演者の独り言■

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見所からは窺い知れない、面の内側から覗いた世界を、シテが語ります。
(1)平成12〜13年 (2)平成14年〜15年 (3)平成16年 (4)平成17年〜19年  (5)平成20年〜25年

2001/12/3 本田芳樹
経正先日明治神宮で経正を奉納しました。野外であったこともあり思わぬ苦労がありました。

まず舞台は能用の舞台ではないので、当然橋掛がありません。
楽屋から舞台までは地面の上にござがひいてあり、その上を通って舞台まで行かなければなりません。
その上このござを真っ直ぐ引いてくれればよいのですが、所々で曲がっておりしかもこちらは面をつけているので足下のござが全く見えません。

また野外で昼間ということもあり風が強く苦労しました。
風が強いといっても普段ならばどうということのないほどなのですが、長絹に烏帽子という出で立ちで非常に風を受けやすく、特に烏帽子が風であおられるとまっすぐに立っているのが大変なほどでした。

このようにいろいろ苦労もありましたが、参拝にきていた方たち、特に外国の方たちに興味を持ってみていただけたようでした。

2001/10/31 本田光洋

10月7日の金春会で能「錦木」を舞いました。
所要時間が100分かかったのはまず意外でした。
男舞(森田流では黄渉早舞)を舞う曲ですから、テンポは早いし軽い曲かと考えていました。直面(ひためん)物は往々にして言葉数が多いことがありますが、この錦木も分量の多い曲目といえます。その分量で苦労させられたのですが、覚えづらい文句でした。

地謡のメンバーも同様苦心したようで、「世阿弥作というけど絶対違うね」というのが一同の感想でした。父の最後の能でしたが、ツレの私になかなか覚えられん、しっかり覚えといてくれと言われたのを思い出しましたが、同じ事をツレの布由樹に言ったのには、思わず苦笑いいたしました。

御簾の陰から見ていた芳樹に言わせれば、ポイントの無い能だねということで、まさにその通りかもしれません。

しかし台本は平板でも能にすると面白い曲もある、というのが舞台芸術の面白いところです。静かな舞を見ることが多いのに、今度は動きがあって面白かったと言っていただいた方があったのは、台本の欠点を補う舞の面白みが多少でも出せたかしらと考えています。


名古屋金春会の小督(こごう)

11月4日は名古屋能楽堂で、T部流友会、U部金春能の会が催されます。T部では舞囃子で融のクツロギを松本さんが舞います。

昨年は入院され舞えるか心配なさいましたが、大学クラブ以来55年のキャリアはさすがで、難しい囃子に合わせて舞われます。熊野の囃子は舞囃子始めての氷見さんです。お勤めと家事多用のなか、平家物語ゆかりの美女を舞います。
私は小督です。錦木の前シテと同じく、直面(能面を使わず素顔で演じる)です。
秋の嵯峨野を舞台に、高倉天皇と小督の局の悲恋を題材にしています。

10年ほど前に舞った時、この曲の直面の有りようについて、能評に書かれたことがありました。素顔はなにやら面はゆいのです。肉体的には楽なのですが。

日ごろ能面にいかに頼っているかがわかるような気がします。


11月4日 名古屋金春会 『小督』
「門さされては叶うまじと。枢(とぼそ)を押さえ内に入り。」と、シテがトモヅレの開けた戸を押さえる場面。
シテ 本田光洋 / トモヅレ 鬼頭尚久

2001/8/21 本田布由樹

「羽衣 9月2日の円満井会定例能にて、能「羽衣」のシテを演じます。
能のシテをつとめるのは、小学生のときに能「小鍛冶」の前シテを演じて以来です。

「羽衣」の難しいところは、技術的な点ではなく、いかに「天女」という存在を演 じ るかだと言われています。
「羽衣」の天女と同じように、天に帰る天人に竹取物語のかぐや姫がいます。
かぐや姫は、月からの使者につれられて天上へ帰ると、人間としての心を失ってし ま いました。 竹取物語のなかでは、人間と天人とはまるで違う心を持った存在のようです。

しかし、「羽衣」の天女はどこか人間的です。 漁師に衣を取られ、悲しむ姿。 また、羽衣を返してもらい、天に帰れると喜ぶ姿・・・・・・ そこに、人間との違いはあるのでしょうか。

当日の舞台では、そのあたりまで表現できたらな、と思っています。


2001/1/30 本田光洋

2月3日(土)の「能を知る集い」では25日に上演される曲目にそって「謡い」とはどのようなものかを考えてみることにしています。

まず朝長には「語り」と言われる部分があります。朝長一行が戦に破れ、青墓(おおはか)の宿に落ちてゆき、膝に重疵を負った朝長が自害に至るまでをシテが語って聞かせます。

又、葵上は数有る曲のうちでも一番の複雑な技巧の謡いです。強吟、和吟織り混ぜてシテの心理、感情の揺れを表現します。この辺りを分解しようと思います。

又五流の中で最も起伏に富んでおり素朴な表現力のあるといわれる金春流の謡を、出席の皆様にも是非一日入門して、謡ってみていただきたいと思っております。空気はタダです。たまには大きく息を吸って声を出すのも良いものですよ。

2000/11/08 本田光洋

求塚前シテ4日(土)名古屋金春会が終了。
求塚は6、7年ぶりでしたが、前回より総体に「位」がしっかりして、1時間40分かかりました。
地頭の高橋汎氏は、大変だったけど求塚はまたやりたいっていう気になるね、と言っていたのが印象に残りました。

同じ復曲でも砧は演じられる機会が多く、他流のも見せていただいて参考にもしていますが、この曲は上演機会の少ないもので、自分で作りあげるというような苦心があります。
求塚後シテ
前シテはかなりやるところまでやれた、と感じておりますが、後シテがまだ難しかったように思いますが、いかがだったでしょうか。

シテ、莵名日乙女が一人の男に決めることをせず自ら身を投げたことは、やはり罪だったのでしょう。他の曲にない重いテーマを背負わされながら舞ったという気がしています。

2000/11/01本田光洋

名古屋金春会、求塚も近づき明日3日は舞台で申し合せ。申し合わせ
「能を知る集い」で対談した面打ちの岩崎さんは、痩女を打つとあと寝込むと語っていました。
あと寝込むくらいの舞台を勤めたいと思ってます。

今回使用の後シテ用、痩女は江戸中期の出目友水の作。時代を反映して繊細で完成された技巧の作者です。ツレの鬼頭君は大学院在学中、はじめて自分で手に入れた「小面(こおもて)」を使います。
楽しみです。

2000/10/26 本田光洋

22日に秀麗会同門の発表会終了。
10才から92才の方が仕舞や謡をいたしました。少し暇が出来たので私は展覧会巡り。
皇居東御苑内尚蔵館で、宮廷装束の美展。品が良いとはどういうことなのか考えさせられました。雨の皇居がしずかでした。

東京国立博物館では中国国宝展。最近発堀の仏像が公開されました。
今までに知られている石仏と随分違うのにびっくり。法隆寺より百数十年古い時代なのですが、繊細で優美、仏さまというか、高貴な人がたっているような優しさでした。

案外空いていてゆっくり見ることができました。ぜひどうぞ。おすすめです。

2000/10/19 本田光洋

9月22日名古屋能楽堂定期公演。能「千手」

シテは言葉が多い曲なので、自信ありげな顔とは裏腹に内心ヒヤヒヤした部分もあるのですが、舞ううちに次第に調子に乗ることが出来て、終われば気持ちの良い公演でした。
中日新聞の能評にはシテとツレと息が合ってと評されましたが、シテ、ツレ、ワキそれぞれでありながら、心は一つといった感じになれたように思います。

ツレ金春安明さんの平重衡の品の良さは、さすがだったように思いました。以前の金春会での「絃上」の藤原師長も相手をお願いしたことを思い出します。

大原御幸の後白河法皇も腰掛けているだけですが、謡も多く、ツレでありながら舞台の要の役柄です。大原御幸は金春流では40年程前の復曲です。櫻間道雄師が舞われたおり、亡父に法皇をと言いましたら、父は「先にやられたね。僕のやる時は君に頼みたいと思っていたのだが」と話していましたが、やはり大事な役所です。

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