■演者の独り言■
見所からは窺い知れない、面の内側から覗いた世界を、シテが語ります。 | |
(1)平成12〜13年 (2)平成14年〜15年 (3)平成16年 (4)平成17年〜19年 (5)平成20年〜25年 |
2003/8/16 本田布由樹 9月21日(日)の円満井会にて、能「敦盛」を舞わせていただきます。一の谷の合戦にて、平敦盛は16歳の若さで命を落とします。 蓮生法師が夜すがら弔いをしていると、敦盛の亡霊が現れます。 「敦盛」は16歳の若さで討ち死にした平家の武将、平敦盛が主人公で笛の名手とも知れらています。 しかし謡の中で「草刈の男」と「青葉の笛」をかけて作詞されてるため、「青葉の笛」という呼び名が広まったそうです。 そのような歌舞を愛する優雅な一面と、16歳という若さ、そして平家物語に書かれる潔い最期が哀れさを強調します。 |
2003/5/8 本田光洋 「春日龍神」(5/25 建長寺奉納能について) 建長寺での春日龍神も近づいてきました。春日龍神のシテははじめてです。まだ二十そこそこのころ父に稽古を受けたことがありました。クセは居グセで動きはないのですが、謡がいいなと思ったものです。「西の大寺 月澄みて 光ぞまさる七大寺 み法の花も八重桜の 都とて春日野の 春こそのどけかりけれ」 月光に輝く甍、春の奈良もさこそと思われたのでした。 後シテは一転して勇壮活発。 脇は明恵上人。幼少時からの夢を記録した「夢の記」にある、国内では修業はし尽くしたので中国インドにも渡って修業をしようと望んだところが、夢に春日の神が現れて止めたという記録をもとにしています。「夢の記」に見る明恵という人も魅力ある人です。 今回は寺の中心の建物、法堂での能です。以前鹿児島でお寺の本堂で能がありました。 |
2003/2/15 本田 布由樹 「小袖曽我」 (3/16秀麗会能について)3月16日、秀麗会にて「小袖曽我」の五郎時致(弟)を演じます。 この曽我兄弟の物語は、「忠臣蔵」「荒木又衛門の36人切り」などと並ぶ3大仇討ちものとして知られています。特にこの曽我兄弟の話は、兄弟がまだ若い(兄22歳、弟20歳)ということもあって哀れを誘う物語です。 この小袖曽我では、兄弟が討ち入りに行く前に母への挨拶に赴く場面です。 今回は、兄弟での"小袖曽我"となります。 ふたりで息を合わせなければならないのはもちろんのことですが、その中で兄と弟のキャラクターの違いというものも出せれば、と思っています。 なお余談ですが、兄弟の父河津三郎は、相撲やプロレスで使われる技"かわづ掛け"の考案者としても知られています。(柔道では危険技として禁止されています) 2003/2/7 本田光洋 「道成寺」
(3/16秀麗会能について) 上田秋成の蛇性の婬はなおまたこの後日談ということであろう。他の生き霊、死霊のように成仏したとは言ってないのだから、いつ又現れるかもしれないのである。 2002/3/25 本田布由樹 4月29日(月・祝)の円満井会定例能にて、能「熊坂」を舞わせていただきます。 後半は、長刀を持って義経と戦った有様を再現します。 単に豪壮、迫力の舞台だけではなく、最後に僧に「末の世を助けたまえ」と願い消え失せるその儚さまで併せて形にできればと思います。 2002/3/1 本田布由樹 乱 (3/17秀麗会能について) 猩々という曲は、お酒で酔っ払った妖怪(精霊)が主人公です。 とにかくたくさんのお酒を飲み、そのために装束も顔(能面)も真っ赤になっているほどです。 その妖怪、猩々がお酒を飲み、お酒の徳、またお酒を飲むことの楽しさを舞いあらわす。 それが「猩々」です。 難しい難解な曲というよりは、楽しく朗らかな曲だと思います。 今回は、兄とともに「双ノ舞」といってふたりで同時に舞う演出です。 ふたり息をぴったりあわせるのはなかなか難しいですが、見ていてウキウキするような舞台になれば、と思っています。 |
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