過剰表現は倫理面だけでなく人形を展示する上でも問題となる。
 硬質素材のボディに成形表現されているそれは、裸身のみならず大半の衣装の上からでもその存在を主張する(時に衣装を貫通して先端だけ露出することも・・・)。つまり衣装製作者の意図に関わらずセクシャルなイメージを帯びるのだ。過剰ディティールな乳首を有する人形のほぼ全てがいわゆる巨乳系のプロポーションに作られていることを考えると、これはセクシャリティを強調するため意図的になされた造形かも知れない※4
 衣装の厚みがプロポーションをならしてしまう事を思えば巨乳系は衣装映えするボディではあるが、セクシャルなイメージが先行すると発想がそっち寄りに引きずられてしまわないか心配である。

 人形(フィギュアを含む)に対象に見合った適度なセクシャリティ、率直に言ってしまえば「ある程度の性的アピール」の要素がある事はそれが例え赤ん坊人形でも人気を得る上で必要であるというのが私の意見だが、だからといって過剰にセクシャリティを盛り込むことは例えば上に述べたような問題から人形の使われ方の幅を狭め、ひいては製品寿命自体をも短くすることにならないだろうか?

 この項の記述は「バービー・クロニクル」(早川書房刊)を参考にしている。
※※
 同時にプロポーション自体、特にウェストの細さも非難されることが多いが、これは衣装の厚みとのバランス上やむをえないもので、的を外した非難だと言わざるを得ない。
※3
 ただし前者にも例外的に(例えば排泄機能を持つ赤ん坊人形など)性表現を盛り込んだものも存在する。
※4
 余談であるが、この件について個人的にはボークスEB-A/B/mini-A/B の「無いけど有るようにも見える微妙なRとエッジ」という造形が衣装とのバランスがとれていて好ましいと思う。ちなみに、手許の爆乳系機体はペーパー掛けして突出しないよう調整してある。

追記(2002/01/05)

 その後、ボークスEx-NEO・GUY及びNEO剛において「筋肉表現のある男性体ドールボディ」という存在は実現した。また、12インチ系も徐々にそうした表現を取り入れるようになってきたようである。


私が自分の為に人形を作る(2001/12/23)
About a copyright of doll

 2001年12月9日のドールズパーティー会場において、主催者であり又カスタマイズドドール素材の供給元の1社でもある(株)ボークスから自社製品(完成品・素材)に対する版権主張の予備的アナウンスが行なわれたようである。
 私は当イベントに参加していないため後日概要を公式Webサイトや他の人形使いのサイトで確認しただけであるが、この版権主張は改造や展示(Web上も含む)など広範囲の行為について許諾を求めるものになる可能性がある。

 正式アナウンスはまだ少し先になるようであるが、版権主張が上記のまま成立する事になれば事実上ボークス製品を使用したカスタマイズドドールの全活動、特に作品をWebサイト上で公表する行為について許諾が必要となるため、各人形使いの間ではこのアナウンスを巡って様々な意見や憶測が飛び交っている。
 おおむね正式アナウンス待ちの状態ではあるが版権主張、特に素材関連やWeb展示への許諾に関して反対の論調を取るところが多い。中には人形界からの撤退を匂わせるなど過激な論調も見られる。

 版権主張に対して人形使い個々の選択肢は

 のどれかになるだろう。

 さて、私はどうかというとボークスの主張に対して反対はしない。
 誰がどう言おうと「版権」対象品がボークスの製品であることは否定しようの無い事実であるし、自社製品保護※※の為権利を主張することも誤りではない。イベント限定品が販売即日に高額でネットオークションに出品される事態※3やコピー品の登場、エロ系人形サイト−個人的には着せ替え人形でエロを表現するのは相当に無理があると思うが−による商品イメージの低下などは企業としては面白くないだろう。
 したがって正式アナウンスがあり次第許諾を求めて行く方針である。仮に許諾が得られなければ対外活動を封じざるをえないが、だからといって人形界を去るまでには至らない。
 あくまで自分の為の楽しみとして始めた人形趣味、Webサイトの作成は私の人形歴の中でかなり新しい事で、ある事件が無ければなかったいわば余興である。個人的趣味に徹している限り、別に手許の人形を廃棄しなくてはならない訳でもあるまい。

 ちなみに(株)タカラ製品についても以前に同様の版権主張があった事例が確認されているため、完全にフリーと言えるのは自作部品かフリー使用可能を謡っているサークル作品に限られる。
 フリーにこだわりたい方はこれを機会に同士を集めて共同のフリーボディを開発するというのも1つの手だろう。
※※
 プラバン等と異なり、造形上のデザインが認められる以上たとえ素材と言えども意味の有る版権主張は可能である。
 とはいえ、たとえばスーパードルフィなどは1800年代のベベ・タイプ人形以来の様式に乗っ取った構造をしており、創作系、ビスクなど他の球体関節人形との類似点は非常に多い。この事を無視していだずらに版権主張に基づく類似認定をすればむしろボークス側が人形界から追放される危険もあることを認識すべきである。
 (2009/01/12追記)上記を踏まえてかDD(ver.2)についてはインナーフレーム式の構造が採用されたが、この形式で先行するオビツとの確執は残っている。
 また、当サイト内で記載されているとおり、例えば上腕部の組み立てミスや接合面の開き、EB-neoやEBBにおける関節軸の強度不足、EBBのPVCパーツ自然変色など不十分な製品クオリティを改善する必要があることも考慮して欲しいものである。
※3
 不用品として売るのなら定価未満、いかにもこういうへ理屈が付きそうだが「当日参加できない方々へのボランティア」であるなら定価+調達実費程度を想定落札価額に設定すべきであろう。現状のように開始金額ですでに2倍近い値が設定されるのはいかにも小遣い稼ぎ目的で、はっきり言ってみっともない。

追記(2001/12/23アップ直後)

 ボークス公式Webサイトで正式アナウンスが掲載された。詳しくはそちらを参照していただきたい。


大人のおままごと(2002/01/05)
Play with a doll

 手許の人形に衣装小物を合わせ髪をセットしポーズを付け、適当な背景を背に写真を撮る。今時の人形使いなら1度はやった、あるいは望んだことである。自分の好きな人形について存在の記録を残すのは、ペットの写真を撮るのと似たようなものでごく自然な欲求だろう。
 しかし、その欲求は時にはた目から見て異様な風景を出現させることがある。

 スケールに合わせた小物を用意し、セットを組み、時には野外にロケーションを求める。それは凝れば凝るほど「大人がままごと遊びに興じる」とも取れる何ともいいがたい様相を呈して来る。

 こと「人形と戯れる」という点において、子供のままごとと大人のままごとに余り違いはない。ただ、大人のままごとは行為自体よりその結果生まれる風景を観賞する事が目的となる。子供なら自らの想像力で補うだろうスケール感や細部のリアリティといったものに注意を払うのも、さらには写真記録を残すのも観賞を主眼とした行為ならではの事である。
 しかしこうした違いは人形使いでない人間の目からは判別できない。いきおいその行為の怪しさ−他の模型関係ジャンルと比較してさえも異様ととられる−だけがクローズアップされる事になる。

 人形とその周辺に造りだした箱庭空間を楽しむという点では、人形使いは例えば鉄道模型やドールハウスと同じ範中に含まれる趣味であるが・・はて、怪しいのは人形使いと人形使いを是としない常識認識のどちらだろうか。

 これは人形を「独自世界の住人」と見立てる展開だが、逆のパターンとして「人形が実物スケールの世界の中で意思ある存在として活動する」というトイストーリー的アプローチもある。

敵対表明−連れ歩き反対(2003/07/01)
I DON'T recommend to you bring your doll to Japanese event

 何年も人形使いをしていると、1/6だけでなくSDな知り合いもそれなりに出来て来る。彼らの事もあるし、人形界の傾向として大型化が進行しているのならしょうがないと思ってこれまで黙っていたが、やはり書いておくのが精神衛生上よさげである。

 いつの頃からか、人形系即売会場において人形小脇に会場を歩くSD使いの姿を見掛けるようになった。実際には他クラスの人形使いも相当数いるのだろうがSDはあのサイズゆえ尚更目立つ。
 正直な話、私は即売会場における連れ歩きを極めて不愉快に思っている。撮影コーナーの用意があるならともかく、わざわざ一般参加のイベントに自分の人形を持ち込む必要を私は理解できない。
 これまでの経験上、人形に限らず同人系即売会の会場における「島」−展示卓列間の通路幅は1.5mか広くても2m程度である。人気ディーラーで卓前に人だかりが出来たりすれば時に通行もままならぬ事態になる。その様な状況で人形連れ歩きをすれば、連れ歩く本人も周辺客も余計に配慮すべきことが増えるだけである。
 例えば、連れ歩いている人形を損傷させないよう※※周辺客は周辺警戒と回避運動(笑)に注意を払わなくてはならない。ときおり卓前や通路上で連れ歩き組同士盛り上がっている事もあるが、見物や買い物目当ての参加者にとってはかなり大きな障害物になる。
 また、人形を連れ歩くには会場まで持ち込んで展開し再梱包して帰る事になるなるわけだが、展開・梱包作業を会場外の周辺で行なう人形使いがいる。同じ建物内にしても会場内と会場外では意味が違うことを彼らは認識しているのだろうか。

 人形遊びとは持ち主が人形に投影するミラーイメージを人形ごと操作することで楽しむ遊びである。イメージをいじる遊びである以上、そのベクトルは本質的に外界よりも内側へ向かう事が多くなる※3
 内向きの楽しみであることが即外界に対する配慮を失わせる理由になるとは思わないが、「外から見た目」と言うものを一通りは意識しておくべきであろう。

 なお、同じことは景勝地など人手のある所での屋外撮影にもいえる。これは私自身もたまに行っており、周囲の人形使いでない(普通の)撮影者を優先したり人気のない瞬間を待ってなるべく短時間で済ますよう努力はしているがあまりうまくいっていないのが現状で、反省する事しきりである。

 「人形イベントだから人形も一緒に楽しませるべき」という全く意味不明な理由でイベントに人形を持ち込むことを奨励する意見をドールサーカスの掲示板で見掛けたが、当コーナーで過去に主張しているように「人形がどうこうして見える」のはミラーイメージ=人形使いの妄想に過ぎないことを認識すべきである。
 ちなみに、これと同様に人形服が増える理由として「人形が欲しがる」を挙げるのも誤り。手許の人形がその服を着ている姿を妄想している自分が欲しがっているに過ぎない。
※※
 荷物に人形の手先を引っかける、うっかりぶつかった拍子におっことす、など。本体が無事でもづらや衣装、装身具などに影響が出ることも。昔の話だが、最初に参加した即売会では落とし物として「足首」が案内されていた。
※3
 人形を仲立ちとしてコミュニケーションを取る方向性も確かに有るが、それにしては現在の着せ替え人形界の状況は間口が狭いように思える。