演者の独り言■

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見所からは窺い知れない、面の内側から覗いた世界を、シテが語ります。
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3月24日 秀麗会能 「道成寺」 2013/3/6 本田布由樹

段々と舞台の日も近づいてまいりました。
能に詳しい方はご存知かと思いますが、能楽師にとって「道成寺」とは若手の卒業試験とも言われる特別な曲です。
囃子ごとや技術的、肉体的な難易度もあり、大曲秘曲の代名詞のように言われています。

この「道成寺」は有名な「安珍と清姫」の説話を元にした曲になります。
若い僧の安珍に恋をした清姫、仏僧の身だからと逃げる彼を追いかける内にその身は大蛇となり、日高川を易々と泳ぎわたり、ついには安珍の隠れた鐘にまとわりつき焼き殺してしまい、自分も日高川に身を投げ死んでしまった・・・・・・というお話です。
なんとも苛烈で報われないお話ですが、有名なので道成寺を見たことのない人でも聞き覚えはあるのではないでしょうか。

道成寺の見どころは数多くありますが、一番の特徴はやはり「乱拍子」と「鐘入」でしょう。
乱拍子は道成寺の鐘に向かって、シテの白拍子が一歩一歩階段を昇り近づいていく様を表していると言われていて、小鼓の音に合わせて足のつま先を上下させたりなどする、とても変わった舞です。
ひどく動きが少なく、静寂の中の激しさはむしろ濃密な気迫が必要とされます。
乱拍子の後に急ノ舞という能の中で一、二を争う速度の舞があり、ついに鐘入になります。
通常は金春流でも鐘入は鐘の下に入り正面を向いてから、真上へ飛び上がる型になります。
しかし、金春流でも「斜入」と呼ばれる鐘入をすることがあります。
これは落ちる鐘の外側から内に向かって、斜めに飛び込むというダイナミックな型であり、非常に見ごたえのある場面です。
我が家では道成寺はこの型でさせて頂いていて、今回の私の道成寺も「斜入」の鐘入となります。

鐘入はタイミングが命。
見事に鐘に入ることが出来るのか、ぜひ能楽堂にてご覧ください。


3月24日13時開演
国立能楽堂
正面指定席10000円
中・脇正面自由席8000円
学生券4000円

ご注文は

本田光洋後援会
TEL080-3020-5700(チケット受付用)
FAX03-3386-2641
honda.syurei@gmail.com

にて受付ております。


1月20日金春会定期能「兼平」 2013/1/10 本田布由樹

チケット申し込み専用電話 080-3020-5700

今度の金春会では「兼平」を舞わせて頂きます。
「兼平」は修羅物と呼ばれ、源平の戦いを描いた曲の中では金春流ではあまり上演されることのない曲です。
前場があまり動きがないことや、後シテの登場がやや唐突な印象を受けること、そしてなにより「木曽義仲の最後を看取る」ということにおいては「巴」という名曲があることが理由に考えられます。
「巴」は以前舞わせて頂きましたが、女武者の華やかさと愛する人との別離、それでも自分は主君の命により生きていかなければならない・・・という明暗のはっきりとした場面展開が魅力でなるほど人気曲だなと思わされました。
その点、この兼平はいささか男臭い話です。
今井四郎兼平は木曽義仲の乳兄弟であり、有名な巴御前の兄でもあります。

義仲の最後の折、兼平は「雑兵の手にかかるよりは」と自分が時間を稼ぐ間に義仲に名誉の自害をするようすすめます。
しかし義仲は「これまで来ることが出来たのも兼平がいたからだ」と最後まで共に戦おうとしますが、ついに兼平に説き伏せられます。
自害の場所を探す義仲は、不運にも馬が深い田に落ち身動きが取れなくなってしまいます。
自分のことながらあきれ果てた義仲は、そのまま自害し果てようと思い刀に手をかけますが、ふと兼平の様子が気にかかり後ろを振り返ります。
そこに一本の矢が飛びかかり、兜の中へ突き刺さり義仲は命を落とすのでした。
そうとは知らず義仲のために時間を稼ぐ兼平。
その耳に、「義仲討ちとったり!」と敵の声が。
主君をむざむざ敵の手にかけてしまったと兼平は悔み、「これこそ自害の手本である」と叫び太刀を口に咥え、馬から飛び降り壮絶な最期を遂げたのでした。

面白いのは、「巴」では汝は女なり、と途中で故郷へ帰るように言われた巴が、今一度義仲の元へ戻るとすでに義仲は自害した後だった、という場面があること。
「兼平」でははっきりと「敵に討たれた」となっています。
兼平の「果たせなかった乳兄弟の代わりに、自分が自害してみせよう」という剛毅も、巴の「自害してしまった夫の代わりに、生きて故郷へ下ろう」という慕情も、義仲あればこそ。
兼平は最後まで、自分よりも主君である義仲を弔って欲しいと僧に頼みます。
前場では義仲にも兼平自身のことにも触れず、京都の名所教えと一仏乗の教え(天台山系の教えで、仏の真実の教えは絶対平等であり、それによってすべての人が成仏できるという考え)の話に終始します。
しかし、この仏の信仰で誰もが救われるという前場が、後の「我よりも 主君のおん後を まず弔いて たびたまえ」という兼平の健気な忠心につながっていくのかなと思います。



「熊野」平成24年3月3日(土)12:30開演 矢来能楽堂
2012/2/20 本田布由樹 

美女「熊野」は故郷にいる老母の病状を思い、平宗盛に暇を願うが叶わない。宗盛は熊野を清水寺の花見へと連れ出すが、熊野は母のことばかりが気にかかり、華やかな都の景色もかえって母親のことを思い出させ、宴席にも出ず清水の観音に手を合わせていた。せっかくの花見の席だからと宗盛に乞われ、熊野は満開の桜の下で舞を舞う。しかし時ならぬ村雨に花が散ってしまうのを見て、「いかにせん 都の春も 惜しけれど 慣れし東の 花や散るらん」と故郷の老母を思う歌を詠み、宗盛へ渡す。これを見た宗盛も心を打たれ、熊野の帰郷を許すのだった。

この「熊野」という曲の中で、熊野と宗盛の距離感が問われる場面がいくつかあります。例えば老母からの文をふたりで読み上げる場面。あるいは酒宴で宗盛にお酌をする場面。どれだけワキ(宗盛)に近づくのか?というところに熊野を演じるシテの解釈が現れます。
筋立てだけを追うならば、わがままな宗盛と、それに振り回される熊野といった単純な間柄に見えます。しかし細かく詞章を読むと、恋愛の和歌が織り込まれ、ふたりの間に確かな思いがあることが読み取ることが出来ます。宗盛が熊野を離すまいとするだけでなく、熊野もまた宗盛から離れがたいという思いを抱いているのではないでしょうか?

先日稽古会があり、当日もワキをお願いする方と共に「熊野」をさせて頂いたのですが、この時にワキから「少し近すぎるのではないか」とアドバイスを頂きました。もっと距離を保ち、”帰りたがっている”心情を表現すべきだという指摘でした。確かに、宗盛と母との間で揺れている熊野としてはワキに近寄り過ぎていたかも知れません。常にシテを意識しているワキ方ならではの、有り難い助言だったと感じています。
こういった試行錯誤を重ねても、実際に当日の客席からどのように見えるか、というのは難しい問題で一生の課題と言えるかも知れません。「離見の見」とは言いますが、私はよく客観的な視野を忘れがちなのでこういった指摘はとても有り難く感じます。これを生かして良い「熊野」が舞えるよう、稽古していくつもりです。
3月3日、矢来能楽堂までお越しいただければ幸いです。


江口を終えて 2008/7/9 本田光洋

 私たちが能面を着用する時、面裏の両頬、また額に「面アテ」を付けます。和紙を折りたたみまたは綿、紙を布で包んだ小さなものです。額の高い人や頬骨の高低を調節して面の受ケ(視線の高低など)を適正に保ちます。
 とくに立体的に深い面を除いて女面、男面は私の場合一種類の厚みのアテで足りています。面の表裏のバランスが同じでなくては困る、とは言いながら、作者の家系、時代幅も違う中でしかも同じに仕上がっている作者たちの腕は常に畏怖の念をもって見ているところです。
 また試みに面を顔にあてたときの裏の感覚で、表側の受ケ具合が分かるようになります。重みのバランスで表の受ケが分かるのでしょうか。これも不可思議のひとつです。
 ところが、このところその受ケの感覚があてにならなくなってきていることに気づきました。面アテをした後他人に見ていただくのですが、今までにそんなアテを付けた事ないというようなアドバイスを受けるのです。どうも私自身の舞台上の身体に変化が出ているのではないか、次の舞台にはなんらかの答えを出したいと思っています。
 江口使用の小面は「柳の小面」の名称のある面でした。なかなか難しい面だと思いながらも、表情の静かで重みのあることが江口にはうってつけと久しぶりに使ったのですが、出の前に後見から受ケを直されましたし、記録写真で見た限りでも今回まだ使いこなせきれなかったように思われました。その点宿題を残した舞台でした。
 なお8月横浜「半蔀」、9月国立「船弁慶」とも全席売り切れたのことです。有難うございます。(平成20年7月)

 


8月26日 国立能楽堂 東西合同研究発表会 
舞囃子「唐船」
2008/7/8 本田布由樹

毎年8月の終わりごろに、東西の若手能楽師による研修発表会が行われています。
今年は、私が舞囃子「唐船」を舞わせていただくことになりました。

これは若い能楽師たちに出演の機会と研鑽の場を与えるための会で、私たち若手能楽師としても、とても有り難く、同時にとても怖い舞台でもあります。
 東京、大阪、京都、名古屋など日本各地の若手能楽師たちが集まる場ですから、当然舞台の出来不出来、楽屋での振舞いを他流の人たちから見られることになります。
 私たちにとって、見所のお客様もさることながら、楽屋からの同輩の視線ほど怖いものはありません。また監督役のベテランの先生方もいますから、いつもにもまして緊張感のある場になります。

 今回舞わせていただく「唐船」は、私が数年前に始めてこの東西合同研究発表会に参加した時に、地謡として参加した曲です。
 その時のシテは、兄でした。
 今回この曲を舞わせていただくことになった時、不思議な懐かしさを覚えました。
 あの時と同じ緊張感を持って舞台に立てたら、と思って稽古しています。

 なお、東西合同研究発表会は入場無料、観覧自由です。
 暑い盛りですが、ぜひおいでください。

 


3月16日秀麗会能「紅葉狩」 2008/3/4 本田布由樹

さて、秀麗会能も差し迫ってまいりました。
最近では2番のうち一番は、兄か私が交代でシテをさせていただいています。
今回は私の「紅葉狩」となります。

「紅葉狩」は、戸隠山に隠れ住む鬼が美女に化けて狩りの最中の平維茂を誘惑し、酒に酔いうたた寝している間に襲い掛かるものの、岩清水八幡の助力を得た平維茂にかえって成敗されてしまうという物語。
 前場のゆったりとした序ノ舞(あるいは中ノ舞)から、激しいテンポの急ノ舞にがらりとかわるシーンが特徴です。
 兄をはじめとして、先輩方がこの「紅葉狩」をされる時に私もツレとして舞台に出させていただいたのですが、やはりこの舞のシーンが印象に残っています。
 なんとか鮮やかに舞いたいものだと思っているのですが、かえって思いだけが先走ってしまうのか、稽古ではつい笛の譜よりも先へ先へといってしまい、思うようにいきません。
 父にはよく、「早い曲、激しい曲とは動きが速いということではない。”動きを速く見せる”曲という意味だ」というようなことを昔から言われていますが、なかなかそれを身につけることが出来ずにいます。
 もっとも、その急ノ舞を効果的に見せるには、前の序ノ舞をいかにも優美に舞うことが必要でしょう。

 はてさて、私が本当に平維茂を誘惑するような美人になれるのか・・・・・・
 当日、舞台上にてご確認頂ければ幸です。

 


母校にて能の授業をさせてもらいました 2008/3/1 本田芳樹

 去る2月28日に中野区立第五中学校にて能の授業をさせていただきました。日本の伝統にふれる選択授業の一環で、他にも琴や和太鼓、日本料理などが実施されたようです。
 実は中野五中というのは私や布由樹の母校で、久しぶりに訪れた母校は懐かしくもあり新鮮でもありました。授業では簡単に能について説明したほか、高砂の一節を謡ってもらったり、能面の実物を見てもらいました。なるべく本物を見てもらいたいと言うことで持って行った面でしたが、数百年前の面が現在の舞台で使われていることを聞きとても興味を持ったようでした。
その後は実際に面を着けてもらって歩いてもらいましたが、最初は苦労するもののさすがは若い子たちだけあってすぐに慣れた様子。こうして実際に触れ体験してもらうことで、子供たちの記憶に少しでも残ればと思いました。

 今回の授業以外でも昨年は文京区の学校でも授業をさせていただいたり、越谷市の中学でも授業のお手伝いをさせていただく機会がありました。近年、伝統芸能を教育に取り入れるような方向にはなっていますが、伝統芸能について教えられる教員がほとんどいないこともあり子供たちが実際に触れる機会はほとんどありません。そんな中でも短い時間でしたが子供たちに本物の能の一端にでも触れてもらって、能をだけと言うよりももっと広い視野で普段ほとんど意識しない「日本」というものを見つめ直す機会になったならば、と思っています。

 


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