演者の独り言■

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見所からは窺い知れない、面の内側から覗いた世界を、シテが語ります。
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2003/8/16 本田布由樹

9月21日(日)の円満井会にて、能「敦盛」を舞わせていただきます。

一の谷の合戦にて、平敦盛は16歳の若さで命を落とします。
彼を討ち取った源氏の武将、熊谷次郎直実は息子と同じような年代の敦盛を手にかけたことを悔やみ出家。
そして蓮生法師と名乗り、敦盛を弔いに一の谷を訪れます。
そこへ草刈りの男たちが笛を吹きながら現れます。
やがて草刈の男たちはひとりを残して立ち去ります。
不審に思った蓮生法師が尋ねると「十念(念仏を十回唱えること)を授けて欲しい」と言います。
そして自分が敦盛の亡霊であることをほのめかし、立ち消えてしまいます。

蓮生法師が夜すがら弔いをしていると、敦盛の亡霊が現れます。
かつての平家の興隆と衰退を語り、また自らが討たれた様を再現し、しかし自分を弔ってくれた蓮生法師を恨むまいと言い残し消え失せます。

「敦盛」は16歳の若さで討ち死にした平家の武将、平敦盛が主人公で笛の名手とも知れらています。
能「経政」の主人公、平経政は敦盛の兄にあたります。
経政は琵琶の名手といわれ、「青山の琵琶」は敦盛の「青葉の笛」と並んで名器として高名です。
この青葉の笛ですが、実際は「小枝(さえだ)」というのが本名であったと言われています。曲中にも「小枝 蝉折 さまざまに 笛の名は多けれども」とあります。

しかし謡の中で「草刈の男」と「青葉の笛」をかけて作詞されてるため、「青葉の笛」という呼び名が広まったそうです。
鹿児島の台明寺に寒山竹の林があり、この竹を用いてつくられた笛を「青葉の笛」というのが発祥のようです。
なので「青葉の笛」といわれる笛は他にもいくつか現存しています。
ちなみに、「蝉折(せみおれ)」は、源義経が北国下りの際に石川県能登半島の 須須神社に寄進した笛です。

そのような歌舞を愛する優雅な一面と、16歳という若さ、そして平家物語に書かれる潔い最期が哀れさを強調します。
そういった面と、若々しい武将らしさとを出せれば良いな、と思っています。



2003/5/8 本田光洋

「春日龍神」(5/25 建長寺奉納能について)

建長寺での春日龍神も近づいてきました。春日龍神のシテははじめてです。まだ二十そこそこのころ父に稽古を受けたことがありました。クセは居グセで動きはないのですが、謡がいいなと思ったものです。
  「西の大寺 月澄みて 光ぞまさる七大寺 み法の花も八重桜の
   都とて春日野の 春こそのどけかりけれ」
月光に輝く甍、春の奈良もさこそと思われたのでした。
後シテは一転して勇壮活発。 脇は明恵上人。幼少時からの夢を記録した「夢の記」にある、国内では修業はし尽くしたので中国インドにも渡って修業をしようと望んだところが、夢に春日の神が現れて止めたという記録をもとにしています。「夢の記」に見る明恵という人も魅力ある人です。

今回は寺の中心の建物、法堂での能です。以前鹿児島でお寺の本堂で能がありました。
鼓の響きが余計な残響は無いのにしかもよく響く、日ごろの能楽堂やホールでは聞いたことのない響きを経験しました。これこそ日本の楽器には本来の場なのだと思ったことがありました。
今回、その点でも良い機会をいただいたと楽しみにしています。



2003/2/15 本田 布由樹

「小袖曽我」 (3/16秀麗会能について)
3月16日、秀麗会にて「小袖曽我」の五郎時致(弟)を演じます。
この曽我兄弟の物語は、「忠臣蔵」「荒木又衛門の36人切り」などと並ぶ3大仇討ちものとして知られています。特にこの曽我兄弟の話は、兄弟がまだ若い(兄22歳、弟20歳)ということもあって哀れを誘う物語です。

この小袖曽我では、兄弟が討ち入りに行く前に母への挨拶に赴く場面です。
とくに弟の五郎時致は、出家になれという母の言葉に逆らったため勘当をうけ、なんとか敵討ちに行く前に許しを得ようと来たわけです。
このとき母が形見に小袖を兄弟に渡したことから、「小袖曽我」の名前がつきまし た。(曲中にその描写はありませんが・・・)
兄弟は仇を討った後、兄十郎祐成はその場にて討たれ、五郎時致は捕らえられ頼朝の前に引き出されます。
一説によればこの討ち入りは単なる復讐劇のみならず、反頼朝派による兄弟の敵討ちに乗じた頼朝殺害の陰謀であったとも言われています。

今回は、兄弟での"小袖曽我"となります。
前回の「猩々 乱」に引き続いての相舞となりますが、少しは上達したでしょうか。

ふたりで息を合わせなければならないのはもちろんのことですが、その中で兄と弟のキャラクターの違いというものも出せれば、と思っています。

なお余談ですが、兄弟の父河津三郎は、相撲やプロレスで使われる技"かわづ掛け"の考案者としても知られています。(柔道では危険技として禁止されています)
一年に一回出るかどうかの珍しい技で、貴ノ浪が初優勝のさい、同部屋の後輩横綱・貴乃花との優勝決定戦でかわづ掛けにて優勝を決めるシーンがありました。


2003/2/7 本田光洋

 「道成寺」 (3/16秀麗会能について)
道成寺は十数度目ですので、他曲と比べても数多く舞ってる曲目になります。42才のとき舞った、赤坂日枝神社の薪能は屋外での初の道成寺だったと言われました。それ以来薪能、ホールなど経験しました。そのなかで自分で企画し秀麗会で舞うのは25年ぶりになるかと思います。

十何度目というと得意曲、と思われるかもしれませんが、じつは苦手なのです。 皆さんご承知の通り、鐘再興なった道成寺に立ち現れた女は再び鐘を引落し、中に飛び込み蛇身となる。安珍と清姫の後日談となっている。しかしもはやそこには相手の男も存在せず、甘い恋物語もない。
曲の構成を見ると、叙情的な言葉は「花のほかには松ばかり 暮れそめて鐘や響くらん」というところぐらいであろうか。
私の苦手というのもその辺りということになると思う。

上田秋成の蛇性の婬はなおまたこの後日談ということであろう。他の生き霊、死霊のように成仏したとは言ってないのだから、いつ又現れるかもしれないのである。


2002/3/25 本田布由樹

4月29日(月・祝)の円満井会定例能にて、能「熊坂」を舞わせていただきます。
秀麗会の「乱」が終わり、なかなか時間がとれなかったのですが、ようやく「熊坂」に集中できます。

天下の大泥棒、熊坂長範。
義経がいるとも知らず金売り吉次一行を襲い、遂には義経に討たれてしまいます。
前半、熊坂長範の亡霊は僧となって旅僧を庵室へ案内しますが、そこには仏像などはなく長刀などの武具がずらり。
驚く旅僧に、「最近このあたりは物騒で、夜盗も多い。往来の者が襲われたらこれらの武器を持ち助けに行くのだ」と語ります。昔は大泥棒と名をはせた熊坂長範が、いまは逆に民を守ると言っているのが少し可笑しい感じもします。

後半は、長刀を持って義経と戦った有様を再現します。
能の舞台では、実際には義経役の人は出てこないわけですが、果たして架空の義経をも再現できるでしょうか。

単に豪壮、迫力の舞台だけではなく、最後に僧に「末の世を助けたまえ」と願い消え失せるその儚さまで併せて形にできればと思います。


2002/3/1 本田布由樹

(3/17秀麗会能について)

猩々という曲は、お酒で酔っ払った妖怪(精霊)が主人公です。
とにかくたくさんのお酒を飲み、そのために装束も顔(能面)も真っ赤になっているほどです。
その妖怪、猩々がお酒を飲み、お酒の徳、またお酒を飲むことの楽しさを舞いあらわす。
それが「猩々」です。

難しい難解な曲というよりは、楽しく朗らかな曲だと思います。
今回は、兄とともに「双ノ舞」といってふたりで同時に舞う演出です。
ふたり息をぴったりあわせるのはなかなか難しいですが、見ていてウキウキするような舞台になれば、と思っています。

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