演者の独り言■

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見所からは窺い知れない、面の内側から覗いた世界を、シテが語ります。
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2004/11/24 本田芳樹

杜若10月30日のこしがや紅葉能、雨天の中たくさんの方においでいただきありが とうございました。
あいにくの雨となり、また気温も上がらずに肌寒い中で見ているのも大変だったと思うのですが、「雨の中で見る能も雰囲気があって良かった」との声もあり、ひとまずほっとしております。

こしがや能楽堂のような半野外の舞台ではこのようなお天気の心配というのもあるのですが、その反面自然の光の中で能を見る楽しみというのもあると思います。
残念ながら自分の舞台を直接見ることは当然出来ないのですが、写真を見る限り装束の発色が非常に鮮やかかつ自然です。
現代の能舞台の人工的な照明ですと、いざ舞台に出てみたら装束の色が思惑と違って見えると言うことがあります。ひどいときですと全く違う色に見えてしまうと言うこともあるのです。杜若

また夜間の薪能とも違う、昼間の太陽の下の能というのは何か穏やかでのんびりしているような、そんな気もしました。


2004/10/10 本田光洋

楽屋にて岡山後楽園での「葛城・大和舞」が終わりました。
昔の大名御殿形式の能舞台で白州を隔てた書院が見所(けんしょ)となります。障子戸は開け放たれて後楽園の庭園が見えかくれします(もっともシテの面の目からでお客さまからは背中ですが)。

野天の広すぎない白洲の空間な良さが大いに発揮されたと思いました。 ざぁっと急な降雨がありましたが書院が風を防いで中には降り込まないのです。また自然光が装束の発色を鮮やかにしました。 なにより能楽堂やホール残響反響に慣れた耳には音響が不思議な空間感覚を感じさせました。

楽器の持ち前の音を自然に増幅する感じで、鼓の本来の音はこれだと思わされました。


2004/3/30 本田布由樹

4月29日(木・祝)の円満井会定例能にて、「高砂」のシテを演じさせていただきます。

「高砂」という曲は知名度が高く、能そのものは見たことがなくても、その謡の一節をどこかで聞いたことがあるという方はけっこういらっしゃるのではないでしょうか。
 「高砂や」「四海波静かにて」「千秋楽は」などは、とくにお祝いの席などで謡われることが多い箇所です。曲自体も祝言性の高いものですが、「松」をメインにすえたところが「徳川(=松平)」の治世において喜ばれたということでしょうか。豪快かつ颯爽とした曲です。
生き生きとした舞台になるようがんばりたいと思います。

また5月3日(月・祝)に明治神宮において奉納能が行われます。「養老」の半能。シテはぼくがつとめさせていただきます。半能というのは、後シテのみを演ずる上演形式です。
屋外で、また能の舞台でないために色々と不安もありますが、とにかく稽古をつみ恥ずかしくない舞台にしようと思います。(2001年12月3日の「演者のひとりごと」に、兄が同じ舞台で経正を舞っている写真が載っております)

こちらは入場無料ですので、お気軽にご来場ください。


2004/1/23 本田光洋

1月金春会での弱法師が済みました。10年ぶりでした。どこが変わったのですか?と言われると困るのですが。稽古はある連続性の上にあるので違いの自覚は難しいのです。謡は良い方向に変わったかと思えるのですがいかがでしたか。

2月に伯母捨(高橋汎師)後見をいたします。老女は西へ行く伯母捨山の月と共に西方極楽世界へと入り、弱法師は日想観によって苦界を離れ極楽を願いました。大原御幸の建礼門院は生きて地獄を見、都へ帰ってのちは出家し同じく阿弥陀の浄土への生まれかわりを願いました。
いずれもこの世での苦が理想世界への機縁となっているのであれば、現世の苦は否定的にのみ捉らえられるものでもないと思えます。父と共に高安の里へ帰った弱法師はその後親子安穏に暮らしたのでしょうか?そうではない、この世を捨て阿弥陀の浄土を願いつつ一生を過ごしたのではないか、最後に幕へ橋ガカリを歩みつつそんなふうに考えました。

伯母捨の息子に捨てられる老女は、観無量寿経の息子による幽閉を機に浄土を願う、韋提希夫人に重なって感じられます。しかし能の老女は「恋しきは昔 慕わしきは閻浮」「ひとり捨てられて老女が昔こそあらめ」と一曲を終わります。
現世への迷いを捨て切れないのでしょうか。たいそう難しいことです。作者観客も含め中世の人々の精神生活の深さを思い知らされます。

 


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